2024年はどんな年?

 この2024年がどのような一年となるのか、全く想像がつかない。恐らくは11月のアメリカ大統領選挙が最大の争点となり、私ですらその推移に心揺れるのだろうが、出来ることと言えば、好ましくない結果となった時のための心の準備でしかない。

 そうしたリアルタイムの事柄を脇に措いた場合、2024年はどんな年になるだろうか? 誰の生誕百年だとか、誰の没後二百年、といった視点で捉えると、今年はどんな年になるか、という問いである。

 こうした問いを立てるようになったのは、恐らくは2020年のこと。この年はベートーヴェン生誕250年で、コロナで大体はなくなってしまったとはいえ様々な企画があり、折々ベートーヴェンのことを意識することとなった。この年以来、年初にはwikipediaを眺めて、その年が誰のアニヴァーサリー・イヤーであるかを確認する習慣がついた。大した実益はないが、自分の読書・音楽鑑賞・映画鑑賞の内容を決めるきっかけにはなるし、話題の糸口にもなる。何かの企画を打つのに役立つこともないではない。ちょっとした検索で得られる余得としては、なかなかではないか。

 

 さて、改めて2024年である。すぐに思いつくのは、カント(1724-1804)の生誕三百年であり、メーヌ・ド・ビラン(1766-1824)の没後二百年に当たること。こうして見ると、近代哲学のメインの潮流が1724年から1824年にかけて形成された、というはったりをかましても、的は外していないと思う。事実、フーコーの『言葉と物』は、半ば以上、そうした時代感覚に基づいたものではないか(フーコーはメーヌ・ド・ビランの名前は引いていないけれど)。

 しかし、このテーマは余りに重いので、別の面に目を向けてみる。

 音楽の面では、ブルックナー(1824-1896)の生誕二百年であり、またフォーレ(1845-1924)の没後百年にあたる。ブルックナーは嫌いではないが(昔は大好きだった!)、この方の曲に入れ込む体力はほとんどない。とは言え、オーケストラの実演には一度くらい行っても良いかもしれない(実演なら8番が聴いてみたいかな)。フォーレであれば、もう少し入れ込むことができるだろう。一年かけてゆっくりと、彼のピアノ曲と歌曲を聴き、併せて、積読になっている彼を巡る書物のいくつかを読了できれば、2024年の終わりにも、「今年は良い年だった」と言えるように思う。

 文学で言うと、今年はカフカ(1883-1924)、並びにアナトール・フランス(1844-1924)の没後百年に当たる。どちらかと言えば前者に脚光が当たるから、あえて後者についてあれこれ述べてみたい気もする。とはいえ、「21世紀にアナトール・フランスですか、ふふふ」と微苦笑されるリスクは負わねばならない。悩ましい。しかし、彼の小説のスタイルが多少古びたものとなっていることは否めないにせよ、彼が人間心理に向けた眼差しまでが古びたわけでもあるまい。岩波文庫でもアナトール・フランスはほとんど手に入らないのだが、せめて、『神々は渇く』と『シルヴェストル・ボナールの罪』くらいは、簡単に本屋で手に入るようであってほしい。前者はフランス革命を巡る小説としては最高傑作だろうし、後者は、本好きにはたまらないものがある。私自身は高校の頃この本を読んで、「書物を読んで一生を生きていきたい」と思ったのだった(だから、この本のせいで、私は人生を「誤った」(?)とも言える)。

 映画について言うと、2024年は名だたる名女優たちの生誕百年にあたる。淡島千景(2月24日生)、赤木春恵(3月14日生)、京マチ子(3月25日生)、高峰秀子(3月27日生)、乙和信子(10月1日)が、1924年生まれなのだ。独自の存在感を兼ね備えたそうそうたる顔ぶれではないか(ちなみに、越路吹雪や、国外だがローレン・バコールもこの年の生まれ)。ある一定の年齢以上の方々は、このうちの誰かには、心動かされたこともあると思う。今年は彼女たちを偲ぶに、良き年なのである。

 もっとも、昭和は遠くなりにけり。言っても詮無いことだし、言わぬが花かもしれないが、若い方々は、彼女たちの名前は知らないだろう。私(たち)が彼女たちの名前を挙げて寿いだとて、老いた人々の「昔はよかった」という繰り言にしか聞こえないかもしれない。

 しかし、あえて言うが、若い人にもせめて高峰秀子くらいは知っていてほしい。もちろん私とて、世代からして、映画館で彼女の映画を観て歩いたわけではないが、映画館、あるいはDVDなどで観た「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾年月」「二十四の瞳」「流れる」などは、すべて心に残っている。そう言えば、2018年7月20日の記事で触れた「無法松の一生」のリメイク版でヒロインを演じていたのも、彼女だった。人によってはいくらでもこのリストを長くできるだろう。

 彼女の芝居を見ていると、「女優とはかくあるもの」とつくづく思う。彼女は、一つのタイプしか演じられないといったことがなく、様々な役柄を見事に演じるという意味で真の「女優」であった(私が言うのもおこがましいが)。若い人に、「これからの長い人生で本当に映画や演技といったものを楽しみたいなら、高峰秀子の映画を何本かは観ておくとよいよ」といっても、妙な抑圧やナルシスティックな昔語りにはならないと思うのだが、どうだろう?

 

 思い返すと、彼女の映画を最初に観たのは、間違いなく、小学校低学年の時、夏休みに近くの公的施設で催された「反戦映画特集」でのことだった(この時、ドイツ映画の「橋」も観ており、ラストシーンは今でも記憶に残っている)。「二十四の瞳」を観たのである。子ども心に、あの映画の中で流れる時間の経過や様々な子どもの人生の変化を思い、心揺さぶられたように思う。二、三年前に娘と一緒に観たのだが、相当のシーンを覚えており、確かにあの時にこんなことを感じたと思いながらそうしたシーンを観たので、記憶の捏造ではなかろう。

 この記事の主題からは逸れてしまったが、ああした映画を観る機会を、今の子どもたちは持つのだろうか、と独り言つ。

 

M&M's

 

(1月23日記)

八代亜紀が亡くなって

 八代亜紀が昨年末12月30日に亡くなったとのこと。演歌を好んで聞くわけではないが、彼女の死には多くの人と同じく何とも言えない悲しみを覚える。たとえ芸能人であれ子どもの頃から知る人が亡くなると多少とも感慨があるが、彼女については特にその思いが深い。

 なぜだろうか。

 もちろん、歌手として極めて優れ、同時に時代に合っていたことを一に挙げるべきだろう。この点について語る能力は私にはない。とはいえ、彼女の歌が多くの人に愛され、いくつかは数十年にわたって歌い継がれてきたことを思うと、「時代が求めた女」という(山口百恵について使われるらしき)称号を、彼女にこそ捧げたくも思う。加えて、昭和への郷愁を秘めながらもそれに惑溺することなく、平成、令和と時代が移り行く中で、軽やかに自分の生き方を追求していったように見えることも、彼女の魅力であろう。

 また、華やかでありながら親しみやすく、時には一歩引くような印象を残したことも、彼女の人気の理由ではないか。この点は、自身の化粧を巡る替え歌を逆に笑いの種とする度量を示したことに、よく現われている(実際の彼女は薄化粧だったそうだが)。彼女の意図かはわからぬが、12月30日に亡くなった後しばしその死が公表されなかったことも、その奥ゆかしさを象徴しているように思う。スキャンダルがなかったことも大きいかもしれない。彼女は、中規模の共同体にいてほしい、精神的リーダーとしての役割を果たす女性のお手本の一つであったと言えば、恐らく的を外してはいまい(いわゆる「ご意見番」にはならずにその役を果たしたことも大きい)。ああした方が上司にいる組織は、少なくとも雰囲気はとても良いのではないか、そしてそれが組織の業績に繋がるのではないか。彼女の息の長い人気の理由は、もしかしたらそうした点にあるのかもしれない(私の八代亜紀の魅力の分析には、どこかしら昭和の男性の「甘え」があるかもしれないけれど)。

 個人的な記憶を辿ると、八代亜紀の声は、夜の渋滞の高速道路の思い出と深く結びついている。まだ小学生低学年のころ、休日、家族とのドライブの帰途や帰省先から戻るとき、夜の高速道路の渋滞に巻き込まれることがよくあった。まだ幼いがゆえに心身の疲れのいなし方も知らず、子どもながら「人生の退屈さ」とも呼びたくなる感情を持て余している時に流れていたのが、父が好きでかけていた八代亜紀だった。「舟唄」であった。あまりにできすぎた話なので捏造の可能性を疑いたくもなるが、この歌のヒットの時期を思えば、恐らく間違いない記憶だ。その声には、どこか、そうした「人生の退屈さ」にじっと耐えることの大切さ、尊さを教えるような風情があったと思う。

 今でも「舟唄」を聞くと、夜の高速道路の渋滞の中、運転席の父の隣で疲れをもてあましつつ、遠くに見える灯をぼんやりと眺めながらこの曲に耳を傾けていた時の思いがよみがえる。

 

M&M's

 

年初にあたって

 直接のお知り合いの方も、それ以外の方も、本年もよろしくお願いします。

 

 もっとも、年初とはいえ、ここでは触れるまでもない事情のゆえに、昨年までのように能天気なことを書き綴る気にもならない。元旦、二日と立て続けに起こった出来事は、少なからぬ人にとり何かしら関わのあることであり、心ざわめく思いで過ごされた方も多かろう。私自身について言えば、元旦の地震については、いくつかの事情のゆえに心を痛めている。何かしら縁ある方々のご無事と健康を静かに祈るばかりである。また翌日の飛行機の事故については、この経路をよく利用するだけに他人事ならぬ思いがした。しばらく連絡のなかった親戚が、「M&M'sくんは大丈夫か?」と心配して、母に電話をしてくれたらしい。

 こうした中で、あえて「今年の抱負」、いや「今後の抱負」を書けば、次のようになろうか。
 第一に、人の生の儚さ、もろさといったことを、もう少し意識するようにしたい。もちろん過度に人生の儚さを強調してはならないと思うのだが、それでも、私たちの人生が不確定要素に満ちていることを忘れてはなるまい。全ての不確定要素に応対はできないが、いざ何かしらのことが起こったときのことは考えねばならない。若くはない身として、様々な意味で、不測の事態に備える実際的な能力と胆力とを身につける必要を、改めて痛感している。
 もう一つ、当たり前のことだが、これまで以上に他人のことを意識して生きていきたい。これまで過剰にエゴイスティックに生きてきたとも思わないが、どちらかと言えば、自分のことと家族のことを優先してきた。しかし、年齢的に、もはやそういう年ではなく、自分が他の方々のために何ができるのか、これを生活の軸の一つには置きたいと思うようになったのだ。


 上での述べた二つのいずれも、誰でもそうすべき、といった意味で書いているのではない。ただ、自分がそうしたことを意識する年齢になったことを痛感しており、そうであるならば、そうした一種の「義務感」を大切にすることが、今年の課題だろう、ということなのです。この元旦、二日と続いた事柄は、そうした私の思いを強めた、あるいはくっきりと形にしたように思います。

 

M&M's

 

終わりよければすべてよし

 思い返すと2023年の最初はとにかく大変であった。「大変さ」の内実を書き始めると怒りがふつふつと湧いてくるし、読者の方にとっても気持ちの良いものではないので、記さない。

 

 とはいえ、後半は良いことが続いた。私個人としては、来年に向けての仕事の下準備が相当進んだし、年末には数年ぶりに京都を訪問できた。12月15日の記事にあるように気管支炎になってしまったけれども、「一病息災」と納得もできる。

 娘もファゴットという新たな楽器を始めて部活を楽しんでおり、小学校時代とは違って中学校では教師に恵まれ、さらに、年齢としては早い段階で、英検準2級を取得できた。

 そして、これがメインなのだが、家人がとある資格試験に合格した。家人は以前にこの資格のある級を持っていたのだが、さらに上位の級を取得したのだ。英検を例にすれば、以前から準1級を持っていたが1級に合格した、といった感じで捉えてください。

 私が言うのも何だが、難関の試験で簡単に合格できるものではない。勉強を独学で始めてから三年強となろうか。日々努力する姿を見ていただけに、我がことのように嬉しく、また敬意を覚えている。ちょっとせこいことを書くと、年をとっても通用する資格なので、私、引退した後は「髪結いの亭主」になれるかもしれない。もっとも、家人に「これで僕たちの老後も安心だね」と言ったら、「なんであなた、老後も私と一緒に暮らせると思い込んでいるの?」と返されてしまった。恐ろしい・・・

 

 ところで、資格については、事情をよく知らぬのにいい加減な批評をする人がいる。「英検」を例とするならば(あくまで「例」で、家人がとったのは別の資格です)、英検準1級を持つ人に、「英検は1級じゃないと意味がないよね」と言う人がいるのだ。家人は、折々この種の発言に不快な思いをしてきた。その不快さはよくわかる(英検を「例」にするならば、私と結婚した時家人は「英検準1級」を持っており、もちろん「英検1級を目指したら」という話はしたが、「準1級」を持っているだけでも十分に立派であろう)。なぜ、事情を知らぬ人がこのような発言をするのか? 自身の品性の低さを露わに示すことにしかならないのに。充実した人生を送る人に対する嫉妬であろうか? いやいや、こんなふうに書いていくとこちらの品性が疑われてしまうので、ここでやめる(もう遅いか)。

 もちろん、ちょっとした資格をとっただけで鼻高々になっている若い人に「上には上がいるよ」と伝えることが必要な場合はある。英検3級をとっただけで(まあ、立派は立派だが)、周囲に自分の英語力を誇る中学一年生がいるようだが、そうした生徒に、謙虚であることの重要性を説くことには意味もあろう。しかし、社会人が自分のキャリア形成に中で取得した資格については、まずはそれを祝福するのが礼儀ではないか。もちろん、自身の資格を過大に評価して自慢する人もいようが、そういう人を裁き判断するのは、社会であり就職試験などであって、私たちではない。

 とはいえ、世の中にはそうでない人も多い。もちろん家人や私は、他の人については「英検準1級」を持つ人の努力と能力を寿ぎたいと思うが、世の中には、事情も知らぬのに、「英検は1級じゃなければね」と平気で言う人も多々いる。これを変えることはできない。そうであるならば、そうした人々に黙っていただくには、「英検1級」を取得するのが早道なのである。妻は今回、当該資格を取得したことで、そうした無神経な発言を封じられるようになったわけだ。それは、合格の副産物に数えてよいだろう。もちろん、自分の人生と力に自信を持つことができたこと、これが最大の喜びであり、意義ではあるが。

 

 過日、件の試験の合格通知が届いた(Webでは確認していたが)日に、ちょうど、我が家族を心にかけてくださっている方々にお招きいただき、忘年会めいた一夜をすごすこととなった。この方々は家人の受験もご存知だったので、合格を報告できた。嬉しい偶然である。人付き合いが決して多くはない家人だが、この日は、心暖かい方々に祝福をいただくことができた。2023年はまさに「終わりよければすべてよし」という年になったのだった。

 

M&M's

 

大雅生誕三百年

 パラパラと本をめくっていて気付いたのだが、今年は池大雅(1723~1776)の生誕三百年にあたる。華麗な画業を誇る画家たちが煌めく十八世紀日本絵画において、特に名前を引かれるのは伊藤若冲であろうが、私自身としては、大雅の方が好ましい。観る者を何事かを強いることなく画中の世界へと誘う彼の絵は、絵画のなしうる事柄の理想に至っているのではないかと思う。漱石の『草枕』の画工の思考を体現するのは、私にとっては大雅である(ちなみに、『草枕』では一か所大雅の名を引く箇所がある)。

 彼の名を知ったのは中学か高校のころ、小林秀雄の評論で引かれているのを見てだと思う。とはいえその頃は、文化史上の一人物として名前を覚えただけであった。しかし、その後、一時期蕪村が好きになり、あれこれ書物をめくっていると、自ずと彼の名や画業が目に付くようになる。そうして折々彼の絵を観ることが増えるうちに、自ずとその絵画への愛着が増していった。古書ではあるがその画集を入手し、折々眺めるようにもなった。

 大雅に関しては、一つ思い出深いことがある。もう十年以上前、日本美術に詳しい知人に「大雅が好きで」と話したところ、「次に京都に行く機会があったら、ぜひ池大雅美術館に行くといいよ」と言われ、直後に京都に行く機会があったので、言われたとおりに訪問してきた。苔寺の傍にあるこの美術館、入館には予約が必要とのことで、敷居が高いのではと少々緊張して出かけたのだが、そんなことはなく、館長の方が様々な逸話やエピソードを交えながら色々と解説してくださり、大変ぜいたくな時間であった(ちなみに、観客は私一人だった)。恐らくは私の無知にあきれられたこともあっただろうが(妙な知ったかぶりなどはしなかった)、遠来の客をもてなす気持ちでいてくださったのだろうか、ありがたいことだ。私の中では、最も心温まる記憶の一つとなっている。この美術館、もう十年前の2013年に閉館しているのだから、こちらを訪問できたことには、「運がいい」という言葉だけでは尽くせぬ喜びがある。かの友人への感謝の気持ちも忘れてはいない。

 

 しかし、大雅については誰か新書を書いてくださらないだろうか。私が知る限り、大雅への入門を果たす簡潔な記述は、次の書に含まれている。

 

辻惟雄『十八世紀京都画壇 蕭白若冲、応挙たちの世界』(講談社選書メチエ、2019年)

 

 もっとも、副題に大雅の名が現われていないことからもわかるように、彼を巡る記述は多くはない。もちろん、それなりの専門書を探せば、しかるべき記述は出てくるのだが、私としては、千円程度で一般の書店で購入できる新書として、大雅の事績を紹介する書物が出てほしいのだ。

 あれこれと急かされあるいは人を急かすことが仕事となってしまっているこの時代、大雅の絵を楽しむ心は、一服の清涼剤以上に役を果たすと思うのだがどうだろう。

 いずれにせよ、こちらをお読みの方で大雅の画業をあまり知らない、という方がいらっしゃれば、正月、画像を検索してあれこれ眺めてみてください。

 

M&M's

(12月25日記)

 

 

気管支炎になった話

※ 遅れに遅れてクリスマスに書いています。よい意味で忙しかったのです。

 

 少し前のことだけれど、気管支炎になってしまった。

 11月頭から酒席が続き、それだけならよかったのだが、11月某日、知人の家で呑んだ後に朝まで眠り込んでしまった。ちなみに、恐らくは結婚後初めての無断外泊。幸い知人が家人もよく知る人であり、事情を察するところもあったので比較的簡単に許してくれたが、心配をかけて申し訳ないことをした。

 ところでそれから数日すると、どうも調子が悪い。喉に微妙な違和感がある。この日はどうしても外せない会議があり、そちらに出席したのだが、そのためか、さらに体調が悪くなった。この日は会議でご一緒する方に酒席に誘われていたのだが、そちらはお断りして早々に辞去した。体調はその後も悪化し、お世話になった方を偲ぶ会があったのだが、そちらも欠席、たまりかねて近くの耳鼻科に行ったところ、「典型的な気管支炎ですね」と言われ、抗生剤を処方されることとなった。私は極力抗生剤は拒否するようにしているのだが、今回は服薬したほうがよさそう、ということで素直にこの薬をとっていたら、大体五日くらいで体調も戻ってきた。風邪症状で苦しむのはコロナ以前以来だから、四年ぶりということになろうか。体が風邪に慣れていない、といったこともあったのかもしれない。

 

 この気管支炎で残念だったのは、東京からの客人からの会食をキャンセルせねばならなかったこと。半ば私と会うためにこちらに来てくださったのに申し訳ない限り。この方とはコロナの最中はZoomを介して何度もお話ししたとはいえ、直接お話しするのはほぼ四年ぶり、となるはずだっただけに、残念なことである。

 もっとも、自分は強運かもしれない、と思うこともあった。私は木曜日に仕事が集中しているのだが、この時はちょうど勤労感謝の日(11月23日)にあたり、仕事に穴をあけずに済んだ。こういう運はあるらしい。

 

 加えて、「一病息災」のようなところもあった。

 まずは、お酒を全く呑まず、規則正しい生活になることがある。抗生剤を服薬している最中は、食事の時間にも気を遣う。

 加えて今回は、PCに向かう時間が減った結果、ここ数年悩まされている眼精疲労と肩こりが少し和らいだ。これは予想していなかっただけに、ちょっと嬉しい効用であった。

 世には様々な病があるので、「一病息災」という言葉を用いる際には注意が必要と思うが、それでも、この言葉は、しばしば真実であるように思う。あるいは、この言葉が真実になるように私たちが心掛けるべき、と言うべきか。

 

M&M's

図書館の話(7)

 前回『税金で買った本』に触れたけれど、これはなかなか優れた漫画と思う。フィクションなので夢物語めいたところもなくはないが、総じて図書館の「リアル」をよく描いているのではないか。主要登場人物に、ちょっととんがった高校生を持ってきたのも成功の理由だろう。
 図書館を舞台とした漫画というと、他にもいくつか浮かぶ。
 すぐに出てくるのは、児童書を扱う私立図書館を舞台とした『図書館の主』だろうか。こちらも少々現実離れしたところはあるような気がするが、全体として、様々な児童書の優れた紹介になっている。数年前に全巻揃え、紹介されている本をいくつか子どもと読み、二年ほど前だっただろうか、お子さんが幼稚園年長くらいになった同僚の方に、「よかったら受け取ってください」とお渡しした。
 他に知られているものとしては『夜明けの図書館』があろうか。もっともこちらは、線の柔らかさが私の好みではなく、いまいち食指が動かない。「書物」が輪郭のはっきりした固体であるためか、どうもふわりとした絵柄とあわない、という思いがしてしまう。もっともこれは、繰り返すが、好みの問題だろう。
 少し変わったところでは『鞄図書館』がある。こちら、あらゆる書物を所蔵する鞄が図書館となっている、というシュールな前提のおかげで、どんな現実離れした話も然るべき場所を得ている。しかしこの漫画、完結しているのでしょうか? 

 

 図書館を扱った漫画について触れた以上、図書館を舞台とする、あるいは重要な要素とする小説をも考えてみたい。
 すぐに思いつく、そして私が思うにこのジャンルで圧倒的にトップにくるのは、もちろんエーコの『薔薇の名前』。そもそもこの小説では、書物が極めて説得力のある形で重要な役割を果たしている。これを越える「図書館小説」は、そうはないのではないだろうか?
 しかし、今回気づいたのだが、それ以外の「図書館小説」というと、思い浮かばない。「図書館 舞台 小説」といったキーワードで検索をかけると、なるほど、ある程度の小説は出てくるが、ぐっと心に来るものがない。紹介されているものの中で読了したものもあるが、「それほど図書館が前面に出ていたかしら?」と、首をかしげてしまうものも多い。
 もしかしたら、図書館というのは(ある意味「矛盾している」とも言えるが)小説の舞台になりにくい場所かもしれない。図書館はそもそも事件が起きにくい、というか、むしろ起きてもらっては困る場所の筆頭だからだ。「事件が起こる」としても、「これこれの本を探している」と訪れる人のために、僅かな情報(多くの場合、訪問する人の若き日の思い出)をもとに、司書が推理を働かせて件の本を見つけてくる、というパターンか、何かで人生に迷子ちゃんになってしまっている人に、人情と書物に通じた司書が本を薦める、というパターンが大半であろう。上に挙げた漫画にしても、このパターンのものが多い(行政組織としての図書館の触れるものも多く、それはそれで面白いが)。少し話が飛ぶようだが、図書館を舞台とした小説にはジュブナイル小説(若き日のうちに卒業すべきものとも言える)が多いのも、こうした観点から説明できるように思う。

 こちらをお読みの方で、「これは面白い図書館小説ですよ」というものがありましたら、ぜひぜひご教示ください。

 

M&M's