アルバイトの思い出 (6)

 これまで、定期的にしてきたアルバイトについて記してきましたが、さすがにネタがつきてきました。あとは、一回きりのアルバイトがいくつかあるはずですが、これはもう20年以上、下手すると30年以上前のことですので、記憶が曖昧な部分もあります。交通量調査のアルバイトをしたことがあるような気もしますが、これは自分の記憶のねつ造ではないか、と思う部分もあります。やばいですかね?
 はっきりと覚えている一回だけしたアルバイトは、西武が優勝したときの西武デパートのアルバイトで、エスカレーターの傍に陣取り、お客さんに「お気をつけください」と言い続ける仕事。安全管理上本当に必要なのかしら、と思いつつ働いたことを覚えています。45分働いては45分休憩の繰り返しを5セットくらいするのでしたでしょうか、単純労働に不思議な時間感覚を感じました。

 忘れがたく記憶に残っているのは、治験の仕事です。薬の臨床試験ですね。このシリーズの(3)で、大学の寮にいた話をしましたが、この寮に、一度社会人をなさった後に大学に入り直した30代半ばの方がいて、ちょっと謎めいた人でしたが、どういうコネを使ってか、時々薬の治験のアルバイトを寮生に斡旋していたのです。さすがに新薬の話はなく、ジェネリックばかりでした。ご存知の方も多いと思いますが、治験のアルバイトは、服薬して定期的に検査を受ける他は、好きなことをしていればよい。色々なパターンがありますが、私が参加したのは、2泊3日が二回で、確か90,000円弱いただいたと思います。
 金曜日の16時くらいに病院に行き、土曜日の朝9時に服薬、何度か検査、日曜日の10時くらいに病院を出る、という感じだったでしょうか。二回行うのは、確か、既に使われている薬と治験されている後発薬品をそれぞれ用いるから、という話だったと思います。やはりこのシリーズの(3)に登場した、留年を繰り返す先輩と一緒に参加したのです。
 その時の気持ちははっきりとは思い出せないのですが、お金の問題もさることながら、治験の現場というのをぜひ見てみたい、という気持ちも強かったように思います。好奇心ですね。この時に感じたことは二つ。
 一つは、ある種の「幽閉」された環境は、やはり読書に向いているということです。今でも、この時に集中的に読み終えた本のタイトル(相当厚いものを持っていきました)を覚えています。
 もう一つは、「我慢できない人がいる」ということに気づかされたこと。その頃既に私はそれなりにお酒を飲む喫煙者でしたが、この治験の最中には当然飲酒喫煙厳禁です。もらうお金のことを考えればそんなルールは守って当然ですし、そもそも実質一日半、大した問題ではない。それでも、確か20人くらいいた治験参加者のうち、二人が、夜中の飲酒喫煙がばれて、そのまま追い出されていました。嫌味な言い方になりますが(そして、私自身場合によっては我慢できない事柄というのはありますが)、これでお金を棒に振るなんて、何をしているんだろう、とは思った記憶があります。現下の「自粛」やら何やらを巡る議論と重ね合わせると、色々と興味深い知見が得られるようにも思います。

 さてさて、このようにまあ高額のお金をもらうこともでき、それなりに読書もできる、というアルバイトでしたが、その後参加することはありませんでした。何というか、「自由」が奪われる感じというのが、どうにも嫌だったのです。あの感覚は自分でもよくわかりません。利益だけを考えたら参加するほうがよいだけに、不思議な感じです。そんなわけで、治験に参加したのはこの一度だけとなりました。

 もう一つ、この治験の時のちょっとした思い出。二回目の治験が終わり、めでたく相当のお金をいただき(逃げられると困るので一回目の後は少ししか渡さないシステムになっていた)、日曜日の朝、病院を出て、例の先輩(Nさんとする)と共に駅(池袋駅だった)に向かっていました。さて、一緒に寮に戻るのだろう、とぶらぶら歩いていると、Nさん、急に「じゃあ、俺、行くところあるから」と、すすっと消えていく。なんじゃらほい、あちらに友だちでもいるのかいな、と思いつつこちらは一人で寮に戻ったのです。談話室でダラダラしていると、先輩が「M&M's、戻ったか、Nは一緒だったろう、どうした?」と尋ねるので、「駅まで一緒でしたけれど、突然「俺、用があるから」って言って消えちゃいました。友だちでもいるんですかね」と答えたところ、「何言ってるんだ、カンの悪いやっちゃなー」と言われてしまった。なるほど、言われてみたらNさんの消えていった先には歓楽街があったのです。確かにカンが悪い。

 

 おまけのおまけで言うと、本当は私にはもう一つ、「ある種の」アルバイトの大変豊富な経験があるのです。アルバイトと呼ぶか、人によって定義は異なりますが、私にとってはアルバイトでした。ただ、この経験(少なくとも私にとっては大変面白い、忘れがたい経験)を詳細に書くと、身バレした時にシャレにならないので、控えておきます。察してください。記録が完全に残ってしまうというのも考えものですね。ご興味ご関心のある方には、対面でお会いしたときにお話します。

 

 何ともしまりがないですが、このシリーズはこれで終わりです。昔のことを系統だって書くという作業は楽しかった。書き進めるうちに、過去の知人や経験を段々と思い出していくという不思議な感覚を味わうことができました。あと、このシリーズの途中で、「治験の話は出て来ないの? あの頃聞いたよ」と言ってくれたOさん、ありがとう。20年以上昔の僕のアルバイトのことを覚えてくれている人がいることに、ちょっと感動しました。このシリーズをしていて嬉しかったことはこのことかも。

 

M&M's