あの人が何者か、私たちは知らない

 もう少し暖めたいテーマなのだが、他の素材を探す暇もないので、とりあえず覚書程度に記しておく。

 第二次世界大戦中のフランスにおける対独レジスタンスに関わる本をいくつか読んでいる。きっかけはフランスのレジスタンス運動を一つの統一にもたらした功績で知られるジャン・ムーラン(1899~1943)のことをもう少し知りたかった、というもの。しかし、彼の件は他日を期したい。

 ここでは、そうして読んだ本のうちの一冊、ヴェルコール『沈黙のたたかい』(森乾訳、藤森書店、1978年)に触れておきたい。

 レジスタンス文学の傑作『海の沈黙』を執筆し、現在まで続く出版社「深夜叢書 Les Éditons de Minuits」を作ったヴェルコールだが、終戦後二十年以上を経て、自身の第二次世界大戦の時代の経験を回想している(Le Bataill du silence, Presse de la Cité, 1967)。1930年代から終戦までの、フランスの小説家、作家を巡る貴重な証言と言えるが、なんといっても、同時代の人々に関する時に辛辣な批評が印象的である。

 フランスのレジスタンスについては、1944年8月のパリ解放前後から、実際には活動をしていたかはなはだ怪しい人物たちが、「レジスタンス的活動」を始めるようになる。以下、ヴェルコール自身の言葉を引く。

 

「パットン将軍麾下のアメリカ軍がロアール川ぞいに進軍し、もしかすうとパリをめざしていると思われはじめたとき、とつぜん、新しい”秘密出版”の新聞が雨後のタケノコのように輩出しはじめた。だれもが、自分こそ内心レジスタンスであったと思い、自分自身の新しい抗独のための雑誌を出す決心をした。」(同書邦訳、p. 290)

 

 仏語原文を確認してはいないのだが、「自分自身の新しい抗独」の箇所は、"leurs propre nouvelles résistances contre l'Allemagne"だろうか。なんとも皮肉な響きが漂う。こうした人々は「九月のレジスタンス」という、揶揄もここに極まれり、という名称で呼ばれていたそうだが、ヴェルコールのそうした人々への眼差しは当然ながら厳しい。

 彼は、「九月のレジスタンス」の存在に簡単に触れた後、むしろ、苦難に満ちたレジスタンスの時期にこそ、人間の真実と幸福があったのではないか、と言葉を継ぐ。

 

「死、窮乏、かなしみ、友人たちを思っての不安の日々でもあったが、それはまた、幸福な日々でもあった。そういうふうに考えるのは私の恥辱となるだろうか? 共通の不幸のなかにありながら、共通の決意をいだき、私たちがともに感じた熱情、心のもっとも深い部分の高揚、私たちがともに分けあった感情は、まったく純粋で私心のないものだった。そうだ。私たちは胸の奥ふかくに、ゆたかで生き生きしたものをもっていた。それが幸福でないとするなら、なんとよんだらいいのか? いや、それこそこの世界で唯一の真の幸福であることを私は発見したのだ。私たちが愛する人々の心の高貴さを感じ取ること、それこそ幸福なのだ。」(同書、pp. 291-292)

 

 苦難の時期に高貴な志を共にできること、これこそが幸福である、ということは想像できる。そして、こうした言葉は、苦難の時代を生きた人々の証言として残されるべきだと思う。

 しかし同時に私がこの本を読んでいて心打たれたのは、こうした使命のために、敢えて味方をも欺き、ドイツへの抵抗のために、対独協力者の演技をし続けた人がいたことだ。そうした人々は、自身と志を同じくする人からも憎まれ蔑まれるることとなりながら、それを甘受しなければならない。例えばこうだ。

 

「私自身も、ある晩、ビヤホール・リップで友人たちと酒を飲んでいたときの、忘れられない一つの思い出がある。リップにロベール・デスノスがいて、私たちにあいさつするために、わざわざ立ちあがったのだ。ところが彼はそのころ、どいう、もしくは親独の出版社の仕事をしていると、うわさされていた。私はデスノスに握手しようとはせず、ことば一つかけなかった。もちろん、当時の私にはわかるはずもなかたが、じっさいは、彼はこの対独協力をかくれみのにして、秘密抵抗運動をやっていたのだ。そして、その後まもなく、彼の運動は発覚し、彼も裁判にかけられ、強制俘虜収容所送りとなり、チェコのテレツィン収容所に入れられ、そこで死んだのだ。私たちの多くが戦時中を回想して、なんらかのつぐないようもない後悔にさいなまれていることは事実だ。」(同書、p.193)

 

 ヴェルコールは、自身のかっての友人を巡るこのエピソードと悔恨の思いを語った後に、さらに、同じように、あるいはこの件以上に衝撃的な例を語る。やや長いが、そのまま引く。

 

「ある日英国放送を聴いていると、ブルターニュ地方のレジスタンスの闘士全部によびかけた演説があり、そのなかで、レジスタンスたちが何か月も軽蔑し、のろいのことばをあびせかけつづけた一人の英雄の名をあげ、その男の名誉を挽回させてやってくれと放送していた。というのは、その男は有名な土建業者で、秘密裡に英国情報部のためにはたらいていたからだという。生前、彼がドイツ軍に忠節をつくし、ドイツ軍と協力し、ドイツ軍の関心を買うために女のあっせんまでしたというのも、英国情報部の命令に従ったまでだというのだった。だれも彼に挨拶をしなくなり、彼が道を歩くとつばをはきかけるものさえいた。彼の妻までが彼をすてた。最後には、ボディーガードなしいは、うっかり街を歩くこともできなくなった。そしてやっと、英国放送が彼のほんとうの活動を明かし、断頭台で斬首刑となった彼の死を知らせたのである。このような方の英雄的行為は、私などにはとうていできそうもないように思われた。」(同書同頁)

 

 ほぼすべての人にできないだろう。このような行為をなしうる人は、非常に献身的な利他心と使命感と同時に、どこかしら、人に蔑まれることに耐えうる、そして傲慢すれすれといってよい悪魔的なものを抱えているのではないかと思う。悪い意味ではない。強靭な精神を持つ人は、しばしば、そうした精神が示しうる善悪両方の特徴を秘めているように思うからだ。

 まとまりはつかぬけれど、このような使命を果たして死んでいっていた人の内面を思う時、私は、なんとも呼びようのない何ものかに、吸い込まれていくような思いがするのである。

 

M&M's

 

「さくらんぼの実る頃」(Le temps des cerises)

 2月、3月と友人たちとある仕事に集中して取り組み、そのまま新年度に突入してしまったためか、ちょっと疲れている。心に潤いがない感じ。新しい書物や音楽に触れる機会が減ると、やはりこんな感じになるのかしら。この間は、ラジオからブラームスヴィオラソナタ第2番の第2楽章が流れてきて、不覚にも泣きそうになった。泣きそうといっても悲しいわけではなく、むしろ心がほぐされる感じではあるけれど。

 こういう効果をもたらす曲としては、もちろんブラームスも良いが、いくつかのシャンソンも良い。そうした曲の筆頭には、やはり「さくらんぼの実る頃」が来てしまう。凡庸なのはわかっていますが、仕方ありません。

 この曲、私たちの世代はもともと何となく知っていたと思うが、ジブリ映画『紅の豚』が印象的な形で用い、一層心に残る曲となったのではないか。私自身はコラ・ヴォケール(Cora Vaucaire)の歌うものが好きなのだが、おときさんに敬意を払い、彼女の歌う姿の見れるリンクを貼っておきましょう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=qWj-YN-cVFI

 

 ついでに言うと、やはりこの映画で出てきた「時には昔の話を」を聞くと、私はちょっと涙腺がゆるむ―俗情と言われようと。

 

https://www.youtube.com/watch?v=cAHRQYo9ScY

 

 「さくらんぼの実る頃」に話を戻れば、ご存知の方もいると思うが、この曲はパリ=コミューンとの関連が深い。もとは、パリ=コミューン以前に作曲されている曲である。しかし、パリ=コミューンに参加したこの曲の作詞家ジャン・バティスト・クレモンが、コミューンの最後の激戦の時にコミューンの兵士たちと共にすごし、恐らくは犠牲となったルイーズという女性に、後年この曲を捧げ、コミューンの記憶と深く結びついた曲となった。1880年代に出版されたこの詩を収めた書籍で、件の詩に、クレモンは次のような説明書きを加えている(少し自由に訳していること、一部訳に自信がない、というか意味がとり切れていない箇所があることをお断りしておきます)。

 

「この曲は世間に知られているので、私はこれを、思い出とかの人への思いの意味で、ある勇敢な若い女性に捧げたい。彼女もまた、偉大な献身と誇り高き勇気が必要とされたある時代に、街を駆け抜けたのだった。
 次の事実は、決して忘れられない事実である。
 1871年5月28日、パリ全体が勝ち誇る反動的な人々の手に落ちていたが、何人かのひとびとはフォンテーヌ・オ・ロワ通りでまだ戦闘を続けていた。[…中略…]
 11時から正午の間、籠を手に携えた年のころ二十歳か二十二といった若い女性が、私たちのところへとやってきた。
 私たちは、どこから来たのか、何をしていたのか、どうしてこんな危険に身を曝すのか、と尋ねた。
 彼女はごくごく率直に、救護の役を務めており、サン=モール通りのバリケードが占拠されてしまったので、私たちの役に立つことができないかと思って来たのだ、と答えた。
 1848年革命の闘志であり、71年を生き残ることはなかったある老人は、彼女の首に手をまわして抱きしめた。
 実際、何たる素晴らしい献身であったことか!
 当然私たちは彼女を守ることはできないので一緒にいないようにと言ったのだが、彼女は、私たちと一緒にいると言い張った。
 しかも、5分も経つと彼女は私たちの役に立ってくれたのだ。
 仲間のうち二人が撃たれて倒れた。一人は方に、一人は額の真ん中に銃撃を受けたのだ。
 他にも次々と犠牲者が出た。
 私たちが撤退を決めた時、もしも時間がもう少しあったのなら、この勇気ある女性に、その場を離れてもらえるように懇願せねばならなかった。
 私たちが知っているのは、彼女の名がルイーズだったこと、彼女が労働者だったことだけだ。
 もちろん、彼女は反抗した人々、生きるのに疲れた人々と共にいた。
 彼女はどうなっただろうか?
 彼女は、他の多くの人々と共に、ヴェルサイユの政府軍に銃殺されたのだろうか?
 この知られていない英雄にこそ、私は、この書が収めているうちで最も人に知られたこの歌を捧げるべきではないだろうか?](Chansons (5e édition) / de J.-B. Clément, Paris, 1887, pp. 244-245.)

 

M&M's 

 

 

電車に乗って本を読みに行く

 半ば思うところがあり、半ば必要から、昨年11月26日の記事で触れたメリメの『コルシカの復讐』を、所蔵する図書館まで出かけて読んできた。繰り返しておけば、これは、コルシカ島での復讐劇を描いたメリメの傑作『コロンバ』を子ども向けにリライトしたもので、私が子どものころ自宅にあり、その表紙が漠然と心の底に残っていたが、あることがきっかけでその記憶が揺り動かされたわけだ(なお、後から触れたように、私としてはこの本は読んでいるつもりなのだが、その記憶は心もとない)。

 昨年この本のことを思った折には、当然所在を探してみた。一応実家の家族に聞いてみたが、さすがに処分してあるだろう、とのこと。古書店には一つだけ在庫があったが、少々値段が張り、購入は躊躇っていた。後は、地下鉄やらJRやらを乗り継いでいった先の図書館にあることはわかったが、急ぎでもない、ということで、すぐに読みに出かけもしかなったのだ。

 ところが一冬過ぎて最近ちょっと事情が変わり、この本の表紙の写真が必要となったのだ。それでは、と件の古書店から買おうとしたら、ちょうど売り切れてしまっていた。気になって折々チェックはしていたので、正にこのタイミングで売れたことは間違いない。迷った古書はすぐに購入すべし、という教訓話がまた一つできてしまった。写真だけでも良しとすれば、この古書店が掲載してた写真が残っているが、利用を許可してもらえるかもわからない。しかし、件の図書館まで出かければ、写真は私が撮ったものとなるし、実物も四十年ぶりに読むことができる、と思い立ち、出かけることとした。正確に言えば、住まいの近くの図書館に取り寄せることもできたのだが、予め問い合わせたところ、補修やら事務手続きで時間がかかる可能性もあるとのことで、今回は期限があり、出かけることとした。件の図書館に行ってみたかったのもあるが。

 こうして、二年ぶり(!)にJRに乗り、隣町にある図書館まで出かけたわけだ(「隣町」と簡単に書くけれど、それなりの距離はある)。

 

 上に記したように予め電話をしていたので、『コルシカの復讐』は既にカウンターに準備されていた。自分に甘いかもしれないが、司書の方は、とても嬉しそうでいらっしゃったとも思う。日本全国を探しても所蔵館の少ない70年前の児童書を探しに来た人に対しては、そうしたものではないか。今回のこの話、ちょっとアレンジすると漫画『夜明けの図書館』のエピソードに使えるような気もする。「こんなふうに、子ども時代の記憶を頼りに、何十年も前の児童書を読みに来る方はいらっしゃいますか?」とお聞きしたい誘惑に駆られたが、お仕事の邪魔になると思い、やめた。いると信じたい。

 こうして私は、昼下がりの優しい日の光が差し込む閲覧室で、四十年以上ぶりに『コルシカの復讐』に相対することとなったのだった。

 もっとも、正直に言うと、劇的な感動といったものはなかった。ページを繰りながら自分の記憶を探ってはみたが、ああ、確かにこれを読んで時を忘れた、という記憶が鮮やかに蘇ることはなかったのだ。もっともこれについては、「悲しい」ということはない。今回はインターネット上で本の表紙の画像も何度も確認していたし、おおもとの『コロンバ』を既に読んでしまっていたというのもあって、再会の「感激」は薄まったように思う。同窓会で会う四十年ぶりに相手と、直に会う前にZoomで何度も話してしまっている感じだろうか? 時間の関係上、飛ばし読みに近くなってしまったこともあろう。そもそもこの話、いくら子ども向けとはいえ、小学校低学年の私にどこまで楽しめたかは少々疑わしくも思う。だから、読んだとはいえ、話はすぐに忘れてしまい、ただただ表紙だけが心に残ったのであろうか。もしかしたら、この本を読んだという記憶すらねつ造されたものかもしれない(家にあったことは間違いないが)。とはいえ、最後のシーンはうっすらと記憶に残る気もする。いずれにせよ、これを本当に読んだのか実は読んでいなかったのか、確認しようのないことがまた一つできてしまった。

 ただ、この『コルシカの復讐』の表紙はいたく私の心に残り、私の中の何かを決定づけたということ、今でもこの表紙を見ると、子どもの頃に感じた甘やかな「何か」が微かに蘇ることだけは、確かに言える。

 

 最後に一つだけ。

 お目当ての本を読むために電車に乗って図書館に行くということは、若い頃もたまにあった。長じては仕事から、資料を読むために電車のみならず飛行機を使って出かけたこともある。しかし、インターネットによる多くの書籍の画像(テキスト)データ公開が進んでからは、そのように出かけることはとんとなくなった。もちろんそれが悪いなどとは全く思わないが、資料探索・資料閲覧にまつわるある種の情緒がなくなったことは否めない(書いていて恥ずかしいくらい凡庸な感想だが・・・)。

 しかし今回、思いもかけない形で久しぶりに、電車に乗って本を読みに行くこととなった。わざわざ電車に乗ってでも読みに行きたいと思える本があることは、やはり生きていることの幸せに数えてみたい。

 折角なので、写真を掲げておきます。

 

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M&M's

凪のような時間

 この時期、比較的平穏にすごしている。もしかしたら、一年で一番静かにすごしているかもしれない。それなりに様々な仕事があるとはいえ、自分のペースでできることばかりで、関係各所からのメールの量もがくんと減る。名作『動物のお医者さん』で菱沼聖子が「晴れ晴れとした寂しさ」と呼んだ時間を心から味わっている。

 こんな「凪のような時間」を多少の寂しさと共に享受することが、少し前、二十年くらいまではもう少し頻繁にあったように思う。そんな週末が多かった。無為をかこつ、というわけではないが、「あれをしなければ、これをしなければ」と思わせる差し迫った事柄もなく、むしろ「何をしようかしら」と悩むような時間すらあった。

 今はそうしたことは珍しくなった。週末から、「けだるさ」と「さみしさ」が入り混じったような印象が奪われて久しいように思う。週末に行われる催し物(これは、職業上のものも含む)が増えたこともあろうが、大きな理由はメールの生活への介入があると思う。よしあしの問題は別にして、少なくとも私の業界では、土日も結構仕事関係のメールが飛び交う(相互の関係は対等です)。読むとついついレスポンスをしたくなってしまうことも多いし、忘れないように早めに、ということもある。そんなこんなで気ぜわしい週末になってしまうことも多いわけだ。その結果、週末に、「凪のような時間」の「けだるさ」と「さみしさ」を覚えることは少なくなったが、その代わり、失われたものも多いような気もする。日常の仕事における注意深さ、というのは、いつも維持できるものではない。やはり、静かな時間の休養があってこそ、再び活力を得るもののように思う。

 同僚には、土曜日はともかく、日曜日には一切メールを開かない人がいる。以前ユダヤ教徒の人と話していたら、厳格な信徒は、安息日には移動手段も利用しないし、コンピューターのスイッチも入れないという(スマホはどうするのだろうか?)。それはそれで、「休むべき時には休む」という一つの大切な知恵なのだろうとも思う。

 この3月末、一瞬訪れた静かな時間にはそんなことを考えた。適切な時間の用い方だったように思う。今日から新年度だが、この新たな年度、しっかりと休むべき時に休み、あの「けだるさ」と「さみしさ」を然るべく味わう、ということも、目標にしてもよいとも思う。

 

 しかし、書いていて思ったが、「凪」という感じ、形も響きも、美しいですね。

 

M&M's

 

追記:こう書きながらなんだが、コロナ禍状況においては週末の出張が減ったので、以前よりは、「凪のような時間」を享受できる機会が増えた。もっとも、Zoomを用いた催しが一定程度入ってはくるのだが(それはそれで、ありがたくもある)。

エビで鯛を釣る

 以前にも少しだけ関連する事柄に触れましたが、最近出版されたばかりのある本の中で、私の体験を取り上げていただきました。ある「お題」にまあまあ見合う体験をした方、十人ほどのインタビューをまとめたものですが、執筆をした方が私の友人ということで、実現しました。普通ですと、この「お題」を扱うタイプの本に私が登場することはないので、間違いなく「一生に一度」のこととなりました。執筆してくれた友人と、編集者の方には、感謝するばかりです。

 

 こちらの書物の中では私は匿名なのですが、仲の良い知人やら、何かしらの縁のある友人に、宣伝して回っています。そんな中、ちょっと思うところがあり、東京にいたころに通っていたバーの店主の方と常連数人にまとめてこの件をお知らせしたのでした。すると、皆さん、「面白そうですね!」「ぜひ手に取ってみます!」というお返事を早速してくださったのですが、そんな中で、常連だったお一人が、「この本、面白そうですね! ところで別件ですが、実はかくかくの賞を受賞いたしまして・・・」とお知らせくださったのです。恐らくはどなたも少なくとも名前は知っている賞でございます。これにはもう皆さん大喜びで、祝福の嵐でございました。この方、Kさんと私は某SNSで繋がっているのですが、そちらでは何とも書いていらっしゃらなかった・・・ 奥ゆかしいというべきか・・・ 

 私の話はもとの本の著者の方に取り上げていただいた、という話だけですのに、その話で、知人の素晴らしい活躍を知ることができたわけで、まさに「エビで鯛を釣った」気分でありました。

 

 しかし、この件、本当は、「私の知人の~さんに、こんなに素晴らしいことがありましたよ」と笛太鼓を鳴らしながら触れて回りたいくらいなのですが、そうはできないところが匿名の悲しさでもあります。しかも、奥歯にものの挟まったような言い方が続くことこの上ない。この手の話題は、匿名のブログには全く向きませんね。とはいえ、備忘録も兼ねて記させてください。

 

M&M's

『天地明察』を巡って

 時々気晴らしに、無料のマンガを読む。皆さんご存知でしょうが、無料なのはせいぜい最初の数巻で、続きを買ってもらうために無料になっているわけだ。この戦略にもろに乗ることには少々の躊躇いがあるのだけれど、そんな「躊躇い」のために楽しみを減らすのも、と思い、「日本の出版界への貢献」と言い聞かせつつ、続きを購入することもある。場所をとらぬようにと、電子版で購入することも多い。

 タイトルの『天地明察』は、もともとは沖方丁による小説で(2009年)、映画化もされ(2012年)、そして漫画にもなっている(2015年完結)。ちょっとしたブームにもなっていたと記憶するが、当時はいずれにも触れていない。単に関心がなかっただけだと思う。

 しかし先日、冒頭で触れた出版社の戦略にまんまと乗ってしまい、マンガで通読することとなった。全9巻で終わるというのもありがたかったが(先日知人に7SEEDSを薦められたのだが、全35巻というのはさすがに・・・)、何といっても、17世紀冒頭に算術をも用いつつ正確な観測に拠りながら暦を作るというのがどういった作業なのか、せめてそのあらましだけでも感じとってみたかったのだ(もちろん、詳細はわかりませんが)。

 いや、それ以上に、主人公渋川春海の一途な生き方に、心打たれるという部分が大きかった(渋川の一途さについてはここでは触れない-興味をお持ちになった方は、お読みになってみてください)。もちろんフィクションであり、実際の春海が事実そうした人物であったかはわからない。そのことは意識した上だが、一つの事に打ち込む人物に心をときめかせることはなんとも心地よい。恐らく現在私たちが、複数の事務的な仕事の同時並行処理を求められているだろうか、そのゆえに一層、一事に身を捧げる人に、心打たれるのであろう。

 余談だが、こうした「一途さ」で人の心を打つ作品としては、辞書編集の現場を描いた『舟を編む』を思い出す。こちらについては、今度は、小説・アニメは未見で、映画しか観ていないのだが、映画館で観た時に、「俗情に流されているな、オレ」と思いつつ、結構感動してしまった。加藤剛小林薫といった俳優は、「この道一つ」に打ち込む人物を演じさせると、実にいい味を出すと思う。ついでに言っておくと、この映画のヒロインは宮﨑あおいが演じているわけだが、未見の『天地明察』でも、渋川春海を支えるヒロインを演じているのは彼女。「この道一つ」に生きる人の側にいる女性に宮﨑あおいを持ってくるというのは、完全に男性の側のある種の願望を反映していると思う。私、色々と妄想癖はありますが、この願望は共有していない、というか、ちょっと肯けないところがある。

 

 『天地明察』に話を戻せば、この作品のもう一つの面白さは、現在のそれとは異なる算術(数学)と人間との関係を描き出している点にあろう。

 現在であれば、数学それ自体の面白さもさることながら、様々な現象を記述する道具としての数学が重視されると思うのだが、『天地明察』で描かれる算術は、人の生き方」と密接に結びついているように思える。この道に心奪われた人々が、問題を絵馬の形やその他の形で出題し、互いに解き合い、切磋琢磨している。ここにあるのは、武道をモデルとしつつ、算術に取り組むことを人間修行と見なす姿勢ではないか。別にそれをとり戻そうなどと主張したいわけではないが、算数や数学にそうした側面があることは心に留めておきたいとも思う。正確な証明の論理を学ぼうとする気持ちは、世の道理を貴ぶ気持ちにも通じよう。

 ところで、もう一つ思い出したのは、デカルトの話。数理物理学の祖と言って良いだろうデカルトは、渋川春海の父親ほどの世代にあたるが、数学を用いての自然学研究にのめり込むきっかけの一つは、年長の友人ベークマンと知り合ったことであった。この二人は1618年11月10日に知り合ったのだが、きっかけは、道端にフラマン語掲示されていた数学の問題について、デカルトが説明をラテン語でベークマンに求めたことだったそうだ(Cf. G.ロディス=レヴィス『デカルト伝』(飯塚勝久訳、未来社、1998年)、p. 60)。この件、以前から知ってはいたが、イメージが今一つイメージが湧かなかったのである。しかし、今回『天地明察』をマンガで読んだことから、「数学(算術)の問題を道端に掲示する」という件について、だいぶイメージが湧いてきた。洋の東西の違いはあるが、数学(算術)への向かい合い方に、共通点があったのだろうか、と思う。もちろん、デカルトは、こうした数学を一挙に現象記述の手法として磨き上げていったわけだが。

 そうしたことを思うと、優れたマンガ大国日本の若き描き手の誰かが、本格的に若き日のデカルトをマンガに書いてくれればなとも夢想する。ベークマンとの友情と決裂など、波乱に満ちたデカルトの青年期、上手に描くと、予想以上に魅力的な作品になると思うのですが、どうでしょうか?

 

M&M's

言うべきことは言わないと

 ここ数年仕事を一緒にしている人で、ちょっと困った方がいます。私の仕事上のミスを的確に指摘してはくれるのですが、言い方が相当威圧的(「ありえんだろ」「これじゃ先が不安だな」といった言い方)。メンタルが相当強い私でも、ちょっと参ってしまうところがありました。ちなみに、ほぼ完全に同世代。このグループ(先週触れたグループとは違います)には若い人もいるのですが、中には私以上に参っている人もいるようです。

 しかし、仕事は続いていくのですよね。このままじゃこちらのやる気が完全になくなるか、仕事を完全に投げ出ししかないな、ということで、意を決して、抗議のメールを出しました。

 ポイントとして、「指摘の内容は適切だが、その言い方は余りにひどすぎて、感謝の思いが消えてしまう」、「指摘の入った書類を読む気がどうしてもなくなってしまう」、「貴方の言い方は、絶対に過ちを起こさない人間しかしてはいけない言い方だと思う」といったことを書き連ねたわけです。

 こうしたメールを書くと、出してしまった後に、「あれでよかったのだろうか」と少し思い悩むこともあるのですが ー「後悔しない」を格率としているので、悩みを忘れるようにはしますがー 今回は、全く悩まなかった。「書くべきことを書いた」という高揚感の方が強かったです。これで相手がわかってくれないなら、もうこの仕事を降りてもいいな、と思ってもいましたし。

 結局、先方から謝罪のメールが来ました。様々な指摘自体は正しいので、こちらも「諸々の指摘には感謝しています、今後もよろしくご指導ください」とお返事し、一応は手打ち。言うべきことを言っておいてよかったな、と、あと、相手が「言える」相手で良かったと言うところもあります。人生、生きていると、「言うこと」すら、もう完全に諦めたくなる人もいますから。

 「言い方」に重きを置くことには慎重なのですが(「そんな言い方じゃやる気でないよ」というのは、言い訳の定番ですから)、そうは言っても、やはり人の志気を高める言葉、低める言葉というのはあるものですね。自戒の念を込めて、記しておきます。

 

M&M's