子どものころに読んだ物語が、大人になっても、折に触れて思い出されることがある。そんな話の一つ。
雪がしんしんと降りつもる街を歩き、道行く人の足跡がすぐにその姿を淡くしていくのを見ていると、ぼんやりと「あとかくしの雪」を思い出す。旅人のために庄屋の畑から大根を盗んだ老女の、畑からくっきりと残るその家まで続く足跡を、一夜の雪がかき消してくれる、というあの話である。
この話、子ども心にも何かしら言い知れぬ情緒を残すものだった。世の中には時に、あるいはやむにやまれぬ事情でなされる罪、あるいは他人のためになされる罪といったものがあり、それらをそっとかき消すことも人の情に適うことを、この話は教えてくれたように思う。静かに降り積もる雪が「罪」を象徴する足跡を消していくという設定も、典型的なものとはいえ、子どもに文学的なメタファーの基本を教えるものであろう。
あるいは今ならばこの話は、「コンプライアンス違反」と言われてしまうのだろうか? どのような時代になろうと、この話の情緒を大切でする世の中ではあり続けてほしい。どんなに心の荒んだ人であれ、この話には微かにでよいから心動かされるようであってほしい。
ところで記憶にはやはり変形が加わるもので、これだけ心に残るものでありながら、この物語、正確には覚えていなかった。世の中便利なもので、「あとかくしの雪」で検索をかけると、正確な物語がすぐわかる。するとわかったのだが、足跡がくっくりと残るのは、土地が火山灰に覆われていたからなのだ。私はてっきり、雪に覆われていたと思っていた。しかし日常的に雪が降っているならば、足跡を隠す雪が一種の奇跡(恩寵?)であるという効果が薄れる。だから、「火山灰」である、というのは重要なのだろう。もっとも視覚的には、土地が雪で覆われている方が美しいようにも思うが。
余談だが、私の記憶の中ではこの話、なぜか「かさこ地蔵」とまざりあっていたことが今回わかった。実のところ二つの話をまぜることはどう見ても無理な話なのだが、私の中ではなぜか淡いイメージの中で、この二つの物語が切り離しがたく結びついているのだ。
東京暮らしのゆえに子供のころはあまり触れることのなかった「雪」が、恐らくは触媒になっているのだろうか。
M&M's