マンガ「ドラゴン桜」を巡る雑感

 「ドラゴン桜」と言えば、20年ほど前に話題になった、落ちこぼれの高校生が東大を目指すマンガ。当時私も、連載とほぼ同時に読んでいたという曖昧な記憶がある(あのころは『モーニング』は毎週読んでいたような気がする)。

 このマンガ、よく言われるようになかなか本質的なところをついている。もちろん「学び」の本質を「受験勉強」にのみ集約してしまう憾みは残るが、それでも、社会の構造に関する冷徹な指摘や、無責任な理想論を排する姿勢には学ぶところが多い。目標に向かって生活を効率的に整えることを意識する姿勢にも、教わるところがある。少々「効率」が強調され過ぎているきらいもあるが、そのあたりは、読者が自分の姿勢や考えにあわせて調整すれば良い話だろう。

 このマンガ、幸福なことに、今でもビジネス雑誌などでたまに引用されている。そうした記事を半ばノスタルジックに読んでいると、家人が「なるほど、こんなふうに考えればいいのね」とかなり感心している(家人はこのマンガを知らなかった)。そんなわけで、これに出てくる様々な勉強法のことを折々話しているのだが、ある日家人がふと、「しかし、これだけ本質的な勉強を教えるマンガが爆発的にヒットしたのに、なんでみんな、この本に学ばないんだろうね」と言った。なるほど、なかなかいいところをついているように思う。

 このマンガ、例えば「音読」の重要性を説く箇所があったと記憶する。なるほど、読んだ人は「そうかそうか、音読が大事なのか」と思うだろう。しかし、実際にこれを実行している中学生や高校生はどれくらいいるだろうか。販売部数から期待されるほど多くの子どもがこれを実行しているとは、どうも思えない。そうであるなら、この国の国語力は、もう少し高いものなのではないか、などと、黒いことをふと思ってしまう。

 結局、多くの人は、「適切な手法」が世にもてはやされるなら、これを称賛することはいとわないのだが、しかし実際にこれを実行するとなると、腰が引けてしまうのだろう。これは、勉強法に限らぬ真実だし、類似の事例は山ほど浮かぶ。

 しかし、本質的な勉強法というのがあるのなら、大切なことは、これを称賛することではなく、実行することだろう。

 いくつか新たに学び直したいこともある中で、自戒をこめて記しておく。

 

M&M's

 

(4月25日記)