買うべきか買わざるべきか

 この人の本は買い揃えておこうと考えている文筆家が、何人かいる。一気にコレクションを完全にしようというのではなく、折々、そういえばと思い出した時に調べて購入したり、古書店で目についたときに、「それならば」と買っていくといった具合で、ゆるゆると買い揃えていくことにしている。

 そうした文筆家の一人に、書籍に関するエッセイや周辺の人物評を集めた、三冊の随筆集を出している方がいる。いずれも、淡々とした筆の運びが涼やかな文章を落ち着いた装丁に収めたもので、いかにも書物らしい薫りが漂っている。この三冊の書物のうち、二冊は、だいぶ以前に、私が今住む街にあった昭和の薫りを残す古書店で手に入れ、折々ページを繰っていた。しかし残る一冊については、別に稀覯本というわけではないのだが、なぜかそのままにしてしまっていた。古書店で目にすればすぐに手に入れただろうが、あいにくそうした機会にも恵まれなかった。

 先日、書棚の整理の最中、この三冊目が手元にないことを思い出し、それほど高いものではないしと考え、「日本の古本屋」で検索してみると、私の住む街の某古書店で安価に購入できることがわかった。早速註文、翌日には到着したが、古書店主が言っていた以上の美品で、私の書棚には件の三冊が揃うこととなり嬉しく思っている。

 ところでこの検索の過程で、この方には、他にも一冊、同じようなタイトルの書物があるとわかった(書き忘れたが、上の三冊はタイトルの冒頭二文字が同じで、この新たなに見つけた書物も同様)。初めて見る題名だが、知らないはずはないと思い、細かく見てみると、なるほど初見であるのも当然だ。紹介の欄によれば限定百部、署名入り、箱入り、極美とのこと。著者が自身の趣味に従って贅を尽くして作り、親しい方に配ったものであろう。インターネットに件の書物のタイトルを打ち込んでも、上の「日本の古本屋」のただ一つの情報を除いては、何もわからない。滅多に古書市場にも現われないものだろう。

 お値段は当然する。三万円だ。ただし、何たる偶然か、私の家から歩いていけなくもない距離の古書店にある。この書物の珍しさを考えれば、素晴らしい巡り合わせではないだろうか。日本に百部しかない、それなりに高名な著者の私家版の書物が、すぐ近くにあるのだ。

 しかし三万円である。

 だが私の手元には、今、皆さんの多くにも届いた例の思わぬ不労所得がある(海外在住の方、すいません)。これは趣旨からして、国内のために使うべきと心得、現在何のために使うか思案している。つまり、できるだけ生産、流通にこの国の多くの人が関わるようなものの購入(ないし消費)を考えているところだ。

 この本の購入はこの基準に合うだろうか? 合うような気もするしそうではないような気もする。要らぬことを言いだせば、私の見るところ、この古書店主は店舗の入って居るビルのオーナーのようだ。このお店、比較的一等地の十階建てくらいのビルの一階に入っている。こうした立地を考えると、収入には困らぬビルのオーナーが道楽でしている店かもしれない(古書店としては良い店であることは付け加えておきます)。だが、例の不労所得は、もっと経済的に大変な思いをしている人のために使われるべきではないか? いや、そもそもこの書物の購入については、例の不労所得と切り離して考えるべきなのだろうか?

 こうして今の私の頭は、件の文筆家の方の清雅な雰囲気には似合わぬ、なんとも俗なことばかりで頭が一杯になってしまったのだ。

 何にせよ、買うべきか、買わざるべきか?

 

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