育児日記


娘にねだられて、ルーレットをまわしてリスが木の実をあつめるボードゲームを買いました。はじめて家族で遊んだとき、娘は、順調に木の実を集め、一番最初にあがりました。
私が「おー、やったー、勝ったねえ」と言うと、娘はちょっと不満そう。「どうしたの?」と聞くと、「みんなもいっしょにかちがよかった」と言います。もちろん自分が勝ちたいのだけど、他の人が勝ちでない(=残念な思いをする)のも嫌なんだそうです。

子どもたちが「みんなでゴール」する徒競走の話に、私は嘘くさいものを感じていたのですが、娘からそういう発想が自然にでてきたことを面白く思いました。
娘の言動からは、彼女が、岡田斗司夫さんの提唱する4タイプのなかで注目型(キーワードはなかよし)であると推測されます(たぶん、私は理想型に近い法則型で、夫は理想型どまんなか)。違うタイプの人間のもつ感性のあまりの違いに驚きます。



娘は時折、私にあわせた活動の提案として「ごろごろしながら、てれびであまでらみよう」と言います。「あまでら」というのは、NHKが作成した、奈良の山奥の寺で暮らす尼僧さんたちの生活を紹介する番組で、出産直後に見て以来、私のお気に入りでした。
ある日、娘の誘いに応じて一緒に見ようとしたところ、ネットの接続が不安定で、途中で途切れてしまいました。数日後、また娘から「いっしょにあまでらみよう」というお誘いが。とりあえず動画を流しはじめて、ちょっと離れた場所で家事をしていました。するとその日は、途切れずに流れている様子。ゴロゴロしていた娘は、起きあがってわたしにかけよってきました。
娘「おかあさん、あまでら、みれたよ!!!」
私「ほんとだ、きょうは大丈夫だったね、すごいすごい」
娘「おかあさん、あまでらみられて、よかったねぇ」

そんなやりとりを、後でふと思い出して、あたたかい気持ちになりました。
娘は、私がそれを見たがっていたこと、でも、前回みられなかったこと、を覚えていて、今日は見れて嬉しかっただろう、それが自分も嬉しい、ということを表現しました。

面白いのは、私は娘とこういうやりとりをよくしており(娘と私の立場は逆)、彼女の口ぶりがまさに私そのものだったことです。たぶん、私の行動モデルを作って、それを流用して、自分の行動に使ったのだと思います。

子どもは、親の背中を見て育つというのは、ほんとだなーと思います。親の行動、親の価値観など、最初は、そっくりそのまま取り込んでしまうのでしょう。そのあと、経験でどんどん修正されていくのだと思うけど、親のそれをまるごとコピーしたものが土台になると考えると、影響は大きいなあと思います。



朝目覚めた娘が言ったこと。
娘「さっきゆめをみていた」
私「そう、夢を見ていたの」
娘「なにかをもらうゆめだった。おかあさんもいっしょにみたねえ」

娘の夢に私も登場したらしい。そして、彼女の口ぶりからすると、私が彼女の夢に登場するときには私も同様に夢を見ている、と推測しているようです。
「おかあさん、なんでわたしのゆめにきたの」と聞かれました。
ははぁ、たしかに、夢の中で会う人が自分の頭のなかで動かしたイメージだとは感じられないものねえ。
娘の頭のなかに、私の行動モデルができあがってるんだな、と思う出来事でした。

 

4
娘は、よく、頭の中でいろいろな行動モデルを動かしてシミュレーションをしているようです。ひとりで遊ぶ時には、ぶつぶつと何かの会話をしています。そして、しばしば、それをなぞる会話をするために、セリフを指定してきます。たとえば、絵を描いているときに、「『Mちゃん、なに描いてるの』ってきいて」という感じに。そのように問うと、娘はしかるべき返事をします。シミュレーションの通りに現実が展開すると満足するようです。ほんとうに、脳は、物語り、推測するマシンなんだなーということが、子どもを見ているとよくわかります。

 

5
娘は、これまで行っていたデイケア(カエルの学校)を卒業して、新学期からは公立(ニワトリの学校)のPreK生になりました。

カエルの学校の最終日、私は、娘が今後クラスの友達と会うことはおそらく一生ない、と感じて、勝手に寂しくなっていました。娘はいつも通り楽しくすごして、いつもと同じようにばいばいと言って去りました。娘が忘れてしまったときのために、ここに名前を記しておきます。ジル、レイチェル先生、リリー、リリアナ、メラニー、マリー、ジェイコフ、ジェイジェイ(LLMMJJ)。娘となかよくしてくれて、ありがとう。

 

 

こけぐま