正月に観た映画

※以下、ミュージカル映画をお好きな方にとっては、「なんだ、そんな当たり前のこと」という記述が続きますが、その点はご了承を。

 

 子どもの頃から、ミュージカルにはあまり惹かれなかった。なぜここで歌い出すのか、踊り出すのかわからないという理由が一番大きい。もっとも長じて「雨に唄えば」やら「ラ・ラ・ランド」を観てそれなりに楽しんだのだから、食わず嫌いだった気はある。それでも、フレッド・アステアの映画は長く観ることがなかった。彼の醸し出す「健康な陽気さ」とでもいった雰囲気に抵抗感があったのが主たる理由だと思う。

 しかし、昨年フェリーニの「ジンジャーとフレッド」を観て、「やはり、フレッド・アステアの映画は観ておいた方が良いのだろうな」と思い立った。フェリーニらしい不可思議な世界がマルチェロ・マストラヤンニならびにジュリエッタ・マシーナの哀愁漂う表情と奇妙に同居する「ジンジャーとフレッド」自体、老いることを妙に美化することなしに肯定する素晴らしい映画だと思うのだが、これほどの映画のタイトルになる人々も同じように素晴らしいのではないかと想像したのだ。

 そうしたわけで、まずはまさに「ジンジャーとフレッド」が出演する「トップ・ハット」(1935年)を観たが、期待に違わず素晴らしい。二人の踊りを見ていると、自ずとそのリズムに体が同調し、心もそれに乗って幸福になっていく。こうした映画は、あれこれ言わずに若いうちに観ておくべきだったとつくづく反省した次第(同様の反省は、例えばマルクス兄弟の喜劇を30代後半まで観なかったことなどについてもあてはまるが、そうした反省リストの作成はまたいずれ)。

 もっとも、それ以上に惹かれたのは、「ジンジャーとフレッド」が共演するのではなく、シド・チャリシーがヒロインを務める「バンド・ワゴン」(1953年)。この映画、手元にある名画案内の本での絶賛が心に残っていたのもあり、「トップ・ハット」と同じ時期に観たのだった。しばしば言われるが、主演の二人の夜のダンスへの自然な導入はうっとりするほど素晴らしい。舞台がショービジネスのため、立て続けに登場する歌や踊りも自然に見える、というのも、この作品の強みだろう。ちょっとおとぎ話めいたところはあるけれど、映画の醸し出す幸福感に素直に身を委ねたいというのなら、間違いなくお勧めできる。フレッド・アステアの最良のパートナーはジンジャー・ロジャース、というのが一般的な意見らしいが、エネルギーに満ち溢れたシド・チャリシーの踊りも素晴らしいと私は思う。

 

 さて、ここでようやく正月の映画の話。

 「バンド・ワゴン」は娘も気に入っており、この年始、一切仕事をしないと決め込んだ三が日の二日目、何か映画を観ようということになって、昨年観た「バンド・ワゴン」を家族で鑑賞した。良い選択だったと思う。観終わって「そういえば、アステアとシド・チャリシーは他に共演している作品はないのかしら?」と思って検索をかけてみたところ、「絹の靴下」(1957年)が見つかった。恥ずかしながらこの映画は全く知らなかったのだが、早速購入して1月の三連休にやはり家族で観てみた。「バンド・ワゴン」とはまた別の良さが漂う佳品と思う。こちらは、もとを辿ればエルンスト・ルビッチ監督の「ニノチカ」(1939年)に行きつく。ソ連の女性工作員がパリで恋に落ちるというプロットのこの映画、徐々に恋に落ちていくグレタ・ガルボの表情の変化がとても面白い作品だが、もう10年以上前に幸いにして観たことがあった。そうしたわけで今回は、全く同様のプロットをとる「絹の靴下」で様々な表情を魅せるシド・チャリシーと、記憶にほのかに残るグレタ・ガルボを比べる楽しい映画体験となったのである。もちろん、シド・チャリシーの、スクリーンを一杯に使った見事な踊りも素晴らしい。

 

 あまり、というか全くまとまりはつかないけれど、とにかく良い映画体験であった。上記三作品をいずれも観たことがないという方は、「ニノチカ」「バンド・ワゴン」「絹の靴下」の順序で観てみることをお勧めします(そんな三本立てがあったら楽しかろう)。このことをとにかく書いてみたいのでありました。

 

 最後、余談も余談だけれど、ジャン・ルノワールの「フレンチ・カンカン」、1954年公開なのですよね。あまりそのように考えたことはなかったけれども、時代から見て、アメリカのミュージカル・映画の影響は顕著なのでしょう。

 

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