ある長篇漫画から思ったこと(3)

  ジェイン・オースティンからお手紙をもらうとか、ヴァージニア・ウルフに冷たく見据えられるとか、いくつかのパターンを考えたのだけれど、うまくいかない。どうもこの手の文章を書く才は(も)ないようだ。

 大体今回の文章は主旨がはっきりしない。オリジナルと研究書との間を往還するのが楽しい書物を挙げるはずだったのが、いつの間にか思いついた長編小説の無秩序な列挙に堕しているような気もする。そもそもこうしたテーマでいくなら、なぜ短編小説ではいけないのか、という疑問を立てることもできよう。その意味でも失敗している。

 

 混乱を収拾する意味でもおおもとの話をしたほうが良いだろう。

 今回の文章を書くきっかけは、萩尾望都の漫画『王妃マルゴ』(集英社・全8巻)を見つけて読んだことだった。萩尾望都の漫画それ自体が素晴らしいことは言うまでもないが、そもそも選択が素晴らしいと思ったのだ。これまでの流れから言うと、デュマの小説『王妃マルゴ』を読みやすくした点が良いということになりそうだが、そういうことではない。16世紀後半の宗教内乱に明け暮れるフランスという、私たち日本人には近づきにくいが、それでも知っておくと大いに面白い時代、これへのアクセスを著しく容易にしてくれた、という意味で、である。

 先週か先々週にも少し触れたけれど、一度読んでおくと何度も立ち戻れる長編小説があるのと同様、興味を抱くとどこまでも掘り下げることのできる、一生付き合っていける歴史上の「時代」というのがあるように思う。日本人なら、「戦国時代マニア」がいたり「明治維新マニア」がいたりする、あの感じだ。

 ヨーロッパを例にとれば、「ローマ時代マニア」とか「15世紀フィレンツェマニア」、あるいは「フランス革命マニア」みたいなものが考えらえる。

 そして私はといえば、16世紀後半の混乱のフランスというのは、人間の様々な欲望や家族の愛憎、政治、宗教が絡まりあった形で見事な絵巻物を見せる、実に面白い時代だと思っている。夫アンリ二世を騎馬試合の事故で失い、息子三人が王位につきながら次々と死んでいく、という滅多にない経験に見舞われたカトリーヌ・メディシスを中心に、様々な魅力的な人物が思いもかけない行動をし、飽きることがない。

 だから、「マニア」というほどではないが、この時代に関する様々な書物というのは折々読んできたし、あるいは将来読もうと思っている書物もいくつかピックアップしてある。ちょうど、気に入った長篇小説に関する研究書やエッセイを読み継ぐように、この時代を扱う書物をいわばコレクションしてきたわけだ。

 ただ、この時代は難しい。カトリックプロテスタントの対立というのも、そもそも私たちにはピンとこない(高校の世界史の難所の一つは、サン・バルテルミの虐殺ではないか ーあそこまでの虐殺を生む宗教対立というのはその文化圏を生きていないとなかなかわからないものだと思う)。おまけにその対立が単純に成立しているわけではなく、大貴族の勢力をそぐという政治的要因が入り込み、カトリック同士の内輪もめもあって、対立の構図はぐちゃぐちゃである。

 私自身は二十代だったころ、モンテーニュの『エセー』(おおもとと研究書の往還が楽しい書物の筆頭だろう)を読み、これは時代背景が分かった方がよいなと、私家版の年表や家系図を作ったことがあるので、この時代の流れは一応は頭に入っている(それでも十分ではないけれど)。ただ、だからこそと言うべきか、この時代の複雑さも肌身に染みており、他の方に「この時代は本当に面白い時代ですよ」と言うのが躊躇われてきた。そして、必ずしも良い導入がない。例えばフランス革命に興味を持ってもらいたければ、「とりあえず『ベルサイユのばら』を読んでみて」ということができるし、明治時代に関心を持つ人がいれば、事の当否はさておき『坂の上の雲』を勧める、という手がある(実は読んだことがない-結構批判も多いようですが)。つまり、複雑な時代についてはしばしばそれへの優れた導入となる入門書があるものだが、フランスの宗教内乱の時代にはそうしたものがあまりない、ということを残念に思っていたのだ。

 ここでようやく本題に戻るのだが、かの漫画『王妃マルゴ』を見た時に、これはそうした素晴らしい書物ではないか、この面白い時代についての見事な入門たりうるのではないか、と思ったのである。

 この期待は裏切られなかった。この大変で複雑な時代を見事な筆力で描き切っていると思う。歴史を学びたいという底意がなかろうと登場人物の魅力に惹きつけられる漫画だが、読んでいるうちに彼らが織りなす歴史を自ずと学び知ることができるのは、やはりこの作品に触れることから得られる功徳に数えてよかろう。私自身、この時代についての一定の知識は持っていたつもりだが、それでも、曖昧だった事項のいくつもが、具体的なイメージを持ってきてくれて心から感謝している。『エセー』を筆頭とするこの時代の書物、あるいはデュマの『王妃マルゴ』やらメリメの『シャルル九世年代記』などの小説を読んでいく上でも、この漫画は良き導きとなるのではないだろうか(途中の道のりは遠いが、この漫画から入って『エセー』に触れてくれる人が出てくれば、と願っている-モンテーニュはこの漫画にもちょっとだけ顔を出す)。

 というわけで、この漫画を見つけ通読した時に大体次のように考えたわけです、大混乱しているので、うるおいはないけれど、時系列の箇条書きで書きます。

 

1) いや~、面白かった。16世紀末のフランスの宗教内乱の時代に関する、日本語での最良の「入門書」になるかもね。

2) それにしても、ある時代を好きになり、その時代に関係する書物を読み漁ることは、どこか、お気に入りの観光地を作り、その地について勉強して再訪することと似ている。人はそういう時代を持っていると人生が楽しくなるものだ。

3) この関係は優れた古典の長篇小説とその関係書に似ているよね。そういう小説には、どんなものがあるかしら。あと、こうした場合に、オリジナルへの良き導入になる漫画とかもいいのがあるよね、『あさきゆめみし』とか。これってこの『王妃マルゴ』の位置づけと何か似ているかも(ここで、こうした考えをこのブログに書きたくなる)。

4) とりあえず長篇小説の件から書いてしまえ

5) あれ、何だか収拾がつかないけれど、まあいいか。

6) ああ、だめだ。まあ、とにかくあれこれ考えるきっかけをくれたかの漫画への賛辞はしっかり書かねば。

 

 こんな感じです。説明になっているかしら? レポートなら「不可」だな・・・

 

 それでもくどくどと二つほど。

 一つは、日本の漫画のクォリティの高さ(私などが語るまでもない)。『王妃マルゴ』はそもそも外国語に翻訳されていないようだけれど、仏訳したら案外売れないかしら? さらに言えば、こうした歴史上重要な時代の物語をしっかり漫画化し、翻訳して「輸出」してみたらどうだろう? 経済効果は「とても高い」とまではいかないけれど、日本のイメージをよくすることには大いに貢献するのではないでしょうか?

 もう一つ。この宗教内乱時代のフランスに関する日本語の読みやすい書物はあまりないと思うのだけれど、それでも二冊は挙げておきたい。一冊は渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』(岩波文庫)。この激動の時代を生きる様々な人々の評伝だが、決して長いとは言えぬ文章の中で、読み手が想像できるように人物を生き生きと活写する筆は本当に素晴らしいと思う。こういう文章書く人、いなくなりましたよね。もう一冊は子供向けなのだけれど、カルボニエという人の『床屋医者パレ』(藤川正信訳、福武文庫)。このアンブロワーズ・パレは近代外科の発展に尽くした人で、血管結紮法を編み出した人物。実際に彼が軍医として従軍したのは宗教戦争より前の時代の戦争だが、それでも読んでいると、時代の雰囲気のようなものが伝わってくる。知らない人物について学ぶときは、とりあえず子供向けの本から入るのもよい。

 

 この項、これにて終わります。しかし、この三回の文章、混乱の極みでございました。最後まで読んでくださった方(もしもいれば)、申し訳ありません。今度からはもう少し構成を考える努力をします(気持ちだけになるかもしれないけれど)。まあ、自分としては楽しかったことを告白いたします。長編小説に関する自分の知識がいかに凡庸であるか自覚することになったけれど、それもまたよし。

 

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