リスト

去年、実家に帰省した際、「手紙」というお話を甥っ子が宿題で朗読していました。
私が小学生のときにも教科書で触れた作品で、懐かしく思いながら、毎日聞いていました(毎日の宿題だったのです)。
先日、近所のおもちゃ屋さんで、カエルくんとガマくんの話をまとめた絵本(Frog and Toad are Friends, Frog and Toad Together)を見つけて、手に入れました。
読んでみたら、味わい深くて面白い。教訓的な要素があまりなく(ひょっとして「手紙」がいちばんイイ話なのでは?)、素朴で素直な感情と、カエルたちの頭の配線がちょっとおかしいことから生まれる自由なおかしさがあって、とても気に入りました。

 

例えば、リストという作品。
ガマくんは、朝起きて、一日にやることリストを作りました。まず、「起きる」と書いてから、「もう、ぼくは起きた」と言って消しました。
それから、朝ごはん、着替え、カエルくんのいえに行く、などなどを書き、一つのタスクを終えるたびにそれを消していきます。
ガマくんは、カエルくんとの長い散歩のあと、リストの項目を消そうとします。そのとき、風がふいて、リストは飛ばされてしまいます。カエルくんは急いでおいかけますが、ガマくんはリストに書いてないからと言っておいかけません。
結局リストを失ったガマくんは、今日やることがわからないので、何もしないと宣言。その場に座ります。カエルくんもとなりに腰を下ろします。やがて太陽がしずみかけたころ、カエルくんは、もう遅いから寝ようと言います。
その瞬間、ガマ君は、「寝る、だった!」とリストの最後に書いていた言葉を思い出します。そこで、寝る、と地面に書いて、さらに線を引いて消した後、二人はそこで寝入り、お話は終わります。

 

読みながら、禅にある、雪を担って井戸を共に埋める(擔雪共塡井)、という表現に通じるものがあるなーと思ったりしました。
https://zengo.sk46.com/data/yukiwoninaite.html
「担雪埋井」については、無駄に見えることでも続ける努力が大事、という教訓的な解釈をネット上では見かけたのですが、それより、カエルくんとガマくんの話のようなおかしみと自由さがこの言葉の持ち味なのではないかと思います。

 

後日譚。買い物に出かけるため、携帯に買うものをメモしようとしたところ、うまく保存されず困っていました。そのとき娘が、おえかきボードをもちだして、ここにリストを書いて!と言う。買い物リストを書き、出ようとしたとき、「でかけるって書いて」と言われて、そう書くと、ぴーっと線をひいて「ガマくんといっしょ」と嬉しそう。なんとこの本、教育効果があるんだ...!!! というか、ガマくんとカエルくんの頭の配線って、成長途中の小さな人々に近いのかもしれない。

 

リストの話が、悟った人の逸話と似た趣を持つ理由の一つは、悟りの肝が、配線の重要パーツ(=過去から未来へずーと続いているように感じられる私)が実は後付けのフィクションであると気が付くことにあるからかもしれません。小さな子どもやガマくんとカエルくんは、私感がまだ確立しきっていないという点で、行動の筋は通っているのにおかしく、そしてその分、仏と近しいのかもしれません。

 

こけぐま