ある長篇漫画から思ったこと(2)

 先週の記事を書いて数日後、歩いていたら後ろから「ムッシュー」と呼び止める人がいる。エミール・ゾラだった。吃驚していると、「貴方はああいうテーマで文章を書き、バルザックの名前まで挙げながら、私の「ルーゴン・マッカール叢書」を挙げないのですね。見識を疑います! 私は糾弾する、J'accuse!」と厳しく言い放ち、颯爽と立ち去っていった。おおそうだ、その通りだ、しかしあなたの作品はほとんど読んでいないのですっかり頭から抜けていたのだよ。頭の中で言い訳を繰り返しながら、ぼーっと角のところを曲がると、人とぶつかって転んでしまった。痛いじゃないか、と思いながら相手を仰ぎ見ると、ヴィクトル・ユゴーが僕を冷然と見下ろしていた。「私の『レ・ミゼラブル』を思い出さないような中途半端な人間は、生半可な知識でああした文章を書かぬほうが良いのだよ」と厳かに言い放つと、悠然と立ち去っていった。おお神の如きユゴーよ、おっしゃる通りだ、返す言葉もない。我を許したまえ。

 

 けれど折角ですから続けます。オリジナルを読んだ後、研究書などを経巡ってから立ち戻ると楽しい長篇小説ですよね。

 イギリスだったらやはりディケンズが筆頭に挙がるのかしら? ただ、不遜を承知で言うのだが、ディケンズ研究というのがどんな風になされるのか、想像がつかない。バルザックを扱うのと同じように、時代背景に関する緻密な考証を重ねていくのかしら? あと、これは研究云々とは関係ないけれど『虚栄の市』はそのうち読んでみたいと思っている。多分典型的な十九世紀型小説なのであろう。

 こんな感じで済ませると、また誰か大作家に怒られるかもしれないが、気にせずにアイルランドに行こう。当然ジョイスである。ジョイスについては、どんな研究をしているのかというイメージはあって、作品と研究との有機的連関、というのが充実しているようなのだが、実は一つも読んだことがない。『ユリシーズ』くらいは無理やりでも読んだほうが良いのだろうか、『フィネガンズ・ウェイク』など老後にはとても難しくて読めなくなってしまうのだろうか、などとあれこれ考えてしまう。読んでいない長篇小説のうちでは最も気になる存在ではある。まあ、そこまで言うなら、とりあえず図書館で借りてくるなりすれば良いのだろう(こういう文章を書いている効用は、書いているうちに気分が乗ってくることですねー読み手の方には無関係で申し訳ないのですが)。

 はてさて、目を南の方に転じれば、当然ダンテの『神曲』とセルバンテスの『ドン・キホーテ』が浮かぶ。いずれも「神話的」と言える部分もある書物であり、他の書物や様々な史実への参照も事欠かず、このあたりはオリジナルと研究書の往還の楽しい書物としてはトップグループに入るのだろう。いずれも素晴らしい翻訳があるのだから、カルチャーセンターなどで「『神曲』を読む」なんて講座があったら、案外流行りはしないのかしらん、どうかしらん? 『神曲』は、河出書房の訳本を、注釈を頼りに随分昔に読んだ。やはり「地獄篇」がいいですね。『ドン・キホーテ』は、三分の一くらいで挫折しているかな。とりあえずこちらに再チャレンジ、というのは、ありのような気がする。

 ついで東に向かい、ロシアである。ロシアの長篇小説と言えば、ドストエフスキートルストイが双璧となるのだが、実は前者の長篇小説はすべて読んでおり、そして後者は一つも読んでいない。ただ、『戦争と平和』なんかはうまくはまると案外すいすい読めるのではないか、という期待もある。しかし、時間が・・・

 あと、ちょっと気になる長篇小説としてはハシェク『兵士シュヴェイクの冒険』があるのだが、優先順位を上の方に持ってくるのはやや躊躇われる。中国ものも、心惹かれなくもないのだが優先順位を上にすることができない。『西遊記』とか『紅楼夢』とか『金瓶梅』とか、そのうちゆるゆると読み進めてみたくもあり、また『金瓶梅』などは、記述がどの程度エロティックなのか、という興味もあるのだが、その長さには気後れしてしまう。ただ、以前触れた黒田硫黄の短編集『大王』所収の「西遊記を読む」という短編で、中華料理店で『西遊記』の感想を述べあう男女というのが出てきて不思議な魅力を醸し出しており、それもあって捨てきれないところがある。

 

 さて、日本に来ればどうなるか、ということになり、いくつかの候補を考えることができるとはいえ、オリジナルと研究書の往還運動の面白さということを考えれば、やはり『源氏物語』に指を屈せざるを得ない(なお、ある知りあいの方が先週の記事の後、私にとって読んでいてよかった長篇は『源氏物語』です、とのメッセージをお寄せくださった-ありがとうございます)。もっとも、一帖か二帖、受験勉強を兼ねてだったか原文で読んだように思うが、当然すべてに目を通しているわけではない。とはいえ、この物語にある程度通暁していれば、日本文学全体に注ぐ眼差しすら変わってくるかもしれないではないか。そうすると、やはり何かしらの形では読んでおきたい。

 さて、幸いなことに『源氏物語』には優れた現代語訳がいくつもある。まずはそうした書物から入っていくのでもよいのだろう。

 

 そして私たちは、さらには『あさきゆめみし』という素晴らしい手引きを持つことをもまた忘れてはならないだろう。

 もちろん、漫画から入っていき最後はオリジナルに到達することが望ましい。とはいえ、オリジナルに到達しなくてもよいではないか。まずはそうした物語があることを知り、そして、古来から少なからぬ人がそうした物語を愛してきたことを意識しつつまずは漫画を通じて物語に触れること、これをしているだけでも、何もしないよりは遥かにマシだ(唯一避けるべきは、漫画を読んだのだから、オリジナルのことも大体わかっている、という思いこみに陥ることだろう)。漫画で作品に触れ、その後に例えば研究書などを読んで輪郭を固めていき、然る後にオリジナルにチャレンジ、などといったことがあっても良いはずだ。

 大体、私のこれまでの文章が露わにしているように、読んでいない長篇小説などいくらでもある。そうしたものに全て「オリジナルをちゃんと読む」という形で触れていこうとすれば、それはそれで参ってしまう。とりあえずの方便として、漫画なり映画なりで作品に触れていく、ということもそれはそれで、ありなのではないか?

 試みにだが、誰か『戦争と平和』など、漫画化してみてくれないだろうか? (なお、今見たら一応あるらしいのですが、一冊本で、つまりはダイジェスト版のようでして、私が考えているのは、もう少し長いものです)。

 

 もっとも、タイトルにある「長篇漫画」というのは、実は『あさきゆめみし』ではない(これはずいぶん昔に読んだ)。上でダラダラ書いたようなことを思い起す別の長篇漫画を読んだので、こうした文章を書いてみたくなったのです。もっとも長くなってきたので、その漫画自体についてはまた来週。漫画自体は史実を扱うもので、要は、かの名作『ベルサイユのばら』のようなものを思い浮かべてくださればいいわけです。

 この項、(しつこく)来週も続きます。

 

 M&M's

 

追記:禁酒宣言、途中まではよかったのだが、仕事との絡みやら何やらで、3月20にすぎからビミョーな感じになってしまった(というか守れなかった)。というわけで、とりあえず四月については、金曜と土曜は飲んでもいいけれど、それ以外は一人酒はなし、と、一応宣言してみます。あっ、今夜と明日は飲みます。はい。