「ラ・マルセイエーズ」とジャン・ギャバン

 前回触れたようにジャン・ルノワールは映画『ラ・マルセイエーズ』を監督しているわけだが、彼は他に、名作『大いなる幻影』で、「ラ・マルセイエーズ」を印象的な形で用いている。

 これは、舞台となる捕虜収容所での余興のシーン。ドイツ軍将校も招いてのフランス人捕虜による演芸大会のさ中、仏軍がドゥオモン(Douaumont)の要塞を奪還したことを知ったジャン・ギャバン演じるマレシャル中尉は、舞台に割って入り、この知らせを皆に告げる(ということは、このシーンは1916年10月か11月ということになろうか)。これにより、自然発生的に「ラ・マルセイエーズ」の合唱が沸き起こることとなる。このシーンは以下のリンク先から観ることができる。

 

https://www.youtube.com/watch?v=958YgYMzXls

 

 演芸大会の奇抜さと「ラ・マルセイエーズ」の真面目さの対比が効いており、合唱中はワンカットで撮影されてることも、独特の効果を生んでいる。様々な意味で面白いシーンだと思う(なお、このシーンは、『カサブランカ』の例の「ラ・マルセイエーズ」の合唱シーンに影響を与えているのではないかと私は思っているのだが、今のところ、これは推測に過ぎない)。

 

 このシーンがなかなか印象的なので、私の中では「ラ・マルセイエーズ」とジャン・ギャバンとの間には緩い観念連合が形成されていたのだが、先日、これを裏切るような面白い記事を『ジャン・ルノワール自伝』(みすず書房、1977年)で読んだ。

 これは、第二次世界大戦アメリカに滞在していたルノワールが、当時の暮らしを回顧している箇所の一部。当時ジャン・ギャバンマレーネ・ディートリッヒも、アメリカに暮していて、三人はよく一緒に出掛けていたそうだ。以下、引用。

 

「晩になると、われわれは街に出て、マルレーネ・ディートリッヒジャン・ギャバン -この二人は当時一緒に生活していた- と落合ったものだった。マルレーネは好きで、ナイト・クラブに出て、フランスの愛国歌を歌っていたが、終りはいつも「ラ・マルセイエーズ」と決まっていた。ギャバンはこれが大嫌いで、いつも馬鹿げていると言っていた。」(同書、286頁)

 

 そうなのか。何か意外な感じがする。これを記していたルノワールは、上に書いたように、自作でギャバンに「ラ・マルセイエーズ」を歌わせたことを思い出していたはずだ。しかし、なぜギャバンがこんなことを言っていたのかは書いていない。「ラ・マルセイエーズ」が嫌い、というのも考えにくいので、別の理由があったのだろうか? 愛人ディートリッヒが喝さいを受けるのを、ちょっと複雑な思いで見ていたのだろうか? 理由が記載されていないが故の余韻は残るが、かゆいところに手の届かないような憾みも微かに感じられる。

 

 なお、「ラ・マルセイエーズ」のことは脇に措くと、この後の記述が、なかなか素敵なのだ。

 

ギャバンとマルレーネの口論ときたら凄じいもので、そういう時にはギャバンはマルレーネを「プロシャ女郎」呼ばわりをした。一方マルレーネはギャバンの額を軽くたたきながら、物憂げな声で、「あんたが気に入っているのはね、ここのところがまったくカラッポだからなのよ。あんたの頭の中はガランドウ。私はそれが好きなのさ」とやり返した。俳優多しといえでも、これほど微妙繊細な者はいないという人物を捉えてのこの罵倒も、ギャバンにはさっぱり響かなかった。」(同書、同頁)

 

 実に素敵ではないか。二人のこのやりとりがモノクロで目に浮かぶ。叶わぬこととはいえ、ルノワールがこのシーンを映像に残してくれていれば、と思う。

 

M&M's