絵を買ってみた

 「絵を買った」と言っても複製画ではありますが・・・

 

 少しふれたように、先週、関西に出かけたのだが、到着してから業務までの時間があり、大阪中之島美術館で開催中の展覧会、「佐伯祐三-自画像としての風景」に出かけてきた(6月25日まで)。佐伯自身の人間としての「力」を感じさせる様々な自画像、明るさに満ちたいくつかの下落合風景、そして浮遊する文字が独特の効果を発揮する、西洋の「拒絶」を象徴するが如きパリの風景画など、魅力的な絵画を楽しむことができた。

 私は絵心はないと自覚しているのだが、それでも佐伯祐三の絵画には心惹かれるものがある。佐伯の展覧会というと、2005年にも東京の練馬区立美術館で観ているが、20年近く前のことなのに、その時の記憶は鮮やかに残っている。その時もある程度注意深く観たためか、今回も「あ、あの時観たのと同じ絵だ」と思うものがいくつかあった。同じ美術館を再訪して同じ絵に再会する喜びもあるが、違う美術館で再び同じ絵と巡り合うことには、何かしら、古い友人との思いがけぬ場所での邂逅がもたらすそれと、似た喜びがある。まだ死を強く意識する年齢でもないが、それだけの期間 ー今回なら20年ー 生きることができたことを喜ぶ思いもあるのだろうか。

 

 さて、多くの絵画を観て会場を出れば、他の展覧会とも同じく、売店がある。クリアファイルやら絵葉書やらを家族のために物色しているうちに、ふと、複製画が目に入った。額に入ったA4版ほどのもので、5,500円である。考えてみると、絵葉書などは職場に飾ったりはしていても、スケールが小さい。他方、これくらいの大きさであれば、ちょっとした「観賞」気分に浸ることもできよう。家にこうした小さな絵があれば、心慰めてくれることもあるのではないか、額も飲み会一回分程度だし、などと思い、購入を思案し始めた。お値段がお値段なので一応家人に電話をし(「急にどうしちゃったの?」と言われた)、最終的に買い求めた次第。

 買い求めたのは、佐伯の絶筆に近いとされる「ロシヤ人の少女」。絵自体は、佐伯のwikipediaの記事の最後に掲載されているので、ここには掲げない。フランスでの絵は総じて暗いものが多いが、明るい黄色を背景とし、鮮やかな民族衣装(?)を身にまとった少女を描くこの絵は、不思議な透明感に満ちている。今、この絵は、我が家の玄関にちょこんと置かれている。出がけや帰宅時に少し目をやるのだが、よい買い物をしたように思う。

 絵のコレクショナーになる気はないが(財力がそもそもないが)、こうしたちょっとした買い物は楽しい。少し話が変わるが、吉野朔美の漫画の登場人物の一人が主人公に、「100万円持って、買う気で画廊に行って、絵を見てごらんなさい、見方が変わるから」と言っていたような気がする(うろ覚えの記憶だが)。今回の私は5,500円にすぎないが、多少の吟味は真剣にした(とはいえ、候補は四つしかなかったが)。あのセリフの心が少しだけわかったようにも思う。

 

M&M's

 

余談:家に帰って、「佐伯祐三の展覧会の図録があったはず」と思って引っ張り出した。すると、2005年の練馬区立美術館での図録ではなく、2007年の春に神奈川近代美術館で開催された「佐伯祐三佐野繁次郎」展の図録なのである。図録自体は素晴らしいものだから良いのだが、恐ろしいのは、私がこの展覧会にいった記憶が「ない」ということである(2005年の展覧会の記憶は鮮やかに残っている)。いくらなんでも葉山まで出かけ、そしてこの二人の絵を観てきて、その記憶が「ない」などということはあり得ない。いたく恐ろしい心地がして、とりあえず、「この図録はどこかの古書店で買ったはず!」と自分を納得させているのだが、いやいや、私の記憶力にも本格的に焼きがまわりはじめたのだろうか・・・