斗酒三十年(五)

 酒を巡る記憶の辿り方としては、ちょっと変わった酒や旅先で呑んだ酒を頼りに過去を振り返る、という方法もある。
 定期的に呑んでいた変わった酒としては、アブサン(absinthe)がある。アニスとニガヨモギなどの混然一体となったあの香りが好きなのだ。ご存知の方はご存知のように相当強い酒だが、私はこの香りと強さをそのまま楽しみたく、ストレートで呑む。先週触れた六つ目の店でたまに締めに呑んでいた。
 締めの酒としては、「ウンダ―ベルク(Underberg)」も十五年ほど前によく呑んだ。先週は触れなかったが、妙齢の女性が経営する狭いバー -Aさんがこの女性をちょっと気に入っていた- で、最後の一杯によく呑んでいた。胃が軽くなるといった効能があるとのことだったが、20mlと少量なので妙に酔いを増すことはなく、独特の苦みはむしろ酔いをおさえるようなところがあった。機会があれば試してみてください。

 先週触れたOさんのお店で記憶に残るものとしては、ラフロイグカスク・ストレングス(Cask Strength)がある。ラフロイグはあの独特の風味が好きなのだが、ある日Oさんに、たまたま入荷したからと勧められて、相当のお値段はしたが呑んでみた。もはや風味などとて覚えていないが、いたく美味しいと思った記憶だけはほのかにある。
 同様に少し変わったウィスキーとしては、ジョニーウォーカーブルーラベルがあった。友人の奥さまのご実家に招かれた席(関係が遠すぎる・・・)でいただいたのだが、あまり味がわからなく、申し訳ない思いをした。美味しいとは思ったが、そこまでとは思わなかったのだ。「猫に小判」の典型であろう。

 

 旅先での酒も記憶に残るものは多い。ここに記すまでもないような、あるいは記すことを躊躇うような記憶を書き連ね始めたらきりがない。
 シチュエーションというのはやはり大切で、京都に住む友人が鴨川沿いの店に連れて行ってくれたことなどが記憶に浮かんでくる。こうした「いかにも」といった経験も、一度くらいはしておくのも悪くない。そうした「いかにも」にあたる経験としては、他に、熊本や鹿児島で呑んだ焼酎というのもある。特に熊本の辛子蓮根と焼酎は絶品の組み合わせであった。今目の前に出て来たら、禁酒をやめてもよい(まあ、いつやめても良いのだけれど)。こんなふうに、食べ物と絡めて書き始めると、富山での白エビと日本酒の取り合わせやら何やらが思い出される。

 海外経験は多いとは言えないが、それでもお酒にまつわる良い思い出というのはいくつかある。
 ロンドンは数日の滞在経験しかないが、訪問時にちょうど父の友人がロンドンにおり、居候させていただいた。この方が酒が強く、既に呑み助だった私に、ビールを冷えたチェーサーにジンを呑む、という荒っぽい呑み方を教えてくださった。あまりに荒いのでその後ほとんど試していないが、気合を入れて呑むには悪くないかもしれない。まあ、これはロンドンとは関係ないですね。
 パリでは、ワインではなくウィスキーに絡む思い出がある。場末のバーで友人とウィスキーを呑んでいて、最後にと思い三杯目を頼んだら、「呑みすぎだよ、やめなさい」といって断られてしまったことがある。酔っぱらいの自己認識なのであてにならぬとはいえ、それほどの酔い方はしていなかったと思うし静かに話していたはずだ。後でフランス人の友人にこの経験を話したら、「そういうことはあるだろうね、多分単純にアルコール中毒だと思われたんじゃないかな」と言われた。それにしても、日本なら恐らくは出すだろうから、彼我の違いが感じられる。もっとも、これも、パリという街とは関係がない話だ。

 「その土地らしい」酒、と言えば、アテネで呑んだ「ウゾ」が忘れがたい。アニスの香り高いこのお酒は水割りにすることが多いのだが、そうすると白濁するところに趣がある。私がギリシアを訪れたのはかの国の金融危機の直後だったのだが、街は生活を楽しむといった趣の人たちで相変わらずごった返しており、多少の違和感を覚えた。もっとも、どれほど危機的な状況であり人の生活というのは続くのであり、そうした賑わいも生活には必要、ということは、私たちが現在進行形で学んでいることでもあるが。何にせよウゾの薫りは、夕暮れのアテネの街の喧騒と共に、記憶に刻み込まれている。アテネと言えば、あとは仕事関係の人との会食の折に外に出て喫煙していたら(当時まだ私は喫煙者だった)、花売りの少女に声をかけられたことがあった。こうした経験は後にも先にもあの時だけだ。彼女はどうしているのだろう、と、知る術もないままに思うことはあるが、それは今日の話題ではない。

 しかし、忘れがたい酒という意味で筆頭に上がるのは、ヴェネツィアの海辺のレストランで呑んだ白ワインである。普通の一番安いテーブルワインだが、そこで、イカ墨のパスタや海鮮サラダ、マルゲリータなどと共に呑んだ白ワインというのが、私にとっては「一番美味しかったお酒」ということになる。これは、お酒のためというのではなく状況や食事によるものとはわかっているが、そう思ってしまっているのだから仕方がない。夕暮れの陽光に包まれた海辺で、妻と幼い娘と一緒に、かすかな罪悪感を味わいながら食事をとりつつ白ワインを呑む、というのは、大げさではあるけれど私にとっては多分最も甘美な経験だったのです。あの瞬間をもう一度味わうためだけでも、ヴェネツィアはまた行ってみたい。

 

 きりがないのでここで止めるが、酒をきっかけに記憶を辿る、というのは、思った以上に楽しい作業だった。様々な友人、知人の顔が、様々な経験やその折の感情と共に去来する。いくつかの断片的なシーンは、その時の会話やその瞬間の感慨と共に心に沈潜しており、多分私の心を去ることはないだろう。こう書いていくと、この三十年、色々とあったが悪くはなかった、というか、そんなことを言ったらバチがあたるわけで、むしろ良いことのほうが遥かに多かった(まあ、普段からそうは思っているのですけれど)。酒は、そうした大切な記憶に伴い、それを強め、時に香りと共にその記憶を蘇らせてくれる。他の人には他の人の事情があろうが、少なくとも私にとっては、様々な大切な人との思い出を彩るものとなっている。
 酒について悔いはない。

 

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