「池大雅 ー陽光の山水」に行ってきた

 三週間ほど前、出光美術館で開催中の「池大雅 ー陽光の山水」に行ってきた。昨年12月22日の記事で触れたように去年は池大雅生誕三百年だったが、一年遅れてこれを祝うものである。

 出光美術館は大雅の作品を多数所蔵しているが、その多くは十二年前に観ている(「日本の美・発見V 大雅・蕪村・玉堂と仙厓ー「笑」のこころ」(2011年9月10日~10月23日))。件の展覧会の印象自体が強かったことに加え、購入した図録を時折眺めていたこともあり、この時観た絵は、心に残っている。だから、今回の訪問時でも、いくつかの作品については、旧知の友人と出会ったような懐かしい心持になった。「瓢鯰図」「山邨千馬図」などは、一度観たら忘れられない飄逸とした味わいがあるし、「竹裏館図」や「十二ヵ月離合山水図屏風」などを観ていると、絵の中に引き入れられる心地がする。こうした絵といくらかの時を経て相対すると、歓びが心の底から静かに立ち上ってくる。

 また今回の展覧会は、大雅の中国像がどのように作られたか、であるとか、大雅の旅行がその画業にいかに影響を与えたのか、といった点にもスポットをあてている。大雅が参照したであろう友人木村蒹葭堂所蔵の漢籍やら、彼の旅行時のスケッチなどを見ていると、「ほ~、ほ~」と頷くしか能がないとはいえ、その画業の奥行きが感じられるような気分にもなってくる。

 

 ところで、絵をのんびりと眺めていてちょっとびっくりしたのが、「餘杭幽勝図屏風」という絵に付された説明。正確を期すために図録から引けば、「昭和八年(一九三三)の京都恩賜博物館で開催された池大雅遺墨展覧会に出品されて以来、約九〇年ぶりの展示となる」とのこと(本展覧会図録141頁)。一時期は「所蔵不明」とされていたそうだ。こうした絵は、相当のお金持ちの方がひそかに所蔵しており、確実に秘密を守ってくれる知人や研究者にだけ見せていたのだろう。普段はどこに置かれているか知る由もないが、広々として温度や湿度には最大限の配慮がなされた、しかし簡素な和室にあるのだろうか、などと勝手に想像する。と同時に、この展覧会のために貸し出してくれるよう所蔵者の方と交渉なさった学芸員の方々の苦労も、的を外しているかもしれないとは思いつつ、あれこれと想像する。そうしたご苦労の一端を、差し支えのない形で聞かせていただければ面白かろう。もっとも、こうした俗な思いは、大雅の絵にまつわる事柄としては、ちと似つかわしくないのかもしれないが。

 

 展覧会は3月24日まで。東京近郊にお住まいの方、それまでに東京訪問の予定がある方、ぜひ訪ねてみてください。

 

M&M's

亡き恩師のお宅に伺う

 過日、七年前に亡くなった恩師のお宅にご挨拶に伺ってきた。コロナがあったので、正確かは心もとないが、五年ぶりくらいになろうか。恩師の方の奥さまと私自身の〇十年来の友人でもある息子さんと、三人、食事をしつつ、近況を報告しあう席をもったわけだ。奥さまが諸事情でこの家を離れられることとなり、「M&M'sくん、その前にいらっしゃい」とご招待を受けた次第。

 こちらのお宅を訪れたのは、誇張なしに三十回か四十回ほどになると思う。高校、大学時代にも何度かお邪魔したし(今回、その頃の写真を見せていただいた)、その後も、何度となくご挨拶に訪れている。最寄りの駅からお宅まで歩く際にも、数年ぶりなのに、体が迷いなく動いていく。

 心づくしのサラダ、サンドウィッチ、ポトフと美味しいワインをいただきつつ、三時間ほど歓談の時を持った。話題は、ここ数年の自身や家族の経験、あるいは最近の仕事などを巡ることだったが、自ずと亡き恩師の方へとも移っていく。引き払うために少しずつ片付けられたお部屋を拝見していると、ふと、その場に先生がいらっしゃらないことが大きな喪失として感じられ、比喩ではなく瞼に涙が浮かんできた。その思いが私より遥かに深い奥さまとご子息を前にして失礼とは知りつつ、感じたことをそのままお二人に口にした。と同時に、この哀しみは決して悪いものではない、と、こちらのお宅ですごさせていただいた時間の喜びが深いからこそ感じられるもので、そう思えばむしろ甘やかな哀しみとも呼びうる、と、心の底から感じ取った。もう一人、別の恩師が言っていた、「どのような哀しみであれ、それを感じないよりは感じる方が豊かな人生だ」という言葉が思い出される。

 

 先生はお亡くなりになる少し前、お二人が病室にいる時に、「しあわせな人生だったよ」とおっしゃったとのこと。他人との妙な競争に明け暮れることなく、ご自分の道をしっかりと歩まれながら、同時に多くの方のために尽くされた人生なので、もちろん先生ご自身の偽りなき言葉なのだと思うが、この言葉は同時に、お二人(あと、その場にいらっしゃらなかったお嬢さま)に、わけても奥さまに向けてのものだったと思う。そうしたお心遣いを、自然に示す方だった。

 こうした方を恩師と呼べることを(しかし、先生はそう呼ぶことを私に許してくださるだろうか?)、人生の最大の幸運に数えたい。

 

M&M's

 

(3月2日記)

 

気分転換としての月刊誌

 なかなか慌ただしい毎日で、ついつい目の前の仕事のことばかり考えてしまう。集中している、と言えば聞こえがいいが、捉われているとも言える。そうなると実際には仕事の質も下がってしまう。これを避ける手段は色々とあるが、それほど長くない、かつそれなりに意義があるものを読むのがよい。気分転換にもなるし、普段とは違う情報に触れれば脳がリフレッシュしたように思う。飲酒時の後のように「無駄なことをしてしまった」という罪悪感に悩むこともない。

 そうした読み物としては短編小説があるだろうが、こちらは当たり外れが大きい。読みなれたエッセイなどは間違いがないが、新しい情報を得られない憾みは残る。そう考えると、適度な長さの記事を多く含む月刊誌は、新しい情報を得つつリフレッシュするという意味ではなかなか悪くないのではないか。千円程度というと安くはないようにも思うが、立ち止まってみれば、あれほどの情報にこのお金で触れることができるのはありがたいことだ。

 というわけで、私はたまに(といっても年に五、六回ほど?)月刊誌を買ってきて気分転換をはかる。

 先だって芥川賞受賞作(「東京同情塔」)が掲載されているということで、『文藝春秋』を買いに行ったところ、隣にあった『中央公論』の表紙に出ている特集のタイトルが面白そうだったので、つい二冊とも買ってきた。

 前者については、色々と面白い記事があったが、わけても柳田邦男「JAL乗務員緊迫の証言 ー羽田衝突事故の死角 前編」は充実していた。例の1月2日の事件を巡るルポルタージュだが、複数の動画による記録やインタビューをもとに、冷静に淡々と事実のみを記述し、その上で、「奇跡」とも呼ばれる脱出を可能としたJALの体制を説明し、加えてさらなる改善点を提案するものだ。この件を巡り、特にペットの件を巡り数多くの煽情的な(そして、はっきり言えば無駄な)言葉が数多く交わされたが、そうした議論に過剰に入れ込んだ人は、この記事を読むとよい。

 しかし、柳田邦夫、87歳にしてこの筆力なのですね。スタイルが完成しているのが理由だろうが、それにしても驚かされる。彼の名は、中学の時に『空白の天気図』を教師に勧められて知った(中学生にこの書を薦めた教師 ー候補は三人ほどいるが、誰だか確実には覚えていない- を尊敬する)。冷静な筆致に心惹かれつつも、後は『マリコ』と『犠牲』くらいしか読んでいないはずだが、久しぶりにそのお名前を拝見して、懐かしい心地に誘われた。

 『中央公論』については、特集「大学と生成AI」で、この問題を巡る様々な声に触れることができる。現状での、大学の教育現場での生成AIを巡る問題を総覧するには良いのでは? ただし、折角の機会なのだから、レポート作成などでの生成AI使用の推進派と懐疑派での討論があると、一段と面白いものになったと思う。こうした場合の常として、意見を同じうしている人同士の議論というのは、優れたものであれ、閉じている、という印象を微妙に与える。

 その他、この『中央公論』3月号では、「新書大賞2024」の決定に際しての新書の特集が面白い。何か手軽な本が読みたいけれど、どの本がよいか迷っている、という方は、この特集を読むとよいかもしれません。

 余談だがこの中で、とある評論家がお勧めの新書を五つ挙げる中で古賀太『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』に関し、「イタリア映画のことを何も知らない人間が堂々と推薦文を執筆していることが、相当に笑える」と、攻めに攻めたコメントを付している。ついつい気になって検索をかけてみると、ああ、多分こういうことなのね、と事情がすぐわかった。この評論家、私、嫌いではないのだが、時々こういう嫌味を飛ばすのがいただけない。実名を挙げて万が一検索に引っ掛かった時が面倒なのでその名はここでは記さないが、気になる方は同誌182頁最上段をご覧ください。

 

M&M's

 

(3月2日執筆:遅れに遅れていますが、仕事に追われているだけで、精神的には(多分)元気です)

京都での散歩

 先日出張で京都に行き、移動の前に少し時間ができたので、京都郊外を散歩したくなった。京都に住んだことはないが、大原や貴船、鞍馬、あるいは逆に宇治の方にも行ったことがあるので、訪れたことがないところにしようとしばし思案、比叡山に登ろうと、朝、それなりに早い時間に、京都は繁華街のホテルを後にした。

 ところが、叡山電鉄八瀬比叡山口を降りると、どうも勝手が違う。観光に向かう人が全くいない。とりあえず、と思い、ケーブルカーの駅に向かうと運休となっている。慌ててスマートフォンで調べると、確かに冬季は運休とのこと。愕然としてしまった。(ちなみに、京都在住の友人も、このケーブルカーが冬季は運休であることを知らなかった。そもそも、比叡山のHPに、このことを書いてくれても良いのではないか、と思うのだが、それは甘えだろうか?)

 

 もっとも、落ち込んでばかりもいられない、というか、落ち込むほどのことでもない、と気持ちを切り替えるのは、それほど難しくなかった。幸い梅もほころび始めている初春の陽気、のんびりと目的もなく散策をするには良いきっかけ。

 こうして私は八瀬の界隈を、ほぼほぼ叡電に沿いながら初めて散策することとした。まずは崇道神社を覗いた後、蓮華寺へ。平日の朝、訪問客は一人だけで、素晴らしい庭を一人でじっくりと眺め、普段は得られない時間をすごすことができた。蓮華寺のことは知らなかったのだが、素晴らしい庭と思う。蓮華寺の方と「素晴らしいお庭ですね」とお話しした後、この方に教えていただいた三宅八幡宮に向かい、そこから三明院を経て南下、白川通沿いを歩き、途中東に向かって、十年ぶりほどとなろうか、詩仙堂を訪れた。平日の午前中は、やはり人が少ない。詩仙堂はこれまで五~六回は訪問していると思うが、今回が最も人が少なかった。あのお庭を「独り占め」している、という感覚は、なんともいえず贅沢なものだ。

 この後、以前訪問した金福寺に行こうかとも思ったが、これは冬季で閉まっており(2月の京都は人が比較的少なくてよいが、こうしたことがあるようですね)、代わりに、未訪問の狸谷山不動院まで行ってきた。これ、歩きだと本当にいい運動になります。

 ここでタイムアップとなり、バスで繁華街に戻って荷物をピックアップの上、次の目的地に移動。

 これといったオチはなく、自分の備忘録ではあるのだけれど、初春の京都をあてもなく歩くというのは、この上なく贅沢な経験だった。例えば定年後といった、事実のんびりした毎日の中でではなく、それなりに慌ただしい日々の中で、ふっと凪のようにこうした時間が訪れたことが、一段と、僥倖のように思えたのだった。

 

M&M's

(2月19日記)

蓮華寺の庭

詩仙堂

 

正論は危険だというけれど

 「正論」を声高に言うことの危険が、以前以上に強調されるようになって久しい。SNSにおける匿名の「正論」の合唱を見ていると、そうした危険の指摘もよくわる。芸能人の不倫に対しての批判などを見ていると、みんな、もう少し別のことに興味を持とうよ、と、言いたくもなろう。

 また、いじめを巡って、「加害児童の人権」であるとか「矯正可能性」といった言葉を発する人を見ると、「それは、お題目の繰り返しにすぎないのでは? そんな姿勢でいじめが解決するなら、あなた方の仕事はAIにとってかわられるよ」と、皮肉の一つも言いたくなる。

 

 もっとも、「正論の危険性」を指摘する人が、まさにそうした「正論」に反している時は、やはり違和感を覚えざるをえない。いじめの加害者が「加害者の人権」を唱える姿などを見たり、何かしらの悪行を犯した人が、糾弾する人に対して「正論の危険」を説くのを見ると、「盗人猛々しい」という言葉が喉元まで出る(と言うか、実際に相手にそう言ってしまうこともある)。

 「正論の危険」を説くのは、やはり第三者であろうし、加えてそれを説くタイミングもあろう(例えば、相手が深く反省しているのをさらに追い込むのがよくない、という点には、私も賛同する)。こうした微妙な点を抜きにして「正論の危険性」を説くことは、逆に、世間にある程度通用してほしい社会正義を骨抜きにする危険もあるかもしれない。

 そうしたことを考えることがあった、ということです。

 

M&M's

(遅れに遅れて2月19日記、充実の毎日ではあります)

たばこの止め方

 たばこは若い頃に相当期間吸っていたが、やめてずいぶんになる。一応、人生全体を見れば(幼児期を含めるということ)、たばこを吸っていない期間が喫煙期間を越えた。もっとも、たばこを始めた時期を起点とすると、まだ、喫煙期間の方が長いけれど。

 それはともかく、ある時期から私は、素面の時は喫煙せず、酒席でのみ吸うようになった。職場が禁煙になり、わざわざ喫煙場所まで行かねばならぬことは大きかった。世の趨勢に流されるようであり、少々反発はあったが、時間その他を考えれば仕方がないことだった。とはいえ、上記のように酒席では吸い続けていたわけだ。

 もっともその後、ある区切りの年齢になることを境に、しっかりと禁煙してみようかと思った。その時期にランニングを始めたことも大きい。

 ところで、自分の意志の弱さは自覚していた私は、禁煙のために「荒療治」に出た。この日から吸わない、と気持ちに定めた日の数日前に、行きつけのバーで徹底的に呑みかつ煙草を吸ったのだ。経験がある人はわかると思うが、こうすると、翌日はもちろんのこと、場合によっては三日ほどは、頭痛と気分の悪さが残り、たばこを吸おうという欲求が起きないのである。記憶が曖昧だが、この時は三、四日は、たばこへの欲が出なかったように思う。もちろん、その時期をすぎると徐々にたばこへが吸いたくなるのだが、少し禁断症状が薄れているし、上に記した「区切りの年齢」というのも、禁煙の後押しになる。こうして私は、喫煙期間の長さの割には比較的容易に禁煙に成功し、今に至っている。恐らくは直後に定期的に走るようになり、こちらに少々のめりこんだことも大きいだろう。

 ところで、他の欲求を禁ずるにあたって似た手段は有効なのだろうか? 食欲や性欲に関しては、上と類似の方法は浮かばなくもないが、実行は難しかろう。単純に体力的な限界がある。もっとも酒に関しては、成功の可能性が上がりそうだ。この方法は、生物学的に一次的ではない、しかし身体的に何かしら広い意味での「中毒症状」を引き起こしている欲求を解消するためには有効なのかもしれない。

 もっとも、「ゲーム中毒」や「スマホ中毒」の解決にはあまり有効ではないようにも見える。「達成感」であるとか、「継続が容易にできてしまう」といった点から見て、たばこや酒の場合とは違うのだろう。

 

 あまり大した話ではないけれど、この「禁煙」の方法を話したら、「なるほど、それも案外ありかもしれませんね」と言ってくれた若い人がいたので、どなたか活用してくださればと思い、記しておきます。実行の際にはくれぐれもご注意を。

 

M&M's

(2月9日記)

運転するってどういう気分?

(凄まじい繁忙期にあり、ついに一週間遅れ -日頃気になっていることを簡単に綴ることで責を塞ぎますー なお、私は運転免許を持っていません。将来考えが変わる可能性はありますが、今のところは、免許を持たない、と心に決めています)。

 

 私の住む街は、恐らく車の運転のマナーはよくないと思う。横断歩道を渡ろうとすると、右折ないし左折してくる車の多くが、ギリギリまで詰めてくる。「お前が待てばいいんだよ」という声が、フロントガラスから聞こえてくるようだ。その他多くの問題があるが、一言で言えば「自分のことを最優先にする」というエートスに満ちているかに見える。こうしたことの常として、しっかりとしたドライバーの方が多いのだろうが、マナーを守らぬ人がどうしても目立ってしまう。そして、私の住む街にはやはりそうしたドライバーが相対的には多いと思う。

 

 なぜだろうか? 私の住む街では相対的に車の地位が高い、ということはあろう。基本的に皆運転免許を持っており(ちなみに、娘のクラスで自家用車を所有していないのは我が家のみ)、歩行者の地位は相対的に下がる。車を持っていないのは貧乏だからだろう、と思う人もいるらしい。なるほど(納得した訳ではない)。

 ところで、こうした地域性を離れることになるが、私がより根本的に気になるのは、車の運転はエゴイズムを高める傾向があるのではないか、ということ。車を運転していれば、確かに素晴らしいスピードで、遠くまで行くことができよう。だとすれば、そうした人が、歩行者や自転車で移動する人に対して、「なんでこんな楽しいことをしないんだろう、あっ、きっと貧乏なんだ」という気持ちになることはわかる(そういう気持ちになる仕組みがわかる、という意味であり、納得はしていない、というか、そういう気持ちになることを軽蔑する)。気持ちよく運転している時に歩行者のために止まらねばならないことを、「不満」と思う傾向になることもあろう(同じく「仕組み」がわかるだけで、そうなる人はやはり軽蔑する)。

 この推察が正しいのなら、どうも「運転をする」という経験は、場合によっては人の自意識と万能感を高める危険を持つ、というより一般的な推測ができるのではないか? そしてその結果、本来は車の性能に由来する多くの利点(利点があることは認める)が、あたかも自分の能力に由来すると、こう錯覚するドライバーが出てきているのではないか?

 余りに攻撃的な文章なので一応「言い訳」をしておけば、そうでないドライバーの方がはるかに多いことはわかっている。とはいえ、上の分析が当てはまる人も少なからずいるように思う。「運転すること」が自意識や自己評価に与える影響を扱う、心理学的な研究、あったら面白そうですが、どうなのでしょうか?

 

 余談を一つ。

 ちなみに家人は免許は持っているがもう数十年運転しておらず、少なくとも車については考え方が似ている(車を持たない方が健康にもいいし、経済的にもいい、車が便利であることはわかるので自家用車を持つ人にあれこれ言う気はないが、マナーの悪いドライバーには心底辟易している、など)。そうした二人に育てられた我が娘も、完全に影響を受けている。

 もう二、三年前のことになるが、彼女、横断歩行中に詰めてきて、さらにはあろうことかクラクションを鳴らした挙句「早くしろ」などと言った男性に対して、「歩行者優先でしょう、ルールくらい勉強しなさい」(大意)と言い放ったらしい。さすが我が娘、と嬉しくも思ったが、同時に心配にもなる。

 こうした堂々とした態度を守りつつ、同時に身を守ることも覚えてもらうには、どのように言えばいいのだろうか?

 

M&M's

(2月2日記)