ふるさとでまれびとになる

九月の終わりから一か月半ほど、実家に帰省しています(これを書いているのは6日で、あと2日で帰る予定)。大学入学時に家をでて以来、故郷には一時的な滞在しかしていません。コロナ禍もあって、3年ぶりの帰省でした。
私が日本で一番恋しいものは、温泉です。温泉旅館ももちろん大好きですが、地元の銭湯も好んでいきます。今日は、子供の頃、冬になると家族でよく行っていた銭湯(だけど源泉かけ流しなのです)に一人で行ってきました。
湧出時に50度くらいある温泉なので、湯温はかなり熱めで、水を足し足し入りました。近所の常連さんらしき人も、「今日は熱いねえ」(時間帯と利用者の数によって温度が変わるらしい)と言っています。
一言二言交わしていたら「どこからきたんけ?」と問われました。いちおう、地元の方言的な言葉を使っているつもりなのですが、そして間違いなく地元の人であったはずなのですが、何かが違うようです。
実際、ここに住みなれた人にはあたりまえで何でもないものが、私にはすごく貴重でありがたいものに見えたりして、私の目線はまれびとのものなのだと感じます。
そして、この目線は、死んだ後の私の目線(がもしあるとして)に近いかもしれないと思いました。
ここにいれば無限に当たり前に汲みつくせないほどにあふれているものが、もう手に入らない場所にいった人の目線。
まれびとの目が死者の目にかさなるのは、ふるさとならではかもと思いました。
そういう場所が私にあって、幸運でした。

こけぐま