斗酒三十年(一)

 酒量を誇るような稚気あふれる言動はしなくなって久しいが、それでも書いてしまえば、酒は恐らく相当に強い方だ。そもそも酒なり酒場といったものとは相性が良いように思う。

 このようになったのは、父の影響が大きい。亡くなって久しい父については、思うところが全くないとは言わないが、総じては良い思い出が多い。明るい人であった。そして酒が好きであった。仕事上の付き合いを理由としていたが、たいてい毎日行きつけの店で飲んでいた。緊張を要する仕事だったので、疲れを酒で流すようなところもあったとは思うが、そもそも酒が好きでなければそうはならない。日曜日は昼から、少々であるがビールを嗜んでいた

 根っから酒席が好きだったのだろう。冠婚葬祭で親戚と会う時は、葬式の席を別とすれば、とても楽しそうであった。騒がしいことを嫌う祖母(父の母)が旅行で不在の時に限られていたが、仕事関係の人を呼んでの宴会を我が家で催すこともあった。だから、私は子どものころから、大人になれば酒を呑むもの、行きつけの店を作るものとばかり思いこんでいた。よかれあしかれ酒に寛容だった昭和の雰囲気に、どっぷりと浸かっていたのである。

 人好きという意味では、父は、私が長じて友人と家で呑んでいるとその席に入ってくるような人であった。既に少々酔って帰宅し、私たちが呑んでいるのを見つけると、「息子がいつもお世話になっています」と言いながら入ってきて、いつの間にか腰を落ち着けてあれこれ話しているのだ。少々気恥ずかしいながらも、悪い気はしなかった。父の弔いの席で、高校時代の友人Sが、「お前のお父さんは、本当に明るい人だった、お前の家で俺たちが呑んでいると入ってきて、いつもニコニコしていたな」という言葉をかけてくれたことは、今でもその時のやや雑然とした席の雰囲気と共に、思い出す。心を和らげてくれる言葉だった。Sには、私の結婚式のまさに新郎新婦の入場時、初めて私の妻を見て皆さまの前で発してくれた、「M&M'sがなんでこんな美人と!」という歴史的失言(名言?)があるが、それでも彼のことを憎めないのは、あの席のこともあるからだろう。

 

 父がこのようであったこともあり、然るべき年齢になると、当然の如く酒を呑み始めた。酒自体を美味しいと思うようになるまで時間はかからなかった。上で記した父の性格を受け継いだのか、恐らくは、明るい酒だったと思う。

 この時期の酒にまつわる良い思い出は、初めてのカクテルを巡るものだ。当時お付き合いのあった私よりやや年長のご夫婦と、上野にコンサートに行ったと記憶する。コンサートの後は、簡単な食事をしたのだが(確か、若者にはぜいたくといって良い焼き肉屋に連れて行っていただいた)、その後さらにご夫君が、「M&M'sくんはまだ若いから、カクテルなんかあまり呑んだことはないんじゃないかな、よかったら一杯どうだい?」といって連れて行ってくれたのだ。確か、マティーニを二杯飲んだはずだ。店の華やかな雰囲気と、初めてのマティーニの強烈な味に幻惑されたと思う。連れて行ってくださった方の落ち着いた話題豊富な会話もあって、大人の世界を垣間見る思いのする経験だった。初めてこうした店に行くときに、安心して何でも聞くことのできる年長者と行く、というのは、大切なことと思う。

 カクテルと言えば、この件の少し後だったか、友人の母と呑んだこともあった。気が合ってよく遊んでいた高校時代の友人の一人にIがいる。彼の家が私の大学に近かったこともあり、たまに遊びに行くこともあった。I自身がいなくても、お父さんかお母さんが私の相手をしてくれた。お父さんが私に囲碁を教えてくれたものだった。思い返すとありがたいとしか言えぬ歓待ぶりだ。ある時、ふらりとIの家に遊びに行ったのだが、彼はいない。お母さんが「まあ、とりあえず上がっていきなさいよ」というので遠慮せずに上がってあれこれお話をしていると、ふと思い立ったように、「どうせあの子帰ってこないから、二人で呑みに行こうよ、デートしよ、おごってあげるから」とおっしゃるのだ。かくして、二人して出かけたのであった。その席では「普段と違うお酒を試してみたら」と言われ、ロングアイランドアイスティーを試したのだった。いたく長い印象的な名前で、友人の母親とバーで呑むことの背徳感(?)と相まってよく覚えている。

 

 少なからぬ人がそうだと思うが、酒の席を思い出すことには、自分の人生を振り返り、「昔の人」への思いを新たにするようなところがある。

 私にマティーニを教えてくれた方は、数年の後に、不慮の事故で亡くなった。仕事のため通夜にもお葬式にも出席できず、せめても、ということで、お通夜の前にお宅にお伺いして最後のご挨拶を済ませてから、随分時が経つ。奥さまとはその後も少しお付き合いがあったが、やがて間遠になっていった。何年か前、お元気かどうか、インターネットで検索をする誘惑に抗えず、お名前をキーボードに打ち込んだことがあり、今、とある地方でとあるお仕事に就いていることはわかっている。私の人生にとっては大切な方なので、連絡をとりたくもあるが、相手がお喜びになるかわからず、手紙をお送りするに至っていない。

 Iとは付き合いが続いている。とはいえ、最後にゆっくりと話したのはもう五年近く前になるだろうか。囲碁を教えてくれたお父さまは亡くなって久しい。お母さまには、やはり五年ほど前に一度お電話をしたが、その後お元気だろうか。

 

 構成も考えずに書き始めた結果、完全な独り言になってしまいました。オチもありません。読んでくださった方、申し訳ありません。

 書き始めた時に「長くなるかもしれない」とは予感していたが、的中した。本当は適当に短く切り上げるのが良いのだろうが、字数に上限のある依頼原稿のわけでもなし、好きに書くこととしたい。とはいえ、まあまあの長さになってきたので、ここで一度切り上げる。この項、続きます。

 

M&M's