偶然でもあり必然でもあり

 私にとっては嬉しい経験なのですが、ちょっとごちゃごちゃした話です。最初に登場人物を簡単にご紹介。

 

Aさん:日本人女性。海外某都市在住。私たち家族が件の都市に住んでいた時、お互い子どもを遊ばせていた公園で、偶然知り合う。私たち家族に大変親切にしてくださる。現在、相変わらずその某都市に住みながら、再び大学院に入って某分野で勉強中。

Bさん:M&M'sとは長年の付き合いの外国人研究者。M&M'sとは今でもメールのやりとりあり。

Cさん:同じく長年の付き合いの外国人研究者。M&M'sが最後に直接お会いしたのは、上の某都市で6年前のこと。

 

 さて、三週間ほど前でしたでしょうか、メールでBさん主催のシンポジウムがあるとの報せが入ったのです。時節柄、Zoomでの開催とのこと。私は自分の仕事の都合で参加できないことはわかっていたのですが、漠然と、発表者のリストに目を走らせていた。すると、Aさんの名前が飛び込んできたのです。Aさんが大学院に入り直し勉強を着々と進められていることは既に聞いていたので、所属・テーマからしても私の知っているAさんであることは間違いありません。

 驚いてAさんに連絡をとったところ、Bさんと直接の知り合いというわけではないのだが、様々な偶然からこのシンポジウムで発表をすることになったとのことでした。

 上で述べたように、私は彼女の発表を聞くことはできませんでしたが、発表後すぐに、Bさんを巡る感想(自分の発表に対して色々と質問をしてくれたことへの感謝など)を送ってきてくださいました。皆さんにも経験のあることと思いますが、自分の見知った人々が、自身とは関わり合いのないところで知り合うことには、何か人を感動させるところがあるように思います。ちょっと大げさですが、世界の繋がりの偶然性に思いを致すような気持ちになるのですよね。

 

 そうしたら数日後、そんな感動の余韻も冷めやらぬ(←大げさ)うちに、Aさんからまたまたメールがあるのです。内容は、「今度、指導教員の紹介でCさんという人と会うのだけれど、もしかしたらジャンルの関係からして、Cさんのことをご存知では?」という内容でした。「ご存知」も何も、私はCさんのお仕事はよく存じており、私の住む街にご招待したこともありますし、私がCさんの住む某国某都市を訪れたこともあります。かなり親しいと言っても、大げさではないでしょう。

 Aさんには、その旨お伝えし、「それが適切な場合があれば、Cさんとの会話のネタとして、私の名前を使ってくださいませ」と付け加えた次第です。

 そんな次第で昨日、Aさんから、Cさんとの会談報告が届きました。もちろん会話の内容はAさんの専門を巡るものが中心とのことでしたが、最初に私の名前を出したことで、スムーズに会話が進んだ部分もあったようです。社交辞令ではないと思いたい・・・

 

 うまくお伝えできているか心もとないのですが、立て続けに起こった二つの出来事に、なんだかとても感動したのですよね。上に書いたように、親しい知人が私の知らぬ場で出会う、という事態に、既に何か感動的なものがあると私は思っているのですが、それがこのように立て続けにあると、思いも一層深まる。

 「偶然」の連続、という言葉も発したくなる。六年ほど前のあの日、秋晴れの午後の海外某都市の公園で子どもと遊んでいた私に、可愛らしい、まだ歩き始めたばかりのお嬢さんを連れたAさんが「日本人の方ですか?」と声をかけなければ、あるいは、Aさんが「やはり勉強を続けよう」と思い、大学院に進むということがなければ、こうしたことはなかったわけです。

 しかし他方で、Aさんが大学院で勉強を進めようと決意した時、正確を期せばBさんはちょっと微妙なのですが(彼の専門はAさんのそれとは相当違うので)、Cさんと知り合うことは必然だったとも言える。だから今回の、私にとって嬉しいこの「偶然」は、「いや、これはやはりAさんが勉強をしよう」と決意なさっていた時から、決まっていたことなのだ」と言いたくもなる。

 大切な出来事、印象的な出来事というのは、「偶然でもあり、必然でもあり」と呼びたくなる様相を帯びますが、今回の件、私には直接かかわらぬとはいえ、何かそうした世界の不思議さのようなものを思い出させることでありました。

 Aさんが、BさんやCさんとの繋がりを、ご自分のために生かしてくださることを願ってやみません。

 

 しかし、こういうことって、思いも含めてうまく伝わるように書くのはなかなか難しいものです。悪文、ご容赦ください。

 

M&M's