運転するってどういう気分?

(凄まじい繁忙期にあり、ついに一週間遅れ -日頃気になっていることを簡単に綴ることで責を塞ぎますー なお、私は運転免許を持っていません。将来考えが変わる可能性はありますが、今のところは、免許を持たない、と心に決めています)。

 

 私の住む街は、恐らく車の運転のマナーはよくないと思う。横断歩道を渡ろうとすると、右折ないし左折してくる車の多くが、ギリギリまで詰めてくる。「お前が待てばいいんだよ」という声が、フロントガラスから聞こえてくるようだ。その他多くの問題があるが、一言で言えば「自分のことを最優先にする」というエートスに満ちているかに見える。こうしたことの常として、しっかりとしたドライバーの方が多いのだろうが、マナーを守らぬ人がどうしても目立ってしまう。そして、私の住む街にはやはりそうしたドライバーが相対的には多いと思う。

 

 なぜだろうか? 私の住む街では相対的に車の地位が高い、ということはあろう。基本的に皆運転免許を持っており(ちなみに、娘のクラスで自家用車を所有していないのは我が家のみ)、歩行者の地位は相対的に下がる。車を持っていないのは貧乏だからだろう、と思う人もいるらしい。なるほど(納得した訳ではない)。

 ところで、こうした地域性を離れることになるが、私がより根本的に気になるのは、車の運転はエゴイズムを高める傾向があるのではないか、ということ。車を運転していれば、確かに素晴らしいスピードで、遠くまで行くことができよう。だとすれば、そうした人が、歩行者や自転車で移動する人に対して、「なんでこんな楽しいことをしないんだろう、あっ、きっと貧乏なんだ」という気持ちになることはわかる(そういう気持ちになる仕組みがわかる、という意味であり、納得はしていない、というか、そういう気持ちになることを軽蔑する)。気持ちよく運転している時に歩行者のために止まらねばならないことを、「不満」と思う傾向になることもあろう(同じく「仕組み」がわかるだけで、そうなる人はやはり軽蔑する)。

 この推察が正しいのなら、どうも「運転をする」という経験は、場合によっては人の自意識と万能感を高める危険を持つ、というより一般的な推測ができるのではないか? そしてその結果、本来は車の性能に由来する多くの利点(利点があることは認める)が、あたかも自分の能力に由来すると、こう錯覚するドライバーが出てきているのではないか?

 余りに攻撃的な文章なので一応「言い訳」をしておけば、そうでないドライバーの方がはるかに多いことはわかっている。とはいえ、上の分析が当てはまる人も少なからずいるように思う。「運転すること」が自意識や自己評価に与える影響を扱う、心理学的な研究、あったら面白そうですが、どうなのでしょうか?

 

 余談を一つ。

 ちなみに家人は免許は持っているがもう数十年運転しておらず、少なくとも車については考え方が似ている(車を持たない方が健康にもいいし、経済的にもいい、車が便利であることはわかるので自家用車を持つ人にあれこれ言う気はないが、マナーの悪いドライバーには心底辟易している、など)。そうした二人に育てられた我が娘も、完全に影響を受けている。

 もう二、三年前のことになるが、彼女、横断歩行中に詰めてきて、さらにはあろうことかクラクションを鳴らした挙句「早くしろ」などと言った男性に対して、「歩行者優先でしょう、ルールくらい勉強しなさい」(大意)と言い放ったらしい。さすが我が娘、と嬉しくも思ったが、同時に心配にもなる。

 こうした堂々とした態度を守りつつ、同時に身を守ることも覚えてもらうには、どのように言えばいいのだろうか?

 

M&M's

(2月2日記)