メリメのとある小説

 10月29日の記事で触れたことがきっかけとなったのか、メリメが心を占めている。改めてその人生を調べてみると、実に面白く、理想的な人生を送っている。そして、人の心を惹きつける小説を数多く書いている。やはり『カルメン』だけで終わらせるのはもったいない。
 ところで、一か月前もエラソーにそのように書いていたわけで、つまり『カルメン』は読了したような気分でいたのだが、実はその後「僕は実は『カルメン』は読んでいないのでは?」と思い至った。有名な短編小説にありがちなことですね。こりゃいかん、あんなふうに書いたなら読まねばならん、と、『カルメン』、読みました。実に実によくできた小説です。枠組みがいいですね。この枠組みのおかげで、情念の満ち溢れる現実と、それを遠くから眺める非現実感が交差する不思議な物語空間が開かれている。読了にはそれほど時間もかかりませんので、気分転換したい方は、ぜひ手にとってみてください。
 この珠玉の短編についてはいずれまた記事を書いてみたいけれど、今日は別の話。

 

 メリメ、という固有名詞には僕の記憶の奥底を刺激する何かがある。「これはなんなのだろう」といぶかしく思っていたのだが、今回偶然に判明した。あるいはその経緯は「偶然」ではないかもしれないけれど。以下はその経緯のご説明。

 「子ども時代の私の一冊」を持つ人は多いと思う。別に「一冊」でなくてもよいのだが、記憶の底に甘やかな思いと共に残り続ける書物のことです。この「私の一冊」が他の人と重なる喜びも大きいけれど、「私だけの一冊」を持つ喜びもやはり大きい。ちょっと自分が特別な人間になった気がします。
 私にとってはそうした一冊に『コルシカの復讐』という書物がある。今回あれこれ調べるまですっかり内容を忘れてしまっていたのだが、タイトルだけはずっと心に残っていた。なんとも刺激的なタイトルではないですか? 画像検索をしていただくとわかるけれど、大正時代を彷彿させる表紙絵で、この「おどろどろしい」と言えばそう言えなくもない雰囲気が、子ども時代の私の心をいたくくすぐったのではないかとも想像する。もしかしたら私のヨーロッパへの憧れの根幹にはこの書物があるかもしれない。
 もはやご想像がついていると思いますが、この『コルシカの復讐』の原作がメリメだったのです。今回、「メリメ」の名が私の無意識を刺激したのか、この『コルシカの復讐』のことが気になるようになり、検索をかけてみたところ、メリメ原作と分かった次第。この本は小学校一年生くらいで読んでいるはずなので、私のメリメとの出会いは『カルメン』ではなく、この書物、ということになる。「ああ、メリメという名前が私にとって特別な感興を呼び起こすのは、もしかしたらこの本が理由かもしれない」と、不思議な気持ちになりました。

 

 この『コルシカの復讐』自体は、メリメの本を子ども向けにリライトしたものだから、原作があるはずということで調べてみた。幸い邦訳の『メリメ全集』はあるのだが(ただし未完結)、収録作に『コルシカの復讐』というタイトルの短編はない。とはいえ、インターネットは便利なもので、コルシカを舞台とした復讐劇を描く中編に『コロンバ』があることがわかった。オリジナルはこれだろう、ということで、早速図書館で『メリメ全集』を借りてきて、こちらの小説を読了したわけです(ちなみに、『コルシカの復讐』の原作は、間違いなく『コロンバ』とのことです)。
 面白かったですよ。性格がしっかりと描き分けられた登場人物たちが、それぞれの個性を自然に発揮するうちに、自ずと筋が展開していく。コルシカという、私たちにとっても、また当時のフランスの人にとっても異国情緒漂う地の風俗も丁寧に描かれており、好奇心をそそる。娯楽作品としては、著しく優れたものではないかしら。
 読みながら、子ども時代の記憶が蘇るかしら、どうかしら、と思ったけれど、残念ながらそうしたことはなかった。ただ、最後の最後、きわめて印象的なエピローグ的シーンには、ほのかに記憶を刺激するものがある。もしかしたらこのシーンは、心に残っているのかしら、どうなのかしら。『コルシカの復讐』の方は、古書店にあるのを見つけたのだけれど、ちょっと微妙なお値段なので購入するかどうか迷っている。電車に乗って行くことのできる図書館には所蔵されているので、そちらに行くのでもいいかしらなどとも思うところだが、いずれにせよ、近いうちに『コルシカの復讐』の方も読んでみたい。四十年以上の時を経ての再会は、一体どのような感慨を引き起こすのだろうか。

 

 『コロンバ』についてはご自分で読んでいただく方がよいので、筋立てはここには書きません(私の紹介では魅力が半減する、というのもある)。ただ、読んで思ったことを二つほど。
 一つ目。少なくとも私は、ヒロインのコロンバに、アンティゴネーの面影を感じずにはいられない。コロンバは復讐を唱えるがアンティゴネーはそうではない、という違いはあれ、家族の法を至上のものとし、常識的な世俗の法に狂気とも言える仕方で抗う点は共通する。だからこそ二人の女性の魅力には相似たところがあるのではないか。コロンバを「アンティゴネーの変貌」の一つに数えることもできよう。
 二つ目。『コロンバ』というのは、もちろんコルシカの独特の風土を反映した小説ではあるのだけれど、然るべき変更を加えれば、日本の仇討ちものに変貌すると思う。『カルメン』も翻案できそうですね。この「翻案のしやすさ」という点は、メリメの魅力を説明する大切な要因ではなかろうか。そんなことを思いながら少し調べてみたら、近代日本文学におけるメリメの受容を巡っての研究書があるとのことでした。冬休み、どの程度時間がとれるかはわからないのですが、できれば読んでみたいところです。

 

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