「ガリガリ君」礼賛

(※遅れに遅れて、8月10日に書いています。タイトルそのままの内容で、なんのひねりもありません。)

 

 私が時折利用しているコンビニでは、レジに並ぶ客の列の脇に、アイスクリームを入れたアイスケースが配置されている。なかなかうまい商売だな、と思いつつ、アイスクリームにそれほどの執着がないのえ、普段はそのまま素通りしていた。

 しかし先日、並んでいる最中にふとアイスケースに目をやると、「ガリガリ君」がある。お値段は70円。一瞬のためらいの後、手にとってしまった。この暑さである。当然だろう。ガリガリ君を最後にいつ食べたのか、記憶は曖昧だが、十年は食べていなかったように思う。

 「ガリガリ君」は私の子ども時代には、ちょっとした夏のごちそうの一つだった(ような気がする)。そして、中学校、高校時代、夏の部活の後に、たまに食べていた。つまり、私にとって、「ガリガリ君」は徹底的にノスタルジックな食べ物なのである(「M&M'sにとってだけではない、私にとってもそうだ」という声が聞こえる)。

 このノスタルジックな気分を大切にしたい、と、私はコンビニの傍にある公園に行き、その公園にある池の木陰のあるベンチに座り、ゆっくりと「ガリガリ君」を味わった(色々な意見があるだろうが、やはりソーダ味が望ましい)。強い日差しの夏の公園で「ガリガリ君」をかじっていると、自分の心身が子ども時代に帰っていくような気持がする。胃に落ちた「ガリガリ君」が、体をすーっと冷やしていく感覚が心地よい。かき氷などを食べた後に訪れる、微かな、あの頭が「キーン」とする感覚すら懐かしさをそそる。ああ、私を幸福な過去へと誘う食物は、「紅茶に浸されたマドレーヌ」などといったハイソなものではなく、「ガリガリ君」であったことよ、まあよいか、などと独り言ちつつ、美味しくいただいたわけです。

 この夏は、以来、折々件の池のベンチに座って、ガリガリ君を食べております。70円でこの幸福感を得られるのは何ともお買い得。この暑さに苦しんでいる方は、あるいはお試しになってもよいかもしれません。

 

 ところで、私の子ども時代の記憶を捏造していないか確認してみようと、wikipediaにある「ガリガリ君」の記事を読んでみた。販売開始は1981年、ということで、子ども時代に食べたという記憶は間違いないようです。販売開始に至る企業(赤城乳業)側の事情もそれなりに興味深いものなので、興味がある方はぜひ当該記事をお読みください。

 この記事を読んでいて心動かされたことが一つ。「ガリガリ君」、2019年の第24回日本緩和医療学会学術大会で、「緩和医療を受ける患者の食の維持に貢献したとして、「最優秀緩和ケア食の維持賞」を受賞した」とのこと。食が細くなっていかれる病気の方が「ガリガリ君」であれば美味しくいただける、というのは、わかるような気がする。恐らくどちらかと言えば子どもや若者をターゲットにしたであろう(これは私の推測です)商品が、人生の終わりにあって病にある方にほのかな慰めをもたらしているという事実は、「人生の美しさ」と呼びたくなる何事かを表わしていないだろうか。

 このことに関わる事柄は、以下の記事で読むことができます。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221109/k10013884341000.html

 

M&M's