ツェムリンスキーを知っていますか? (3)

 ツェムリンスキーの代表的な作品と言えば、『抒情交響曲』(作品18)が挙がるだろう。インドの詩人タゴールの詩に基づいた六つのオーケストラ伴奏つきの歌曲だが、冒頭の異国情緒漂う旋律が極めて印象的なものとなっている。全体的にも極めて色彩豊かで、聴いていて、オーケストラというものの可能性を改めて考えさせる。

 ところで、この曲はツェムリンスキー自身が認めるように、マーラーの歌曲付き交響曲、『大地の歌』の系列にある。今回この記事を書くにあたり、恐らくは二十年ぶりくらいに『大地の歌』を聴いてみた。二つの曲の比較は面白い。ツェムリンスキーはインドの詩人に依拠しているが、マーラーは中国だ(ただし、マーラーの方は原詩が相当改編されているとのことだが)。この違いはあれ、共通点は多い、どちらも「人生」を象徴化しようとする志向はあるように思う。また、終局部が「別れ」を主題とする点は大きな共通点だろう。誰か音楽学者か比較文学の人(独文の人でもいい)が、この二曲の詳細な比較などしてくれないだろうか? 修士論文くらいのテーマとしては悪くないと思うのだけれど。
 音楽的な類似は、音楽学的にはわからぬが、直観的には明らかだ。また、広い時代的文脈に措くなら、東洋の詩人を取り上げているという点は、凡庸な言い方だが、ヨーロッパではないどこかへの憧れを表わしている。『大地の歌』が第一次大戦前、『抒情交響曲』がその後、という違いはあるが、いずれもヨーロッパの「終わり」の感覚の表現であることは間違いないだろう。

 もっとも、この二曲を聴き比べると、やはりマーラーの曲が優れている、という印象は否めない。なぜだろうか。直観的に思うのが、マーラーは自分の信じるところを表現しようとする志向が徹底してあるような気がする。他方、ツェムリンスキーはというと、いくつもの要素が彼を魅惑しており、その結果、分裂した気質というか、一つの方向に行き切れない中途半端な感じ、というのが残るような気もする。マーラーを明らかに意識した動機、音型が多々現われるが、その方向性を突き詰めるわけではないような気がする。何かが彼をその方向を突き詰めることを留めているようにも見える(聞こえる)。
 とはいえ、こうした多面性がツェムリンスキーの魅力と言えなくもない。一つの方向へと突き進む人間が魅力的であり、また社会のためには必要だが、他方で、様々な方向性を考慮し躊躇う人間というのも、また必要であり、私にとっては同じく魅力的なのだ。ツェムリンスキーは、様々な音楽的志向を試行した人だが、その多面性のゆえに感じられる「躊躇い」が私にとっては魅力的なのです。それに、もしかしたら、こうした「躊躇い」に由来する「融合」が、ツェムリンスキーの魅力をなしているとも言える気がする。ここまで書いたら、なんだか『抒情交響曲』の方がいい曲のような気がしてきた。優柔不断だな。まあ、この二曲は優劣を比較するようなものではなく、それぞれの「よさ」を味わった上で、マーラーとツェムリンスキーの個性を聴き手が探る、というのが、この二つの大曲への節度ある姿勢のようにも思うけれど。

 あと、これをきっかけに、ツェムリンスキーの交響曲の第1番、第2番、というのも聴いてみた(聴き流した、というのが正確なところですが)。すごい名曲とは言わないけれど、後期ロマン派の薫りの歴史を彩る曲として、少なくとも歴史的意義はあると思う。スコアを見ていないので断言できないけれど、そこまでの難曲でもなさそうだ。どこかのアマチュア・オーケストラが、ツェムリンスキー生誕150年ということで演奏したら面白いけれど。

 

 この項、これで終わります。本当は、ツェムリンスキーは歌劇で有名な人なのだけれど、実は一曲しか聴いたことがないのです。万が一年内に聴くことがあったら、(4)を書くかもしれませんが。


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