『無法松の一生』を見比べる

 色々と運がよく、新文芸座(池袋)で開かれていた三船敏郎の特集に行くことができた。ちょうど、三船敏郎の息子さんのトークショーなどもあり、会場は満席である。
 観たのは『無法松の一生』(1958年版)と『或る剣豪の生涯』の二つ。エドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を日本の戦国末期から徳川時代初期にかけてを舞台に翻案した後者は、三船敏郎のコメディアンとしての才能を楽しむことができ、これはこれで佳品であったが、お目当ては前者であった。この『無法松の一生』という映画には、色々といわくがあるからである。


 もともとこの映画は1943年に最初に製作されている。6月1日の日記の記事でも少し触れた、惜しくも原爆のために早世した園井恵子の美しさや阪東妻三郎の演技で知られる名品だが、二度も検閲を受けたことでも知られている。一度は、車引きが軍人の未亡人に恋するとはけしからんとする公開当時の内務省により、いま一度は、好戦的と思われるシーンを好まぬGHQによってである。だから、43年版の監督である稲垣浩が、今度は三船敏郎を無法松に迎えて撮った1958年版はどのようなものであったか、ちょっと気になっていたのである。43年版は運よくスクリーンで観ることができたので、58年版もいつの日か、スクリーンで観たかったのだ(本当はDVDを観てもよかったのだが、まあ、さぼっていたのである)。
 結果を言えば、白黒とカラーの違いはあれ、脚本はほとんど同じ、カメラワークも相当の箇所が類似しているように見える(例えば、冒頭の2階くらいの高さから地上に降りるワンカットのショットや、松五郎が客をほったらかしにして、「ぼんぼん」の凧を直すシーンの撮り方など)。素人考えではあるが、稲垣浩は、43年版の脚本や演出にほとんど手を加えないことで、「何が」削除されたのかをはっきりさせようとしたのではないか? 少なくとも私にとっては、43年版を観た後に58年版を観ると、43年版にはなかった(つまり削除された)シーンが、際立って見えるのである。
 もっとも、このように類似した作品となっているので、58年版を演じた俳優の方々は、43年版に出演した俳優を強く意識せざるを得なかったのではないか? 実際三船敏郎阪東妻三郎を、高峰秀子園井恵子を強く意識しているように見える。俳優の方々の苦労をも楽しんでしまってもよういのは観客の特権だろうが、少々同情するような気分になったのもまた事実である。


 なにぶん映画について語りなれていないので、堅苦しい説明になってしまって申し訳ない。まあ、何を言いたいかというと、同じ稲垣浩という監督によって映画化された『無法松の一生』という作品の、これら二つの版を見比べてみるのは、なかなか面白い経験ですよ、ということである(ちなみに二つともDVDがある―さらに言えば、別の監督による63年版と65年版があるようだが、これは今では観ることが難しいらしい)。
 また、これで園井恵子に興味を持っていただければ、6月1日に触れた、井上ひさしの『紙屋町さくらホテル』もぜひ読んでいただきたい。ちなみに、園井恵子の最期については、新藤兼人の監督による『さくら隊散る』という映画がある。これは近々に観る予定です。


 この文章を書くときに、本当は三船敏郎についてもう少し書くつもりだったが、全く違う方向に行ってしまった。三船敏郎については、世代が余りに違うのでいわゆる「同時代的な」強い印象はないのだが、それでも、1984年の大河ドラマ山河燃ゆ』で演じた主人公たちの父親役は忘れがたい。この大河ドラマ自体が、ちょうど日本の歴史に関心を抱くようになった私にとって面白い作品だったのだが、三船敏郎演じる寡黙だが力強いキャラクターにも心惹かれたのだった。このことについては、折りがあればまたいずれ。


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