ちょっと前にとある場所でインタビューを受けました。あるテーマに見合った体験をした人のインタビュー集、ということで、これをまとめた本が3月に出ます(直接のお知り合いの方には、そのうちお伝えします)。
インタビューは昨年11月、時節柄、Zoomを用いて行われました。執筆者のAさんと編集者のBさんとが私に色々と聞いてくださり、それに答えていく、という普通の流れですね。お二人とも「聞き上手」で大変楽しくお話できました。
さて、先日私の部分のゲラが編集者のBさんから送られてきました。私(M&M's)が語っている、という形で、Aさんがまとめてくださっているものです。一応の校正を依頼されたわけですね。文章自体は肩の凝らないもので、そのままでもほとんど問題ないと思ったのですが、多少とも文筆に携わる私としては、どうしても「ここはこうした方がよいだろう」とか、「このままでは読者にわかりにくいだろう」といった箇所が出てきます。そんなこんなで相当に変更案を出して返送しました。
もっとも、こうした作業は難しいですよね。私が語っているとはいえ、文章はAさんのものでもあるわけです。これに「ああしてほしい」「こうしてほしい」という権利が、一体私の側にどれくらいあるものか? 悩むところはありましたが、名前が出ないとはいえ(今回は匿名です)、自分が関わる文章については、やはり納得のいくようにしたいとも思う。大げさに言えば、ちょっと引き裂かれたような気持ちで作業をしました。
そして、月曜日にゲラを返送したのですが。案の定(?)、Bさんからは今のところお返事がない・・・ もしかしたらBさんか、はたまたAさんが気を悪くされてしまったかしら、と、少々恐れているのですが、仕方がありません。じっとお返事を待つことといたしましょう。
少々話が飛躍します。
インタビュー、ないし類似の作業の難しさはありますよね。だいぶ以前にですが、インタビュー仕事をしたことがあるので、そうした苦労も、想像できなくはありません。
そういえば、インタビュー仕事とは違うのですが、こんなことがありました。私は日本のとある物故して久しい有名人(X氏としましょう)の業績を外国で紹介したことがあります。その際に、報告も兼ねてX氏の周辺の人に念のため連絡を取りました。そうすると先方から、発表後にですが、原稿を送ってほしいという依頼があり、お送りしたところ、「X氏のこれこれの面には触れてほしくなかった」との返事があったのです。この件は、X氏が自身の著書の中で触れていて、かつX氏を知る方には周知の事実であるにも関わらず、です。愕然としました。ただ、そのことがあって気持ちが萎えてしまったのか、件の発表を活字にするには至っていません。指摘のあった点に触れたところで法的にも倫理的にも何の問題もないと思うのですが、ちょっと気持ちが後ろ向きになってしまうのですよね。私は、かの方々の要望が適切だとは思っていないのですが、とはいえ現に生きていてX氏を直接に知る方々が、X氏のこの件に触れてほしくない、と言っていることに引っ掛かりを感じるのです。もちろん、歴史的事実だから冷静に述べれば良いのですが、これまた「引き裂かれたような気持ち」にもなるのです。
インタビュー一般の難しさについてあと一言(これは私の今回の経験とは全く無縁のものです)。
インタビューの難しさは、インタビューを受けた人の「自己理解」とインタビュアーによるその人についての「理解」とがかけ離れた時に、一層際立つように思います。「私はこんな人間ではないはずだ!」と言われてしまうわけですね。インタビューを受けた側の自己理解が単なるナルシシズムに基づく場合は、せいぜいのところ出来の悪い喜劇になるだけですが、そうした「自己理解」が何かしらの哀しみをたたえたものである場合、インタビューは人間の本質を幾重にも抉り出すという意味で悲劇になっていく。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの原作をもとにした漫画の方の『戦争は女の顔をしていない』、こちらの第2巻に収められた第11話「母のところに戻ったのは私一人だけ」は、そうした悲劇の典型のように思います。独ソ戦の戦線で戦ったニーナへのインタビューをもとに、語り手は、戦場において様々な感情 -多くの哀しみや苦しみとその合間に訪れる喜びや笑い- を生きる一人の女性としてニーナを描き出します。しかし、語り手がニーナに送った原稿は、原型をとどめぬほどに添削されて戻ってきたそうです。そして、とある、戦場での「性」を巡るエピソード(ニーナが、死ぬ前に一度女性を経験したいとある男性に迫られ、拒否するエピソード)については、「私は息子にとって英雄です 神様です こんなのを読んだ後であの子がどう思うか」というメモが書き込まれていたそうです(同書、p. 155)。
ニーナがどのように自己を理解しているか、そしてなぜ、彼女が生きていくためにはそうした自己理解が必要だったのか、贅言を費やすことはいたしません。関心を抱かれた方は、当該箇所をご覧ください。インタビューの難しさを思う時、私はいつもこの話を思い出すのです。
M&M's