『収容所のプルースト』

 前回の記事で誤って光文社古典新訳文庫に入れた『収容所のプルースト』、実際はこの文庫に入っていたわけではなかったので記事は訂正しておいたが、それはともあれ、タイトルに魅かれ、幸い近くの図書館に収蔵されていたので借りてきて、すぐに読了した(本当は他の仕事に追われており時間がとりにくかったのだが、それほど魅力的だった)。

 著者ジョゼフ・チャプスキはポーランドの画家だが、第二次世界大戦が始まると、当時ポーランド軍将校であったためソ連軍に捕らえられ収容所に送られる(独ソ不可侵条約秘密条項により、ソ連ポーランドに侵攻している)。このポーランド軍人の収容は、衝撃的な「カティンの森」事件に繋がるものだが、この書物はこれに直接に触れるものではない(「カティンの森事件については、アンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』がある)。

 極寒の収容所に押し込められたチャプスキたちは、「精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐために」「知的作業に取りかかった。」(同書p.14)。何かしらの専門に通じた人たちが、自分の知ることを講義するのである。こうした中、チャプスキは「フランスとポーランドの絵画について、そしてフランス文学について一連の講義を行った。」(同書p.16)この書は、その講義を再構成したものであり、プルーストの『失われた時を求めて』に関する講義を記したものである(再構成の経緯については色々な推測があるが、それはここでは措く)。

 本書の魅力はまず何よりも、魅力的な『失われた時を求めて』の紹介になっている点だろう。書物自体が手元にないので、チャプスキの紹介は、時に誤りをも含むが(註がそれを明らかにしている)、そうした点を越えて、この長大な作品の本質のいくつかを伝えるものと思う。私自身この大長編を一応は読了しているが、チャプスキが語る諸々の場面を、旧知の人と再会するかのように、楽しく思い出した。そして、読んだ時の思いがチャプスキの言葉によって喚起され強められることもあれば、新たな解釈に目を開かれる思いもした。また、プルーストパスカルとの比較(pp.86-96)は、一見奇矯なものとも思えるが、『失われた時を求めて』のある本質的一面、人間の営みの本質的虚しさの分析という側面を際立たせるものであろう。

 また、この書物は、極めて厳しい状況にある人間がそれでも精神的な生を生きることのできる実例を提供している点で、貴重なものだ。私自身はといえば、不可能なことと知りつつも、映画などから微かに想像できるロシアの極寒の収容所で、チャプスキ自身の肉声に耳を傾けるかのように、この書物を読んだ。極限状態における人間が、それでも、あるいはだからこそ精神的なものを求める、ということは、確かにあると思う。チャプスキ自身が、「メーヌ・ド・ビラン、パスカルシモーヌ・ヴェイユシオラン、ロザノフなど、宗教哲学に関するもの」(同書解説p.164)を枕頭の書とする精神的な人であったことだけが理由ではないだろう。私たちのような俗人もまた、ある種の場面では、精神的なものへと促されるのではないだろうか、との思いを新たにする。そして、そうしたことを大切にしたいとも思う。

 最後になるが、この本は造本が美しい。ゆったりと活字が配置され、ゆっくりと読み進めることができる。チャプスキ自身のノートもカラーで収められており、このノートを記した彼の思いに幾ばくか思いを致すことができる。また、解説もとても丁寧で、チャプスキという、日本では必ずしも知られているとは言えない画家について一定の理解を得ることができるし(彼の写る写真も多く収められている)、さらには、パリの亡命ポーランド人の歴史などを知ることもできる。チャプスキ自身の本文もそうだが、解説もまた、新たな世界に読み手を誘ってくれるものだ。 

 人文学研究の意義を問う人が時にいるが、「こうした書物を世に出すことに繋がるから」というのは、ありうる回答の一つではないか。そして、仮にこの本を読んでも、「いや、文学が何の役に立つかわからない」と言う人がいたら、傲慢を承知で記すが、「そうですか、貴方と私は人間の種類が違うようです。そして、貴方の人生を羨ましいと思うことは、私には決してないでしょう」と言っても良いと思う。

 

 図書館で借りて読了はしたが、書架に置くために購入した(多くのサイトでは、高額な値がついており、定価での入手は難しいように見えますが、多分まだ普通に手に入ります ー関心を抱かれた直接の知人の方は、連絡をくだされば購入方法を連絡します)。まだ届いていないが、この書物をいつでも読むことができることを思うと、今から心が暖かくなってくる。

 

 最後に、序文から二つ引用しておく。

 

「いまでも思い出すのは、マルクスエンゲルスレーニン肖像画の下につめかけた仲間たちが、零下四十五度にまで達する寒さの中での労働のあと、疲れきった顔をしながらも、そのとき私たちが生きていた現実とはあまりにもかけ離れたテーマについて、耳を傾けている姿である。」(pp. 16-17)

 

「わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われる世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。

 シベリアと北極圏の境界線の辺りに跡形もなく消え失せた一万五千人の仲間のうち、なぜわたしたち四百人の将校と兵士だけが救われたのかは、まったく理解できない。この悲しい背景の上に置くと、プルーストドラクロワの記憶とともに過ごした時間は、このうえなく幸福な時間に見えてくる。

 このエッセイは、ソ連で過ごした数年のあいだ、わたしたちを生き延びさせてくれたフランスの芸術に対するささやかな感謝の捧げものにすぎない。」(pp. 17-18)

 

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