自分がいかに軽薄な人間であるか

 よくわかってはいるのだが。自分はやはりつくづくお調子者で軽薄な人間だと思う。
 先日、久方ぶりにロシア映画を観た。どのような作品だったかは本題ではないので、脇に措く。とにかく、実に久しぶりに映画館でロシア語を聞いた。映画館で観たロシア映画というと、リバイバルで観たタルコフスキーの『ストーカー』かソクーロフくらいしか浮かばないから、久方ぶりに久方ぶり、ということになろう。
 ところで、以前書いたことがあるかわからないが、大学時代はロシア語クラスにいた。だから、いくつかの単語や簡単な文法は覚えている(ただし、五分前まで十まで数えることができなかったことを告白します―数えてみたら、「七」でとまったのだ・・・)。そんなわけで、その映画を観ていると、簡単な会話が時々はわかるのだ。わかるといっても、「こんにちは」とか「きれいだね」とか、「彼、何も言わなかったよ」とか、そうしたものがわかる、といった話だけれど。

 さて、何がお調子者かと言うと、映画館から帰って本棚の奥に眠っていたロシア語の教科書(大学時代ではなく、15年くらい前に何を思ったか買ったもの)を引っ張り出して、つらつらと眺め、さらに付属のCDを引っ張り出して、寝っ転がって、ロシア語の復習を始めたのだ。
 なんでそんな気分になったのかよくわからない。
 ロシア映画を観る直前にポーランド映画(キェシロフスキの初期作品-面白いですよ)を観ていたのも大きかったと思う。聞いていると時々、「あっ、ロシア語と似た単語だな」と思う時があった(ついでに言うと、ロシア語の教科書を引っ張り出した後、図書館に行ってポーランド語の入門書を借りてきたり、YouTubeで、「ポーランド語入門」をキーワードに検索して引っかかる動画を見るなどしてしまった)。
 現状もあろう。国際情勢のためか、ロシア語業界はどうも肩身が狭いという話もある。まあ、それは一時的なものだと思うが、仮に「ロシア語」への風当たりが強いならば、逆に、電車の中などでロシア語の入門書を開いて周囲を挑発してみたくもある(?)。

 しかし、いや、わかっているのだ。要は現状から逃避したいのだ。様々な締切やら何やらもあり、それなりに読まねばならぬものも多い。「間に合うかしら? いや、間に合わせねば」といった感じで仕事を進めていると、やはり、逃避行動をしたくなるのですよね。映画を観ているのも逃避行動だが、それだけでは済まず、しかし、何かそれらしい、多少は知的なことをすることで、自分の逃避を正当化したいように見える。いや、そもそも読んでいるロシア語のテキストが「~はどこですか?」とか「お会いできてうれしい」です、とか、そうした初歩的なものばかりで、それらを復習して「あ~、思い出した」と言っては喜んでいるのだから、一種の幼児退行だろうな、とも思う。
 もっとも一つだけ功徳がある。慣れぬロシア語をちょっと読んだ後だと、英語を始めとする他の外国語が以前より早く楽に読めるようになったような気がするのだ。もっともそうした錯覚に陥りやすい点も含めて、やはり私は軽薄でお調子者なのだろうな。

M&M's