私たちは損をしたくないのだな

 もともと私たちは「損をしたくない」という気持ちがあるものだが、ここ数十年、この気持ちが一段と肥大化しているように思う。

 私自身、この気持ちは強い。例えば、ある書物を購入した後に、古書店で同じ書物が格安で販売されているのを見ると、「痛恨」といった思いで一日くらいは悶々とする。ポイントカードの類いを買い物の時に忘れたときも、「しまった」などと思い、しばし茫然としてしまうことがある。かなり以前に述べたように、私はBOXもののCDを買い漁る悪癖があるが、これも根底には「損をしたくない」という気持ちがあるのだろう(この状況もあって、この一年間は相当のCDを買ってしまった・・・)。

 実際のところ、「損をしたくない」という思いそれ自体が生活に「損」を与えている方が多いのだ。たかだか1,000円か2,000円、もちろん大切なお金ではあるが、悶々としたところで戻ってこないお金であるのなら、そんなことは気にせずに、目の前にある書物を楽しんだほうが良いのだ。ポイントカードの類いにいたっては数円の損害だ。そんなものを気にするほうが精神衛生上よろしくない。BOXもののCDにしても、持っているCDすべてを一度は聴いている、というわけではない現状、蒐集することに狂奔するよりは、今目の前にあるものを丁寧にじっくり聴いていくほうが遥かに良い音楽生活に繋がるはずだ。

 とはいえ実際には、様々な広告やら何やらによって、「損をしたくない」という欲望が駆動され、私たちは様々な消費活動へと駆り立てられる。そして、そうした活動の中で、あれこれの否定的な情念を抱えることとなってしまう。

 

 一年続く感染症を巡る状況にも、この「損をしたくない」という気持ちが強く関わっているように思う。

 いわゆる様々な「Go to」ものにどの程度弊害があったのかはわからない。ただ、「Go To」に駆り立てられた人々を駆動したものが「損をしたくない」という気持ちであったことは、恐らく間違いないだろう。「せっかくこんな得なキャンペーンがあるのに利用しないのは損だ、今旅行をしないのは損だ」という気持ちが、この制度を利用するようにと人々を誘ったのではないか。別に批判をしたいわけではない。私自身はそれほど旅行に興味がないのと、仕事のスケジュール上、旅行に出るのが難しかったので利用しなかったが、利用する人の気持ちはよくわかる。言いたいのは、仮に「Go To」が感染拡大を招いてしまったのだしたら、その根底に、私たちの「損をしたくない」という気持ちがあることも認識しておいた方が良いのではないか、ということだ。

 また、私たちの感染症に対する(時に過剰な)恐怖の根底にも、「損をしたくない」という気持ちがあるのではないか。生活習慣に由来する重篤な病についても、告知された時、私たちは激しい衝撃を受けるものだが、それを招いたのが自分自身の生活習慣だと思える場合、他人に対する攻撃的な感情は生じてこない。

 しかし、感染症の場合、「あいつのせいだ」という気持ちになってしまう。自分のせいではないのに、誰かのせいで病に罹るという事態は、「損をしたくない」私たちにとっては最も許しがたいものとなってしまうのだろう。そのメカニズム自体はわかる。

 だが、こうした思いが適切なものかはわからない。いや、恐らくは不適切なのだろう。上に述べたように、「損をしたくない」という感情が実際には私たちの感情生活を逆に損なってしまうように、「感染症に罹るのは損だ」という思いは、結果的に、社会をとてもギスギスさせてしまっているように思う(そういえば、明治から昭和にかけて、人々はどの程度結核を恐れていたのだろうか? また、結果に罹ることは「損だ」と思っていたのだろうか?)。

 事態をうまく解き明かしているとは言えないのだが、それでも感染症に対する恐れと「損をしたくない」という思いが密接に結びついている、という私の直観は、多分当たっていると思う。また、この結びつきが、社会における分断や不安を生み出している、という認識も。

 もしもそうであるならば、私たちは「損をしたくない」という思いを弱めたほうが良いのだろう。「損をしたくない」という思いの対極にあるのは、「生きているだけで儲けもの」という感覚ではないか(まあ、この言葉にも金銭的損得勘定めいたものは入り込んでいるけれど)。「ああ今日も生きている、ありがたい」という感覚をベースとし、感染症については、「然るべき対策をした上で罹ってしまったときはその時、むしろポイントは、万が一の時に人にうつすことがないようにすること」という原則を守ることであるように思う。

 この文章、どちらかというと、時に神経質な思い(その根底には恐らく「損をしたくない」という思いがある!)に捉われる私自身に言い聞かせるために書いております。はい。

 

M&M's

 

追記:前回触れた『幻滅』は読み終わりました(予言の自己成就)。これについては、先々どこかで書くことといたします。