本当の名前は教えてあげない

 源氏名を持つ女性にしつこく迫って返された言葉のようなタイトルだが、そういうわけではありません(そんな経験も、それはそれで面白いような気もするけれど)。

 皆さんと同じく、私もメールアドレスを複数持っている。もっとも、メインで用いるのは二つ。完全に切り離すことはできないのだが、大まかには、仕事用と私的なものとで分けている。

 ところで、仕事用のアドレスにはほぼ毎日、様々な企業や銀行様から、「あなたの持っているカードに問題があるので、以下のサイトにアクセスして頂戴ね、そうしないと、あなたのカード、止まっちゃうよ」というメールがくる。皆さんと同じく、やれやれと思う。大半のカードはそもそも持っていないし、仮に持っているカードにしても、件の仕事用のアドレスと紐づいていないのだ。半ば当たり前のことだが、全て、私的なアドレスの方と紐づいている。だから、これらのメールは黙って消していくわけだが、たとえ10秒か20秒のこととはいえ、微妙な徒労感が伴う。

 恐らく、仕事用のアドレスはWeb上で掲載されているので、自動的に収集されて送られるのだろう。他方、私的なアドレスの方には、そうしたメールは送られてこない。

 さて、ところでそうすると、クレジットカードや通信販売などに登録するメールアドレスは、簡単には読み取られないようなもので、かつ一切人に知られていないものが好ましい、ということにならないだろうか。そうすれば、妙な脅しのメールが来ることもない。この手法が一種の「リテラシー」として一般化すれば、フィッシング詐欺なども、多少とも減るのではないか、という気もする。なお、最近若い人の何人かに「そういう工夫している人、いる?」と聞いてみたら、一人だけいた。

 ところでこんなことを考えているうちに、遥か昔には、自分の本当の名前というのはよほどのことがない限り他人に教えない、ということを、どこかで読んだことを思い出した。本当の名前を知られると、呪術を向けられるリスクが増す、といった理由だったと思う。現状、この件について調べる時間も気力もないので、事実関係が確かではないが、ありそうな話ではある。

 さて、仮に私のこの記憶とその内容とが正しいのであれば、「本当の名前は教えない」という古代の風習は、「一番重要な情報と紐づいているメールアドレスは教えない」という、上で私が提案しているリテラシーと相通じることになる。神話的、呪術的な発想が、案外と現代の情報社会にも通じるのだとすれば、興味深い事象となりはしないだろうか。似たようなことは、案外とあるような気がする。

 

M&M's

(※8月17日記)