心理観察の機会なのだな、と

 三日遅れの月曜日にこの記事を書いています。ある仕事の佳境で忙しいことと、ヨーロッパ在住の方との遠隔飲み会で時差の関係上朝の2時半まで起きていた日があったことから、ついつい遅れてしまいました。後者は理由になっていませんね。すいません。

 三日遅れていた今日、月曜日、「大丈夫か?」と生存確認メッセージをくださった方がいました。ありがたいことです。とはいえ、「生きてるよ、忙しいだけ」と返したら、「ならよし」とみのお返事がありました。いや、もう少し私に興味をもとうよ。「どうしたの? 何で忙しいの?」とかさ(笑)。いやいや、生存確認メッセージをくださるだけでも感謝しなければなりませんね。

 

 

 それはともかく、周囲の状況が一気に厳しいものとなってきています。予想していたのですが、思っていたよりもペースが早いな、というのが、偽らざる感想です。ただ、なんというのでしょうか、心理的にびくびくしていないのですよね。やけのやんぱちもあるのかもしれませんが。大きくは二つ理由があるのかと推測しています。

 一つは、ほぼ間違いなくそうなるだろう、と予想されていた事態であること。あたりまえのことですが、人間は、予想していた事態については、それなりに大変なことあっても、心理的な衝撃が弱くなるようです。

 もう一つの理由は、それなりに対処をしている以上、もうこれ以上気にすることはないし、然るべきことを守りながら平常心でいるのが吉、その上で感染したらその時はその時、と、無意識に割り切っているのではないか、というものです。

 もちろん、多くの方の努力のおかげで治療法がかなり進んできたこと、ここまではとりあえずしておきましょう、という線がかなりはっきりしてきたことがあるでしょう。

 

 多くの方がそうだと思うのですが、私自身、ここ半年ほどの心理の変化は実に興味深い。半年ほど前は、感染状況などははるかに緩やかだったのに(まあ、後付けですが)、今よりずっと恐怖に苛まれていた。今のほうが、多少の鈍感さも含みながらも、平常心に近い、というか、気をつけつつ今できることを淡々と、という思いが強まっています。今後状況はさらに厳しくなるでしょうが、これから数か月、私自身の心理はどんなふうに変化していくのか、これを見極めたいという、どこかとても冷静な気持ちがあります。

 結局、流れていく時間の中で、然るべく丁寧に生きていくしかないのですよね。とはいえ、我が生涯のうちで、美しき晩秋のうちに春を待ち望むことになるとは思いもしませんでしたが(苦笑)。

 皆さまもご自愛ください。

 

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