前回の続き

 前回の記事は、林二湖の名前と例のセリフを引用したかっただけのような気がする。林二湖はやはりその超人的な能力で問題を解決していくのであって、ただその場に居合わせるたけではない。私が考えたかったのは、ただただその場に居合わせるだけで人の役に立つような事例なのだから、違いは大きい。もっとも、私が考えているような事例でも、林二湖のセリフは強すぎるにしても、「今この人の役に立てるのは自分だけ」という言葉が当てはまることは、やはり折々あるだろう。

 

 こうした事例は、普通は最低二人の人間、つまり助けられる側と助ける側とが同じ空間にいることを要請する。そして、昨今は物理的な空間を共にするのではなく、ヴァーチャルな空間に共にいることで、こうした事例が生じることもあるように思う。

 今日書き記しておきたいのはそうした話。

 

 数ヶ月前のこと、その夜私はやや多めの晩酌をすませ、「今日は仕事にならないな」と、少しだけ参加しているSNSをチェックしてから眠ろうと思っていた。すると件のSNSで、やや長い付き合いになる友人が「もう俺の人生は終わった」的なことを、理由を示唆しながら数分おきに書き込んでいる。当然ここではその理由は書き記さないが、そうした気持ちになるのはわかるようなものであった。とはいえ、SNSに書き込むようなものではない。後から振り返った時に、絶対に後悔しそうな書き込みである。恐らくは独り身である彼が(離婚している)、当該事案の辛さに耐えかねてお酒を呑みすぎ、そこからついつい件のSNSに思いを書き込んでしまっているのだろうと推測した(この推測はすべて当たっていた)。

 「こりゃいかんだろう」ということで、彼に「大丈夫か?」というメッセージを送ったところ、すぐに「大丈夫じゃない、かくかくしかじか」的なお返事があった。そこでとにかく、「書き込んだメッセージはすぐに消した方がよい、その後話を聞くから」と送ったところ、「すでに「大丈夫?」と書き込んでくれた人に悪い」などと言っているので、「そういう人には明日メールを送りなさい、あの手の書き込みはいつでもできるが今はやめておいたほうがいい、飲んでるでしょ? そういう時はやめたほうがいいよ」と返したら、「それもそうだね」ということで、言ったとおりにしてくれた。
 結局、最初に私が気づいていてから10分ほど後、件の書き込みはすべて消去され、彼と私とは画面越しに相対していたわけである。彼はハイボールを片手に、私はワインを片手にして。
 それから数時間、件の出来事から始まり、それを巡るあれこれから、ついには遡って彼の少年期の話まで、延々と聞くこととなった。ちょっと図々しい判断だが、私のほうは日々聞き役に徹したので、彼としては思いのたけをそれなりに話すことはできたのではないだろうか。


 今後こういうことはもしかしたら増えるのかもしれない、と思う。一人ではどうにも解消しきれぬ思いを抱えた時、昔ならばごくごく親しい友人に電話をかけて長電話で話を聞いてもらったものだ。今でもそうする人はいるかもしれない。もっとも、今回の彼のように、自分の辛さをついついSNSに書き込んでしまうようなことがあるのかもしれない。すると、今回の私のように、それを目にした人が、「今彼(彼女)の役に立つことができるのは自分だけかもしれない」と思い立ち、「話を聞くよ」と連絡をとる人も出てくるだろう。

 これといったオチのない話なのですが、「今救えるのは、宇宙で私だけ」という言葉があてはまる場面、というか、ただ「居合わせるだけ」で少しは人の役に立つ、という状況のヴァージョンも色々と増えていくのかもしれないな、と思った次第です。

M&M's

追記:ここまで書いていて思い出した。数年前、海外某都市でテロがあり、直後に私がニュースでそれを知った時、ちょうどそこに住む友人が某SNSでオンラインになっていたので、こらえきれずすぐに「ニュースを見た、無事を祈る」と送ってしまった。すぐに返事が返ってきて状況を実況中継してくれるような形になった次第。こういうときに地球の裏側からメッセージが届くのはどういう感じなのだろう? ただ、この時は緊急事態だったので、メッセージは送らない方が良かったかな、と後から反省もしました(最初のメッセージに、「大変だろうから返信不要」とは書いたのですが)。