思考の嵐とそれを抜ける方法

アメリカの永住権の申請手続きを、訳あって何年も前からしています。
永住権申請は二段階に分かれていて、(1)永住権を与えてもよいかどうかを判断するプロセス、(2)実際に永住権を取得するプロセス、で構成されます。(2)には、(2-1)アメリカにいる場合は、現在のビザから永住権へ移行する、(2-2)アメリカ国外にいる場合は、移民ビザを取得する、という二つの方法があります。
我が家は一年以上前に(1)で「永住権を与えてもよい」という判断が出た時点で、(2)の手続きはしないで止めていました。移民弁護士によれば、(2)の手続きをいつまでにという期限はないということだったので、ほんとうにアメリカに10年以上いるだろうことが確定してからにしようと思ってのことです。
ところが、あるとき、移民弁護士を経由して、こんな手紙がアメリカ政府機関から届きました。
「(1)で永住権を与えてもよいと判断された時から一年以内に手続きをしないと登録を抹消しなければならないことになっています。あなたは一年間手続きをしなかったので、登録からはずしました。もし手続きを再開したい場合は、再度、申請料金と必要書類を送ってください。」


ええっ。一年以内なんて知らなかったんだけど。。。。!!!!!
昨年の時点で、もう(2)の手続きをしてもいいかもと思う理由がいくつもあって、出すべきか何回か迷っていたのです。一年以内と知っていたら、迷わずだしていたのに。。。。とすごく後悔しました。後悔って、普段あまりしないのですが、「自分でそれを選べたのに、選ばなかった」という出来事には強く起こるのだな、と知りました(後悔できるというのは、選択肢があったということ)。
というわけで、この前の週末、すごく落ち込んでいました。「お金と手間で解決することだし」と夫はなぐさめてくれましたが(夫にとっては、同乗していた車が事故ってショックを受けたが、運転手がすごく落ち込んでいるので、自分はそこまで落ち込めない、というような事態)、「あのときこう判断できればよかったのに」「どうしたらこういう事態にならずに済んだか」といった考えが、何度も沸き起こり私を翻弄します。ははあ、これが思考の六道輪廻だなあと思うものの、自分の意志では止められないのですね。これを抜け出すのに役立ったことが二つありました。

一つは、友達に話をすることです。同じアパートに、ヒューストンに来て以来とてもよくしてくれる友達Yさんが住んでいて(彼女は永住権をとって長いので、アメリカ暮らしについて教えてくれる先輩でもあります)、Yさんの家にお茶をしにいきました(私も彼女もcovid19ワクチンを打っています)。私は自分が何かにショックを受けたり動揺したりしているときには、いつもYさんに話を聞いてもらっています(動じない人だから、頼りになるのです)。私の現状を話して、第三者の目から見た感想と今後の見通しについて教えてもらうことで、一人称視点の息苦しさからちょっと抜けることができました。「二人でいれば苦しみは半分に」という表現をこれまで意味が分からないと思っていたのですが(同情されてもやっぱり苦しいのは苦しいままじゃん?)、一人称視点で起こる考えの堂々巡りを第三者の力を借りて抜け出す、ということを指すならば納得、と思いました。

もう一つは、坐禅です。Yさんに話を聞いてもらって(+ノートに書き出して)、嵐はおさまったかと思いきや、その夜、考えが巡って巡って眠れませんでした。午前四時、思いたって坐禅をしました。座禅は、私の場合は、思考の堂々巡りの流れを変えてくれる感じがあります(脳への入力が変われば出力が変化するのは自然なことではあるけど、対思考で有効な点が坐禅のいいところ)。そして、大声の思考にかき消されて聞こえなかった小さな声の思考がやってきました。
「登録を消したっていうのは移民ビザのほうじゃない?」
はっとしました。そうかも! 
アメリカ政府機関からの手紙をもう一度丁寧に読んでみると、(2-2)の手続きは(1)の許可後一年以内です、という旨であることがはっきりしました(カッカした頭で何度読んでも、この誤解に気がつけなかった)。(2-1)は弁護士が言っていた通り、特に期限はないようです(翌日、弁護士にも確認しました)。

ほっとしました。
そしてあれほど私を翻弄した嵐は、跡形もなく、夢のように、消えていきました。
でも、こういうの、これからもいろいろと起こるんだろうな。
自分や家族が不治の病にかかったと知るとか、事故でもう今までの生活はできなくなるとか、いろいろな出来事と一緒に、思考の嵐はもくもくとわきおこる。
(メモ:思考が自分の仕事(出来事のシミュレーションとそこからの学習)をすること自体は悪いことではないし、生物として必要な機能。ただし、出来事のシミュレーションと目の前の出来事を全身で味わうこと(=幸福)は両立しないので、元気に生きるにはバランスが大事。)


こけぐま

その時その場に居合わせること

 色々と身辺に動きはあるのだけれど、それらについて思いを巡らしつつ書く、といった心もちでもない。そのうち書こうと思っていた事柄など。

 最近、「たまたまその場に居合わせること」についてあれこれ書いた。これと近い話題として、思いもかけぬところで知人と出会う、といったことがある。ある程度長く生きるとそうした機会も多少は増えてくる。「や~、偶然だね、嬉しいね」という楽しいものもあれば、お互い気まずい思いをするものもある。

 私の経験した偶然の出会いのうちで最も気まずかったのは、とあるちょっとした観光地でいずれも知っている既婚者同士が寄り添っているのとすれ違ったもの。たまたま人気が少ないところで、まさに向うから来るお二人と私とがすれ違ったのである。他の時なら相手には気づかれないように振る舞い、黙って自分の胸にしまいこむ。しかしこの時は、まさに相対する形となりそうもいかなかったが、しかしかと言って挨拶をするわけにもいかぬ。私が気づいているが気づかないふりをしていることを向こうもわかっており、そのことを今度はこちらもわかっている、という妙な感じとあいなった。それから後もお二人と話すことはあったが、あたりまえとはいえこの件に触れることはなかった。いや、ああした偶然の出会いはご免被りたい。

 これと似たものとして、たまたま友人と入った東京の繁華街の居酒屋で、知り合いのAさんとBさんが仲睦まじく飲んでいるのに出くわしたこともある。別に有名な店でもなかったのに。AさんとBさんは当時それぞれ別の人とつき合っていることを知ってはいたが、それぞれから別に「別れるかも」みたいな話を聞いていたのもあって、「なるほど、そういうことね」と思った。一応お二人から「しばらく黙っていて」と頼まれたので、その約束はしっかりと守りました。なおお二人はこの後結婚なさいまして、今も仲良く暮らしていらっしゃいます。

 

 ところで海外で偶然の出会いが続いたことがある。

 その時私は出張だったのだが、五日ほどの滞在だったのでその街に住む知人たちには特に連絡は取っていなかった。滞在中のある日、街を歩いていると、この街で働く友人と行き合ったのである。この友人、私の高校の後輩だが極めて優秀で、こちらで仕事を得て長い。傍らには美しいフランス人らしき女性がいる。彼女のことを気にしつつ、とりあえず日本語で、かくかくしかじかとその街にいる理由を説明、彼のほうは、ちょうど私たちの卒業した高校の先生 -共通の知りあい- がその街に来たばかり、という話を手短に聞かせてくれた。すると傍らの彼女、少し日本語がわかるのか、「えっ、するとこちらの方、貴方と同じ高校の人?」とフランス語で彼に聞くので、なんとなく私がフランス語で「ええ、長い友人ですよ」と言ったら、今度は彼女が吃驚して、「あら、あなたフランス語を話すの?」と返してきた。私がフランス語を解さないと思いこんでしまっていたのである。ともあれ彼女としては、自分の恋人の高校時代を知っている私に興味津々ということで、ぜひ私の家に遊びに来て、ということで、翌日お茶に招待してくれたのです。

 これだけでもなかなか偶然と言えるのだが、さらに続きがある。翌日彼女の家に行く前にちょっと調べごとをということで、その街で一番大きな図書館に行った。すると、ある児童文学者の展覧会をしていて列ができている。とはいえ次に来るのはいつになるかわからないので、おとなしく列に並んでいた。すると途中で、どうも知っている子にそっくりの少年がいる。私のフランス人の知人Xさんのお子さんで、ちなみにお母さんは日本人なのだが、この家族とは縁あって色々と深い付き合いがあり、このお子さん -Yくんとしよう- もよく知っている。このYくんにそっくりなのだ。よく似ているなと思ったら、彼が突然隣の本を読み耽っている男性に話しかけ、この男性がこちらを向いた。それがXさんだったのである。通常、児童文化者の展覧会で親子連れの知人と会う、というのを偶然に入れてよいのかはわからないのだが、違う国でのことともなると、なんとも印象が違う。

 こうして私は二日連続で、思いもかけず知人と偶然の再会、あるいは出会いを果たしたわけなのです。同じ街に住んでいるのなら、まあそんなこともあるかもね、といった話題でしょうが、海外の短期滞在時に、その街に住んでいる友人とはいえ偶然の出会いが重なると、なんとも不思議な気持ちになるものです。私の人生の中で心に残る偶然の出会い、というと、この「海外」という道具立てもあってか、これが一番になるのですよね。

 皆さんにはこうした偶然の出会い、どのようなものがあるでしょうか?

 

M&M's

 

追記:全く関係のない追記です。ちょいと酒量が増えてしまっている。色々ひと段落してほっとしているのもあるけれどよろしくない。と言うわけで、まずは三月中、一人の時は飲まないようにいたします。自分一人の胸のうちにしまうと絶対破るので、ここに宣言。ただし、遠隔飲み会とか、Webでの会議の後の軽い打ち上げなどはOKといたします。皆さまからの遠隔飲み会の誘いも大歓迎(笑)。とはいえ、この場に居合わせてこの記事を読んでしまった私の知りあいの皆さま、適度に「ちゃんと飲まないでいる?」とプレッシャーをかけてください。

 

日記

娘の成長記録(ばかりですみません。。。)

 

3月3日、娘が、とつぜん「ぞうさん」と言い始める。なにかな?と思うと、クッションに描いてある象を指差しているので、『わたしはぞうさんをみつけた』ということなのだろう。以来、家の中にある象の絵柄のついたものを指さしては「ぞうさん」(舌足らずなので音は「ぞうしゃん」)と呼んでいる。

これまで、長い単語は二音節に縮めて発音することが多かった(例:ひぃこー=ひこうき、しゃぼ=しゃぼんだま、しゅめ=スムージー)。ぞうさんなどの多音節がでてきたのはつい最近。 

二歳を目前にして某国民的アニメにはまる。そのキャラクターのついた玩具をちょこちょこいただいたりしていたのだが、とうとう娘はこれがそれだと同定した模様。指でさして「あんぱーね」。どきんちゃんが結構好きらしく、登場のたびに、いえないながら名前を唱えている。

 

こけぐま

備忘録として

 いつでも機嫌よくすごしている方だと思うが、時折落ち込むこともある。私の場合、落ち込む、というか、気持ちの持っていきようがなくパターンには二つあるようだ。

 一つは、過去の辛かった、しかしどうしようもない出来事が思い出されたとき。時間をかけてその苦しみを鎮めてきたのに、突如かさぶたを無理にはがされたかのように、その思いが押し寄せることがある。俗な言い方ではあるが、古傷が痛むことはある。いや、正確に言うなら、それなりに修行(?)を積んだので、辛い過去をわざわざ自分から呼び寄せるようなことはしないのだが、当該の過去が勝手に私の視界に入ってくるよなときがあるのだ。これは「不意打ち」という部分もあるだけに、辛い。

 もう一つのパターンは、他人のある種の「悪意」に触れた場合。「悪意」と言っても色々あるが、ここでは人間関係のルールが問題となる。人間関係においては様々なルールがあるが、そのギリギリの線 -ただし、私がそれを真似をすれば私が品が悪くなってしまうギリギリの線- そうしたところを突いてくる人がいる。具体例を挙げれば陰口などがそれに当たるだろう。そうした行為を自信たっぷりにする人が、心底嫌いなのだが、しかし残念ながら世にはそうした人がいるし、またそうした人とつき合わざるを得ない時もある。

 

 これら二つのパターンが最近同時にやってきた。いずれも一つだけであればどうにか対処できるのだが、二つ同時、というのはちょっときつかった。

 前者については、諸事情あって、これは誰に愚痴ることもできない。ともあれ、私に思いもかけない形で突然、辛い過去を思いださせることがあったのだ。二十年以上前に解決したはずの事がらに心揺さぶられることとあいなった。もっとも、この件には一方で人間の嫌な部分がひそんでいることもあってやるせない思いになるとはいえ、他方で俯瞰している自分もいて、「苦しむ自分」と「俯瞰する自分」が分裂し、さらには「苦しむ」ことをどこか、言葉を選ばずに言えば面白がっているようなところもある。あと、「過去に関する苦しみ」というのは「思い出す」のではなく「過去を生き直すようなところがあるな」などと、何かを発見した気になる部分もある。いずれにせよ私自身、「まあこの苦しみは時々思い出すことがあるだろうな」という覚悟はできているので、「苦しみ」ながらも、やりすごすしかない。

 もう一つのパターンは、これもまた時々生じる事がらなのだが、今回は腹が立つことこの上なく、一種の甘えではあるが、私が品を落としてもぬるい目で見てくれるだろう友人二人に愚痴を聞いてもらった。手っ取り早く言えば、今回腹の立つ相手と同じ水準に身を落としたのである。とはいえ、そうしないとやるせない思いの持っていきどころがなかった。お二人には感謝しています。ありがとう。あと、すいません。

 

 だが、いずれにしても最後に自分を救うのは自分しかいない。苦しむ自分を俯瞰しつつ苦しみをそのままとしながら、今自分があることの喜びを感受し、自分の大切なもの、自分の自由になるものを大切に用いるようにしていくしかない。そのように思いを向けることは、やはりどこかしら「祈り」に似てくるところがある。いや、自分で自分を救うと先に書いたが、自分で自分を救う、というのはどこか事がらを外したところがある。自分がこのような人間になれますように、という思いには「救ってください」という懇願の言葉のほうがあてはまるようにも思う。

 なんとも言えぬ思いになると、エピクテトスの『人生談義』を読んだりデカルトの『情念論』のページを繰ることがある。あと『徒然草』のいくつかの段を音読するなどすることもある。こうした作業は、「ここで書かれているような境地に達することができますように」という祈りを含む読書のように思う(「祈りとしての読書」というのは、考察に値するテーマではないか)。

 そして、救いを求める人の心にそれ以上に訴えてくるのは、やはり宗教によって整えられた祈りなのだろう。そうした祈りが提示する理想は、正しいことはわかるが、実際に実行するのは難しいことだ。だから「せめてそうした困難な事がらを実行できる人間にならせてください」と日々祈る中で、かすかにだが救われる、というのが人の生の実相ではないか。幼い頃から長ずるまで時折教会に通っていたこともあり、受洗はしていないが今でも「主の祈り」を唱えてしまうことがある。すべての言葉が良いと思うのだが、特に「我らに罪を犯すものを我らが許す如く、我らの罪をも許したまえ」という箇所は、怒りや憎しみに流される我が心の動きを踏み留める何かがあるように思う。

 なんともしまりがないのだが、「祈り」の重要性を自分なりに理解し、自分の生活の中に「祈り」に似た何かを組織的に取り入れていきたいというのが、私の人生の課題なのだな、とは思っている、ということなのです。

 

M&M's

 

 

日記

最近、娘の語彙に形容詞や動詞が増えてきました。

食べ物を落としたら「おちた」。

 何かを食べたり飲んだりしては「おいしー」とつぶやく。

夫にちょっかいをかけて嫌がられながら「たのしー」とつぶやく。

「こわい」(これはずいぶん前から)「おいしい」「たのしい」(これらはここ数日)の順で形容詞を学習。人間にとって何が重要なのかよく分かる順番です。

 

今日はひさびさにぽかぽか陽気だったので、近くの公園へ。たくさんの家族がきていて、娘はしばしかたまり、さらにはベビーカーに戻る(ひきこもり)。しばらくすると、あちこち遊びまわれるように。あいんさんの子とひそやかに遊んだり、おおきな子にかかえてもらって滑り台したり、公共の子供用乗り物の順番を争ったり、水で地面に文字を書いている子達の輪に入ってながめたり。四時間くらいたっぷり遊んだので、いまはぐうぐう寝ています。

幸せな一日でした。

 

こけぐま

 

始まりましたね

 「予言」と「予想」は区別するようにし、かつ前者には注意を払っています。未来を予測するのはどちらも同じですが、「こんな怖い未来が来るぞ、けど俺は対処法を知っているぞ、俺の言うことを聞けば(金を払えば)対処法を教えてやるぞ」というのが予言、「こういう未来が来る可能性があるから、とりあえずこうした対処が考えられます」というのが予想、と私家版(?)の定義を与えている。「予言者」の特徴は脅しの論理を使うことと、自分の側(業界)に利益を誘導しようとする点と考えています。予言者が跳梁跋扈するこの世界、人の心の不安に付け入る予言の言葉に心惑わされぬように、と心がけているわけです。他方時間のうちを生きる人間は「予想」はしないわけにはいきません。さらに言えば、適度な「予想」に基づく人生は豊かなものになると思います。

 もちろん「予言」と「予想」の区別は時に難しい。例えば、将来来ると高い確度で想定される新型インフルエンザを巡る言説は、どうしても両者の性質を共に帯びてしまうでしょう。事柄の性質上、仕方がないですね。こうした場合は情報に対する受け手の姿勢が大切、語られる事柄のうちで「予想」に当てはまるものを切り分けていくことが求められるのでしょう。

 ところで例のウィルスのワクチン接種が始まりました。後から振り返った時のために記しておけば、まさにこの数日で日本でもワクチン接種が始まったわけです。応対は様々ですね。私の狭い人間関係の中で仄聞する限りですが、期待を持つ人も多い反面、医療関係者でも接種を躊躇う人もいらっしゃる。それぞれの判断が尊重されるべきなのでしょう。私自身は他の家族と比べると人と接する機会が多いので、「大丈夫かしら?」という思いを多少は抱えつつも、まあ打つことになるでしょう。先日東京に住む老母と少し話したのですが、母にも「まあ打っといた方がいいよ」と言いました。それほど抵抗感がないのは、こけぐまさんの記事などの影響もあると思います。感謝しています。

 

 ところで今後状況がどう変化していくか、「予言」ではなく「予想」をしてみます。

 まず、日本の場合ですが、接種をする人の数が必ずしも増加しない、という状況が想定されます。とはいえ、夏が近付くにつれてウィルス自体の力が弱まり、またワクチンの接種の効果もあって感染者の人は減っていく可能性が高いでしょう。そうすると、人の活動範囲が拡がっていく。そして感染予防行動が弱まっていくでしょう。具体的にはマスクを外す人が必ず増えてくるはずです。また、ワクチンを接種した人のうちの少なからぬ人が、「私はワクチン接種済みだから」といってマスクなしで活動を始めるのではないでしょうか。この時出てくると思われるのが、何らかの理由でワクチンを接種していないが「私はワクチン接種済みだ」と主張し、危険ともとれる行動をとる人です。そうした事例によると思われるクラスターがもしかしたら散見されるかもしれない。この時ワクチン接種証明の提示を求めるのか否か、といったことが社会問題化するかもしれないと思っています。また、こうした事例が散見されると、小さな人間不信のようなものが拡がっていくのでは、と恐れます。ウィルスへの感染は仕方がないと覚悟している人でも、そのプロセスに「嘘」があると知ったら、やはり何とも不愉快な気持ちになるのではないか。

 もう一つ、かなりタイプの違う予想です。

 しばらくはワクチンを接種しない人に対する社会的プレッシャーはないと思います。ただ、ワクチン先行国である欧米で華々しい効果が挙がり、大きな経済的再生を見せたとき、状況は変わるかもしれません。経済復活の鍵はやはりワクチンだ、という認識が拡がった時、ワクチンを接種して当然、という空気が拡がっていくかもしれない、とは思うところです。そうなった時に私たちはどう振る舞うべきか、今のところ定見はないのですが、「そうした社会状況になるかもしれないな」とは思っておくことにしています(幸い外れるかもしれませんし)。

 

 しかし一番予想がつかないのは、コロナがだいぶ落ち着いた時の私自身の心理の変化です。やはり長い緊張状態にあったことは間違いがないので、その疲れがどっと出るのか、あるいは躁状態になって外をで歩くのか、よくわからない。しかし、この一年間出張などがなかったことは、ちょっと気に入ってもいるのです。どうしても話したい人とは話すことが出来ることもよくわかりましたし。コロナ前にはあれほど出歩いていた私がお部屋に閉じこもるようになるのか、それともそれなりに以前のリズムを取り戻していくのか、これが予想がつかないのですよね。ただ、いずれにしてもその過程では、これまでの人生では経験しなかったような心理状態を経験するのではないか、と「予想」しています。なにせ、人類史上で見ても、まあまあ珍しい一連の経過ではありますから。もしかしたら、戦争直後の一般市民の心理状態の変化や身の処し方が参考になるかもしれないなどと、漠然と思っている次第。不安定な心理状態に陥った時への備えとして、ここに書き記しておきます。

 

M&M's

 

災害がいっぱい

私はいまアメリカのテキサス州にあるヒューストンに住んでいます(緯度は奄美大島くらいです)。今週は歴史的な寒波で、氷点下10度以下にまでさがって、雪が降りました。
あちこちで停電(テキサス全体で370万戸)や断水が起きています。うちは幸い、断水だけですんでいますが、復旧はいつになるかは全く分からないとアパートからお知らせがきました。でも電気があるだけ、ほんとうに恵まれています(近くのアパートに住む友達はすでに3日停電が続いていると言っていました。。。)。
ちなみに、COVID19ワクチンを保管していた冷凍庫の電源が切れてしまったので、近くの大学で一般向けに緊急接種をしているようです。この寒空の下、学生さんたち(?)が列を成していました。実際、アメリカでは20-50歳くらいの人たちが主に感染を広めているということが分かっているので、無駄にはならないと思います。
 
ヒューストンにきて以来、ハービーでアパートの前が川になり(2017)、新型コロナウイルスででかけられなくなり(2020)、こんどは氷点下でライフライン死亡(2021)と、災害満載ですが、今のところ大きな被害を受けてはいないのは幸いなことです。
 
日本でもいろいろと起こっているとニュースでみますので、お互い、元気に切り抜けていけますように。
ご自愛ください。
 
こけぐま