アルバイトの思い出 (1)

 先週、私の過去のアルバイトに少しだけ触れました。思い返すと、結構色々なアルバイトをしてきています。さすがに「奇妙な仕事」の類いまではしておらず、塾の講師やら家庭教師といったもの多いのですが、それでも、他にも相当の種類のものをしてきました。男子校出身者は一般に、少しワルぶりたい傾向があるものですが、色々なアルバイトをしたい、というのもそれと似た心から来ているように思います。

 そうした自分の過去のアルバイトについて記し、自分の思い出を確認したり、またその仕事が自分にどんな影響を与えているか分析することは、少なくとも私自身にとっては意味があるでしょう。「こんなアルバイトがあるのか」と読者の方が思うこともあるかもしれません。それになんといっても、薬にもならないが毒にも決してならぬ、そんな話題もこんな時期には良いかと思い、記してみることとしました。すべて書くと凄まじい量になるので、とりあえず(1)とつけました。毎週の連載を狙っているわけではありません。とはいえ気が向いたら(2),(3)と時々続けてまいります。

 

 私の最初のアルバイトは、細かくは、実は中学校一年生の時に家庭教師をしたものですが(書いていて思い出しました)、これは知り合いに頼まれたものなので省けば、高校時代のものです。それなりにアルバイトをしたかった私は、友人とファストフードのアルバイトの面接に訪れ、親の許可がいることを知って愕然とするなどしていました(親はアルバイトを許可してくれる人ではありませんでした)。はてさて困っていると、仲の良かった生活能力の極めて高い友人(今は、泣く子も黙る大手商社で大活躍しています)が、「M&M's、親の許可のいらないアルバイトがあるよ、やってみないか」と言うのです。話を聞くと、野球場のビール売り。面白そうなので二つ返事で引き受けました(本当は親の許可が必要だったのかもしれませんーもしそうなら問題なしとはしませんが、30年以上前のことですのでお許しください)。

 システムは大体以下の通り。16時30分くらいに球場に行き、登録すると、20本入りのビールケースを持って、17時すぎくらいから売りに出ます。20本売り終わると、ベースに戻り、新たに20本持って売りに出る。これの繰り返し。基本給が幾ばくかあり、後は歩合給でした。大体20時30分くらいにあがる、そんな感じです。工夫をすればそれなりの高収入です。やりがいもありますし、時に終わった後に友達と遊びに行くのも楽しいことでした。野球は好きでしたが、仕事をさぼってまで観たい、というほどではなかったのも良かったのでしょう(時々、サボって観戦しているアルバイトが、むちゃくちゃ怒られていました)。

 ちなみに親には、私が通う高校の系列の大学の図書館で勉強している、と言っておきました。私自身が図書館が好きなのはよく知っていたので、一応信じる振りはしてくれましたが、半信半疑だったかもしれません。どう思っていたのか、そのうち聞いてみようかとも思います。

 

 さて、仕事自体に戻りましょう。工夫はやはり必要です。歩合給ですから、一人客よりもグループ客が良い。今はわかりませんが、その頃の野球場は職場のグループ、あと小企業の社長とおぼしき方が社員の慰労でつれてきているといった感じのグループがよくいました。7~8人から多い時は15人くらいでしょうか。そうした方々がいてビールを飲みそうだと思うと、頃合いを見てそのあたりに行くのです。そうすると「おい、兄さん、ビール頼むよ、10杯ね」などと声がかかる。大体その場のボスの方が仕切っているので、ビールを注ぎながら、「同じ職場ですか」とか「社長でいらっしゃるんですね、すごいな」とか、「こんなふうに部下の方を球場に連れていらっしゃるなんて素晴らしいですね」などと言うのです。そうやって好感度(?)をあげて、「良かったら次も僕から買っていただけないですか? 30分後くらいにまた来ますよ」と持ちかけるわけですね。今から思えば、高校生の小賢しさなど見抜いていたでしょうが、こうした方々は、そうした「小賢しさ」をいなしつつ付き合うのも嫌いではないようで、「よしわかった、また後でおいで」などと言ってくれる方が多くいました。こうしたグループが一日に二つ三つできれば、もうその日は安泰です。まあ、大人になれば誰もがわかる商売の基本のような話ですが、高校生でこの技術を学んだことはちょっと楽しかったし、また、微妙に自分のプライドをくすぐるものもありました。

 もちろん小グループも大切にしていました。同じように、「後で来るので、また僕から買ってくださいね」とお願いしておくのです。好きだったのは、やはり、もうすぐ結婚するかしら、という感じのカップルですね。恋に憧れる高校生男子としては、そうしたカップルが楽しそうなのがまぶしく、またそうした方々と僅かなりとも他愛のないおしゃべりをするのは、普段の生活ではなかなかないことだけに、一層心暖まるものでありました。

 こんなふうに思いだすと、「大人としての感情」のようなものの幾ばくかを、私はやはりあの、球音と歓声響く夏の夜の球場で学んでいたのだな、と、少々感傷的になるのです。

 

 ビール売りのアルバイトにまつわる思い出をあと二つほど。

 一つは、「微妙に奇妙な」仕事です。ある金曜の夜、一人客の方にビールを求められ注いでいると、「君は高校生か?」というのです。「はい」と言うと、「働いているんだからお金がほしいんだろう、いいアルバイトがあるけれどどうだ?」と言うのです。どう見ても怪しい世界への入り口っぽいので(笑)、一瞬躊躇っていると、「いや、危ないやつじゃない。JRのS駅の電車の車庫の床を壊して掃除してくれればいい。友だちと一緒でいいよ。明日の午前だ。半日で済むと思うけれど20,000円だよ、どう?」と言ってくるのです。友だちと一緒でJRの駅なら大丈夫かと思った私は、友人を誘い、翌土曜日は学校に行く振りをしつつカバンには作業用の着替えをつめて家を出ると、そのままS駅に直行したのです。そして、前日の男性と落ちあい、言われた通り、S駅の車庫の床のアスファルトを壊してまわり、これを片付けて、確かに正午ごろには仕事を終えて、20,000円をもらい、そのままS駅を後にしました。これですべてです。あれはなんだったのだろう、と、今でもたまに思い出します。

 もう一つはもう少し甘酸っぱいやつ。ビール売りは、六大学野球の時も、場所の制限はありましたが、行われていました。さて、その頃私は、二つ上のある女性に憧れていたのです。優秀だった彼女は六大学のうちの某大学に現役で入学し、応援団に入ったのでした。大学生になった彼女と会う機会がほとんどなくなっていた私は、彼女の姿を見るために、高校三年の受験生にもなっても、何度かこのビール売りのアルバイトに出かけています(ちなみに歩合給である以上、六大学では儲けは圧倒的に少額でした)。ビールの売り子は、学生の席に入ることはできないので、かの人を遠くから見て嬉しく、そしてちょっと悲しく思うことしかできなかったのです。とはいえ、なぜだかわからないのですが、なぜか微かに甘やかな気持ちになる思い出ではあります。夏の陽光の下、凛としてブレザー姿で楽器を吹く憧れの人を見る、というのは、書いていて気恥ずかしくはありますが、それでも、大事にしたくなる思い出です。

 なおこの憧れの方とは、数年前、25年ぶりくらいで思いもかけぬ偶然から再会しています。幸せにお暮しとのことで、嬉しく思った次第です。あまりに凡庸な言葉ですが、他に書きようがありません。お許しを。

 その再会の経緯については、折りがあればまたいずれ

 

 M&M's