メンデルスゾーンの伸びやかさ

 8月の末に、メンデルスゾーン交響曲、協奏曲全曲を一日で弾くという、「どうかしている」と言っても失礼には当たらないであろう会に参加してきた。もちろん「演奏会」と名乗るのも微妙な、程ほど内輪の、こう言って良ければまずは弾く側が楽しむ会である(とはいえ、一応簡単な告知はし、聴きたい方は入場できるようにしたところ、全曲聴いてくださった方が二人いらっしゃった。感謝!)。

 もちろんこういう会では、演奏がやや粗雑になるのは仕方がないが、それでも、一人の作曲家に集中して取り組むというメリットはある。試験前の集中した勉強にも功徳があるにはあることと比べられるだろうか。今回の経験を通じて、メンデルスゾーンの「傾向」「性格」のいくつかが今まで以上にくっきりと感じ取れるようになった。

 さて、メンデルスゾーンの曲の「性格」と言えば、やはり「伸びやかさ」が挙げられるだろう。例えばピアノ曲「無言歌」op19-1の、人をどこか遠くに誘うような清純な伸びやかさ、あるいは、ピアノ三重奏曲第1番4楽章、ひたすら緊張感に満ちた短調の動機が続いた後、突如として始まるニ長調のチェロの旋律とした朗々とした伸びやかさ、こうしたものがすぐに思いつく。

 今回弾いた交響曲のいずれにも、そうした伸びやかさはよく見られると思う(本当は協奏曲にもそうした面はあるがそれは今日は措く)。

 まず第1番。これは初期の一連の弦楽のための交響曲を思わせるもので、シンプルな味わいがあるが、このシンプルさゆえに音楽が動的に、前へ、前へと進んでいく良さがある。後の作品と比べれば恐らくは「若書き」なのだろうが、それでも微笑ましい伸びやかさがあるように思う。

 合唱を伴う大曲、第2番「賛歌」については、「伸びやかさ」というのは少し違うかもしれないが、「伸びやかさ」に隣接した、神を信じる者の喜びに満ちている。信じる対象へと己のすべてを委ねるものの「伸びやかさ」というものがあるだろうか。

 メンデルスゾーン交響曲で最も有名なのは、恐らく、何かのテレビドラマでその冒頭が使われていた第4番「イタリア」だろう。特にその第1楽章には、誰もがその明るさ、華やかさ、伸びやかさを感じ取るのではないか。なお、この曲は最終楽章の緊張感がとてつもなく素晴らしい。ただし今日はそれは別の話。

 第5番「宗教改革」について言えば、クライマックスたる最終楽章をよく性格づける言葉はむしろ「勝利」という言葉だろうか? 伸びやかに上昇していく主題の音型は印象的であるが、そこで歌われているのは、自身への「確信」といったものであり、何か自分とは異なったものへと運ばれて行く「伸びやかさ」とは少し違ったものであるように思う。いずれにしても、宗教的テーマが入ってくると、「伸びやかさ」というのは少し位相を変えるものなのかしら?

 

 メンデルスゾーン交響曲に現われる「伸びやかさ」と言えば、第3番「スコットランド」の第4楽章にとどめをさすと思う。全体として短調が主調で緊張感に満ちて行進曲風に進む曲だが、徐々に曲が静かになり、沈黙に満ちた緊張が高まる後、突如として本当に伸びやかなイ長調の旋律が朗々と始まる(この感じ、少しだけ、上に挙げたピアノ三重唱第1番の最終楽章と似ている-作曲時期が近いかも)。ある人はこれを「船旅」の思い出でこの曲を締めくくろうとしたのではないか、と述べているが、確かにそうかもしれない。この旋律には、希望に満ちて、海を、未知の場所へと渡っていくような趣がある。

 

 音楽を聴く理由は基本的には「好きだから」というもの以外は不要と思うが、それでも時に慰めなどを求めて聴くことはあるだろう。そして、世の憂さのゆえに縮こまった心を伸びやかにしてくれることも音楽が与えてくれる喜びの一つであろう。メンデルスゾーンの音楽は、私の見る限り、最もそうした喜びをもたらしてくれるものだ(恐らくはモーツァルト以上に)。

 そうした考えを確認できただけでも、かなり多忙な中ではあったが、今回の催しに参加できてよかったと思うのだ。

 

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