またまた(五年ぶりに)通訳をしてきたよ!

 久しぶりに通訳の仕事をしてきました。曲がりなりにもしっかりと依頼を受けた仕事として通訳をするのは、2018年7月27日の記事に書いたときのこと以来。五年ぶりです。以下、その顛末。

 

 先月の半ばに知人から「M&M'sくん、8月〇日、あいている?」との連絡がきた。「呑み会のお誘いかしら? 何かしら?」と思いもしたが、予定の中身を聞いてから、「ああ、それなら大丈夫です」と答えるのもどうかと思い、端的に「はい、あいています」とお返事をした次第。すると、先方からの再度の返信は、「実はフランス人の講演会があるが、当日の通訳が見つからない、頼めないか」という依頼だった。

 講演の主題が私の専門とは相当異なるものだったので、「しっかりと仕事ができるだろうか?」という躊躇いもあったのだが、依頼者が長年の付き合いの仲の良い友人であったこと、当該ジャンルに多少の関心はあったこと、そして、コロナ以来話す機会が減っていたフランス語を用いる良い機会であったことから、思い切ってお受けした。原稿のある講演で、翻訳は別の方がしてくださること、私の通訳は質疑応答の時のみ、という条件も、背中を押した。

 幸い、関係者は皆さん時間を大切になさる方で、仏語原稿は一か月ほど前に、日本語の翻訳も十日ほど前に送られてきたので、準備に十分な時間を割くことができた。とはいえ、やはり専門外は大変! 要は、日本語で読んでもわからないことが多いのだ。インターネットで検索をかけたり、当該分野の教科書を借りてきた講演の主題に該当すると思われる箇所を読んだり、依頼者に質問をするなどして、中身の勉強を進めざるを得なかった。もちろん、自分の勉強になるし面白い部分も多かったので、別に不満はないのだが、なかなかの時間をとったことは間違いない。

 しかも、私、前日に一つ失敗をやらかしてしまった。

 今回の講演の内容は時事的な要素も多く含むものだった。日本ではそれほどではなかったが、フランスのニュースではこの問題を巡り相当の報道がなされた。それなので、前日の午後は、インターネット上のテレビニュースのアーカイヴでこの問題を扱っているものを、片端から見て回ったのだ。多分5時間くらいは見ただろうか? そうすると、床についても、その時に覚えた表現なら何やらが、頭の中をぐるぐると駆け巡って、全く眠ることができないのだ。午前3時くらいにようやく浅い眠りに就いたが、6時前には目が覚めてしまった。まるで、試験の一夜漬けのようではないか!

 そうしたわけで私は、1)フランス語を三年間あまりしゃべっていない状況で 2)専門外のことについて 3)睡眠時間3時間で 通訳をする、という、痛々しい状況に追い込まれたのであった(これに、「酷暑」という悪条件を含めてもよい)。

 当日は、講演前に、講演者の方ならびに依頼者の方と昼食の予定だったが、依頼者に急遽連絡して昼食はキャンセル。眠れなくても、と何もせずに体を休めた上で、会場に向かった。ちなみに、この「とにかく体を横にしておく」という選択はよかった。結局眠りには就けなかったが、体力はある程度回復したようである(体力が少し回復したのでは、という感覚は、精神衛生上もよい)。

 

 講演者の方はとても明晰にお話になる方で、性格もとても気さくで、妙なプレッシャーを感じずに済んだ。通訳自体も、まあ、多分誤訳をしてしまった箇所はあると思うのだけれど、大きな失敗はせずに済んだ。司会の方にお願いをして、「なお、通訳は専門外なので、専門用語の翻訳などを会場の方に聞くこともあるかもしれません」と断っていただいたのも、精神的な安定につながったと思う(実際に、二回ほど、会場の方に訳語を聞くこととなった)。

 終わってみれば、久方ぶりに外国の方をお迎えして、飲食歓談の機会も持つことができ、大変良い経験となった。ちなみに講演者の方とは翌日もお会いし、地元の博物館をご案内することともなり、新たな交流もできた次第。

 とはいえ、専門外の通訳、やはり大変ですね。以前、同時通訳の方のエッセイを読んでいたら、「通訳の仕事で大変なのは、語学力の維持もさることながら、講演や会議の内容の予習である」とあった(ような気がする)。その通りと思う。プロの方と比べることはおこがましいが、今回の私も、相当の時間を内容理解のために割くこととなった。この夏は、本業の方で一つ集中的に進めている仕事があり、まあまあの成果は出ているのだけれど、この通訳のためにほぼ数日を割くことになったことは間違いない。

 後悔は全くしていないけれど、「いやいや、やはり通訳仕事の準備は大変、滅多に引き受けるものではないな」というのが結論です。まあ、私に通訳を依頼してくる人もそうはいないだろうけれど。

 オチのない話ですいません。

 

M&M's

(※8月24日)