ラジオから学ぶこと(2)

 「ラジオ」というメディアについて私が語りたいことは、最終的には、このメディアが聴く人を「精神化する」ということ(妙な言葉だがお許しを)、あるいは肉体の関与を減らしていく点だが、これについてはもう少し考えを巡らせたい。

 今日触れたいのは、ラジオに極まる、「言葉」のみで情報を伝えるテクニックと、身体的な負担の軽さの重要性である。

 まずは「言葉のみ」ということについて。

 コミュニケーションの道筋が増え、様々なメディアを私たちは享受している。喜ぶべきことだし、その方向が進むことを否定はしない。ただし、様々なメディア、わけても視覚情報に重点をおいたメディアが拡大した結果、そうした視覚メディアに欠けたツールを劣ったものと見なす風潮が広まるのであれば、やはり問題はある。

 コミュニケーションの根幹には、言葉がある(さらには、場合によってはある種の身体性があるが、それは措く)。そうした言葉が純粋化されたコミュニケーションの技法というのは、忘れられてはならないと思う(例えば手紙もそれに近いだろう)。他方、視覚情報に頼ったメディアは「見ればわかるでしょ」ということで、言葉を粗雑に扱う傾向がないとはいえない。視覚情報への過度の依存は、私たちと言葉との関係を、微妙な、弱いものとしていくようにも思う。

 他方、ラジオの場合はどうか。アナウンサーの声や抑揚それ自体の美しさもあるが、そもそもあの方々の言葉の選び方は、まさに言葉だけで必要な情報、思いなどが伝わるようになっている。ラジオ講座などを聴いていると、言葉の選び方、伝え方に惚れ惚れする。ここにはコミュニケーションの根幹があると思う。語学講座などもよくできたもので、あれは、確かにテキストがあったほうが良いのだが、テキストがなくても聞くことのできる作りにはなっている。また、テキストがあるにせよ、このテキストと音声情報の連関には、負担のない、見事なバランスがある。視覚情報なりなんなりに携わる人も、まずはラジオにおける言葉の用い方を学ぶとよいのではないか。そうすれば、他のメディアツールの用い方の質も上がるのではないか。

 

 次に身体的な負担について。

 例えばテレビのような、視覚情報にもある程度依存するツールのことを考える。これにはこれの良さがある。ただし、長時間同じ姿勢で画面に集中することによる身体や目への負担は、決して軽く扱って良いものではない。他方、ラジオの場合は、身体を自然に動かしながら聞くこともできる。また、そもそも目への負担はない。こうした点も「ラジオから学ぶこと」ではないだろうか。

 昨今、大学で遠隔授業が盛んであり、また、これを巡る議論も喧しい。色々な考えがあってよいと思うが、ただし、極力音声情報を主にした方が良い、つまり、ラジオのようにした方が良い、というのは、絶対に譲れない一点だと思う。もちろん、化学の実験を見せる、解剖学図を見せるなど、画像や動画が必要な場合もあろう。そうした、教育効果が確実に見込める場合は、そうしたものを利用すればよいし利用すべきだ。しかし、例えば教科書が手元に一冊あれば音声教材で実施できる人文社会系の授業について、教室からライブ配信を行うなどは愚の骨頂ではないか。教室に学生がいるハイブリッドタイプなら仕方がない。しかしそうでなく、単純に送信のためだけであれば、学生の目の負担や集中力の疲れをなんだと思っているのか、と、言いたい。

 なぜこの点に拘るのか? それは、今回の遠隔授業の推進に際して機能している大原則が「予防原則」だからだ。なるほど、今回のようなタイプのウィルスについては「予防原則」を働かせよう、というのはわかる。だが、その受益者である大学の教員たちが、他方で学生の目や精神に対する「予防原則」をしっかりと唱えないのは、滑稽というのを通り越して、老醜の極みであろう(最近、この言葉遣い、多いですね)。実際のところ、彼ら・彼女らのうち、少なからぬ人がウィルスの危険を言い、対面授業を要求する学生や関係者に対して反論、場合によっては「上から目線」の反論を行っている。なるほど、そうした理屈には聞くべきところもある。だが、「上から目線」では関係者の心を打たないし、そもそも、学生の目や精神の負担をしっかりと考慮し「予防原則」を、自分たちの感染リスクだけではなく、あらゆる側面に働かせるのでなければ、「不公正」の誹りを受けても、文句は言えぬであろう、私はこのように言いたい。

 静かにラジオの利点について語るつもりだったのが、いつの間にか、一部の大学教員に対する控えめに言って品のない悪口になってしまいました(書き始めた時に、そうなるかもな、とはちょっと予想していたのですが)。読んでくださった方、申し訳ありません。

 ただ、改めて言うのであれば、「言葉への尊重」「身体への負担の少なさ」といった点を考慮したとき、Zoomなどによる連絡が増えている現状だからこそ、ラジオのよさを見直したい、これは、積極的な提言と受け取っていただきたいと願っています。

 そうしたZoomなどの拡大の一翼を担っている大学の遠隔授業において「ラジオ的なもの」が広まることは、とても望ましいことのように思うのですが、いかがでしょうか?

 

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