あのJAPANのなんかのBANG事件から数日経過した。

べつに当時に本音を言ってもよかったのだが場所がなかったのでここでお目汚し失礼。

 

 

いちばん驚いたのは、自分よりもずっとメンタルの強そうな配偶者が、もやもやとした様子で帰ってきたことだった。配偶者も(自分と同じく)敷かれたレールの上を歩んできていない。

だから勝手に思っていたのだ。配偶者は平気なツラで仕事から帰ってくるのだと。

だが、そうではなかった。

話を聞いてみると「まさか国であんなことが」というところにもやもやとしていたらしい。

なるほど。そういう人は、周囲にもいた。

 

 

ここでひどく胸糞の悪い話になるので読み飛ばしていただいてかまわない。

筆者は、ガキのころにデブであった。

ガキのいじめは「だれかがなにをした」から生じるわけではない。幼稚園児がそんなことはわからない(親が吹き込んで「あの子とはつきあっちゃだめ」と言う可能性があるが)。デブ、ハゲがち、そんなのは格好の的なのである。

結果、現在では考えられないが昭和は「いじめ」なんていうのも曖昧だったので、教室にいる誰がなにを仕掛けてきてもおかしくないという思考になった、彫刻刀で刺してきてもハサミで動脈を切ろうとも、それは「日常」の一部だったのだ。後者は一生傷である。まったく……。

そんな環境で育った筆者は、大人になって海外でうろうろしていたらテロの現場が発生してしまうことになる(もちろんそういった情報は知っていたので別段驚かなかった)。その国には軍隊がいたので暴力ですぐすべてが終わった。詳細の記述は避けておくけれど。

 

 

だから筆者はまだわからずにいる。

とくにこの島国のひとびとはJ・F・ケネディも、ジョン・レノンも知っているはずで、なぜ身近でそれが「起こらない」と思っていたのかを。

銃社会じゃないから?でも銃刀法違反なんてよくあるじゃないか。急なことだったから?それはあなたたちが「知っている有名人」だったからではないのですか。こんな形で政治に抗議するのは間違っている?それはある意味ではそうだけれど、こういう手段にしか出られなかった層(もうなにを失っても怖くない最近「無敵の人」と呼ばれる人々)がいることについての思考の欠如は幸せですね。

平和にボケているのもいい加減にしろ、そうとしか思えなかったのだ。

 

 

これはべつに訃報などどうでもいいとか、ひとりの命などどうしたとか、そういう意味ではない。そして、だからこそ軍備強化すべきだとも言っているわけではない。

ただ、わからないのだ。

「この国には起こらないだろう」と思っていた、それだけが。

 

 

*この記事は特定の政党を擁護するものでもなく、アンチなわけでもありません。

 ただ、「この国には海外みたいな物騒なことは起こらないだろう」と思っているなら、やめたほうがいいと思います。