2021年という年は

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお付き合いのほど、お願いいたします。昨年は、健康ですごすことのありがたさを実感する一年でした。今年も、皆さまが息災におすごしになることを、心よりお祈りしています。

 

 前回にひっかけて「2021年という年は」としましたが、別に何か予言がしたいわけではありません。株価の上昇ぶりなどを見ていると、2021年という年に少なからぬ人が期待しているものも見えなくはありませんが、そもそも、「予言をしてはならぬ」という倫理を、昨年ほど痛感した年はなかったわけです。もちろん未来を適度に配慮することは必要ですが、まずはこの一年学んだルールを地道に実践していくことと、と思っています。

 ただ、それでも言っておけば、この一年学んだことをこの2021年に持っていくことは大切だと思っています。この一年間、私たちは、一方で多くの人の善意や好意に触れ、また希望を持つこと、人とのつながりの大切さを実感しました。しかし、他方で、様々の意味にも人間のエゴにも触れたわけです。自分のエゴイズムにも、と付け加えざるを得ません。これは、今回の感染症について、あまり気を配っていない方だけではなく、注意をしている人についても、ある意味で同じだと思っています。別にどちらをも責めているわけではなく、感染症にはそういう部分があるな、と改めて実感したということです。そうした経験から得た教訓をしっかり見つめたい。

 今回の件がややこしいのは、ヒューマニスティックに見える行為・言動と人間の深いエゴイズムが、なんともいえぬ形で絡み合っていることだと思っています。だから、私たちは成熟しなければならない。白黒をはっきりさせることはなく、そして、他者や自分のエゴイズムを見つめつつ、単純に否定することなく、その向こうに見える希望を浮き彫りにしていく姿勢を持つべきなのだ、などと思っているのです。

 多分次はワクチンの接種を巡って色々な問題が出てくることでしょう。そうした問題に対してあれこれ一喜一憂することなく、くどいですが、他者と自分のエゴイズムを見つめながら(時に裁き、時に赦しながら)、皆さんと話し、手探りをしつつ、社会にとっての最善解を探していければと願っています。

 

 

 なお、全く余談ですが、昨日大晦日から元旦にかけては、酔いも入った勢いで「何を年越しに聴こうかしら」などとひとりごちつつ、シューマン交響曲を聴いていて、気がついたら寝入ってしまいました(先週書いたように、ちゃんとベートーヴェンピアノソナタと共に年越しをした後のことです)。なんのオチもないですが、シューマンの曲というのは、「希望」という意味では結構いいなと思います。

 あと、前回の続きもあるので、2021年というのが「誰々の生誕~周年」になる例を探したら、ドストエフスキーフローベールについてが生誕200年(二人とも1821年生まれ)、プルーストが生誕150年(1871年生まれ)とのことです。一応代表作は全部読んでいるので(←カンジガワルイ)、まあいいかと思いつつ、ドストエフスキーなんかはもう30年くらい読んでいない著作も多いので、ここでもう一度読み返すと面白いかもしれないな、などと思っています。

 まとまりがないですが、あれこれ意味を探しつつ、この一年もすごしていきたいと思っています。この一年は、コミュニ―ケーションツールについて色々考えざるを得ない一年でしたが、可能な方とは可能な形で、お付き合いをいただければお思っています。

 この一年が、みなさまにとり良き一年となることを、心より祈念しています。

 

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