斗酒三十年(四)

 酒にまつわる記憶の辿り方としては、通った店を思い出していく、という手法がある。お店の人と顔なじみになるほど通った店は、六つになるだろうか。多いか少ないかはよくわからぬが、三十年ほど呑んでいれば、おかしくはない数字だろう。

 一つ目は、大学時代のアルバイト先の塾近くの居酒屋。坂の街にあり、急坂を上り、右手の雑居ビルの階段を下りていく地下の店だった。典型的な普通の居酒屋だったが、きっぷの良い中年の女性が切り盛りしていて、毎週の「あら、いらっしゃい」という声に、不思議な心地よさがあった。アルバイトをやめてから後、五年ぶりくらいにこの街に仕事できた時、「まだあるかしら」と思い訪れたら変わらず営業しており、「あら、お久しぶり」と声をかけていただいた時は、嬉しかった。

 二つ目は、大学時代、所属していたオーケストラの練習の後によく通った店。大きなJRの駅近くにある、学生・サラリーマン相手の店で、地下にあった。よく「南部美人」という酒の一升瓶を入れて、それをあけると帰宅していたように思う。4~5人で行くので、量としてはちょうどよいのだ。店にとっても、量を食べる大学生が数人で来て食事をし、一升瓶もあけていくのだから、悪い客ではなかっただろう。広い座敷があり数十人入ることができたので、馴染みになってからは、オーケストラの演奏会の後の打ち上げにも使った。数年前、このオーケストラのtwitterか何かを観たら打ち上げをこの店でしており、数十年「伝統」が続いていることに、少々感慨深くなった。もっとも、今回調べてみたら、どうもこの状況下閉店したようである。昔を偲ぶ場所がなくなり、惜しい。

 三つ目は、実家近くの居酒屋で、二十代半ばから十年ほど通った。私鉄沿線の線路沿いに並ぶ数軒の居酒屋のうちの一軒であった。初老のご夫婦が営む居酒屋で、のれんをくぐると右手に五人ほどのカウンター、左に四人ほどが座れる小さな机が二つ並び、奥に6人ほど入ればいっぱいになってしまう小上りがあった。典型的な居酒屋で、極上というわけではないが悪くもない日本酒をいくつか揃え、季節ごとの酒肴を売りとする店だった。ソラマメや山菜の天ぷらが美味しかった。この店は、所属していた市民オーケストラの人に教えてもらい、いつも練習の後通っていた。オーケストラをやめた後も、前回触れたAさんと何度となく通った。人生の酸いも甘いも知った趣のある頭の禿げあがった初老の方の昔語りにこうした居酒屋で耳を傾けることには、なんとも言えぬ風情があった。こちらは、ご夫婦の年齢のためだろうか、一昨年閉店したようである。

 四つ目は、先週触れたTさんに教えてもらったお店。狭い急な階段(酔った客が転げ落ちたこともある)を上った2Fにある、中年の夫婦が切り盛りするバーで、週に一度ほど通っていただろうか。客にも平気で説教をする店で、私も言葉遣いなどについて何度か注意を受けたが、ありがたいことと思っている。後、奥に碁盤があり、客が時々打っていた。私も見よう見まねで始めただが、ついに初心者のままとしてしまったことが口惜しい。

 五つ目は、Aさんの義理の息子さんが営業していたオーセンティック・バー。私の実家の近くで営業を開始されたということで、Aさんに「まあ、たまには行ってあげてくれよ」と言われ、通い始めた。こちらを営業なさっていたOさんは、もとは服飾業界にいらっしゃった大変スタイリッシュな方で、バー自体も、大変洒落た店であった。それなりのお値段がする店ではあったが、当時は独身だったこともあり、今ではオーダーには二呼吸くらい躊躇うような値段のお酒も結構頼んでいた。こうした世界にとんと縁のない私には、勉強の場でもあったように思う。

 六つ目は、こちらの土地に来てから通い始めた店。通った年数は一番長い。ふらりと夕食に入ったのだが、雰囲気が気に入って、週に一度か二度は通っていた。初老のマスターが料理をし、私と同世代の女性がカウンターを切り盛りする店だったが、特にこの女性に、実に多くの相談事をした。半ば聞いてもらっているだけ、ということも多かったが、聞いてもらうだけで解決する話、というのはそれなりにあるものだ。


 馴染みの店があるよさはなんだろう。
 一つには、人間関係の「拡がり」がある。三つ目の店までは、既にある人間関係を暖めるために使っていたようなところがある。しかし、四つ目以降の店は、一人で通い、結果、新たな人と知り合うことになった。四つ目の店では編集者の方やキャリア官僚、印刷業の方、五つ目の店では、商社マン、石油関係のアナリスト(?)、カメラマン、映画のカメラマン、六つ目の店では、フリーライター、学校の先生、幼稚園の経営者などと知り合いになった。いずれも、職場にいては知り合わない人ばかりだ。こうした人間関係から得たものは物心両面大きい。仕事をもらったこともある。もっともこうした場から得る「利益」というのは、こうしたわかりやすいものではなく、むしろ、なかなか触れ得ぬ他の仕事を持つ人の人生を垣間見れることであろうか。なんにせよ、こうして知り合った方のうちの何人かとは今でも交流が続いているのだから、ありがたいことだ。
 二つ目は、人には話せぬようなことを聞いてもらえるところ、というのがあろう。私たちが抱える悩み、というのは、身近な人には話せぬことも多い。そうした悩みというのは、語るだけで多少は和らぐのだが、聞いてもらう人が見つけにくいのだ。そうした中で、酒場の人に話を聞いてもらうことは、広い意味での「セラビー」めいた役割を果たすことがあるように思う。この人たちは基本的に口が固いし(客のプライバシーを他の客に話して商売にならないだろう)、適度な距離をとることもできる。
 三つ目として、人の話の聞き方の勉強になる、というのがある。四つ目以降の店は、お店の人と客が会話を楽しむ場でもあったが、店の人の客の話の聴き方、相手への合いの手の入れ方というのは、見事なものであった。なるほど、こういうふうにして人の心をほぐしていくのか、と思うところがあった。どれほどできているかは心もとないが、いくつかは見よう見まねで実践している。

 

 こうした酒場の「よさ」を巡る書物を二つほど。
 一つは、金井真紀『酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文學』(皓星社、2015年)。詩人草野心平が開き紆余曲折を経つつ新宿ゴールデン街で続いた飲み屋を巡る話。昭和から平成初期にかけての「酒場文化」の良さを伝える書物。少し懐かしい感じがします。
 もう一つは、谷口 功一・スナック研究会編著『日本の夜の公共圏 ―スナック研究序説』。「スナック研究会ってなんだよ」という突っ込みはさておき、真面目な本です。スナックが地域社会の様々な交流の場となり、時に意思決定にも影響を与える様子を描写、分析した本ですね。スナックに対するこんなアプローチもあるのか、と驚かされます。

 現状、お酒を提供する店には様々な眼差しが向けられているわけですが、そうした中で、居酒屋、バー、飲み屋の社会的な意義、といったものを、それこそ真剣に考えることにも意味があると思います。いずれも、そうした反省の助けになる書物かと。

M&M's


追記:こんな記事の最後に書くなよ、という話ですが、禁酒、ついに百日を越えました。