図書館の話(5)

 今回は、訪問したことのある海外の図書館のことを記す。
 海外で出かけた図書館というと、どれほどになるだろうか。記憶を辿って数えてみると、四つ(だけ)だった(地方自治体の図書館は除く)。もう少し出かけているかと思ったが、案外と少ない。イタリアやオーストリアを観光した折、ついでに少しでも図書館を眺めておけばよかったと、少々後悔している。とはいえ、観光で図書館を訪れることはあまりないだろう。
 もっとも、パリの国立図書館(いわゆるBN)は、観光で訪れてもよいと思う。あの有名な、開かれた書物の形をした建物を広大な敷地の四隅に配した奇抜な、しかし説得力のあるデザインを外から眺めて威圧されてみるのもよいし、中に入って広大な廊下を彷徨い、一般向け閲覧席で勉強するパリの学生たちを眺めてみるのも一興だろう(確か、眺めることができたとは思う-閲覧室内には入れないはずだけれど)。しばしば一般向けの展覧会も行われているし、売店で扱う品も、他とは一味違う。パリ初訪問であれば無理をすることはないが、もう三回目、くらいというのであれば、気分転換に出かけてみるのも良いのではないか。なお、この図書館、日本風に言えば地下一階に研究者向けの、やはり広大な閲覧室がある。ここに入るとどうしようもなく圧倒されると同時に、「生活感」というものをここまで排することができるのかとも驚かされるが、そうした感慨をうまく言葉にすることはできない。
 ところでこの図書館については、最初に訪問した時(もう〇十年前のことだ)に全く勝手がわからず、当時パリに住んでいた友人Mさんに「一杯ごちそうするからお願い」といって同行してもらった。実際、受付の方がおっしゃっていることがほとんどわからず(あるいは、わかっても、なぜそのことが問題となるかわからず)、途中からMさんがほとんど通訳してくださった。これはもう「少しのこと」ではないが、「先達はあらまほしきこと」の典型であろう。この時に、フランスの(そして多くの外国の)図書館で何を求められるかを学ぶことができた。Mさんには心から感謝している。

 パリのBNには何度か行ったことがあるが、長く通った図書館というと、ストラスブール国立・大学図書館がある。「国立」と「大学」の二つが並列となっており、行政上の地位はよくわからないが、さしあたりこのように訳しておく。「ライン宮」とでも訳せばよいのだろうか(Palais du Rhin)、普仏戦争によるドイツ併合直後に建設された壮麗な建築物の向かいにあって、やはりドイツ領時代に建てられたネオ・ルネサンス様式の建築物の中にあり、内部は清潔感があり整然としながら人を暖かく受け入れるような雰囲気に満ちている。パリの国立図書館の閲覧室がよかれあしかれくすんだ雰囲気をたたえているのに対し、こちらは明るい柔らかな光に満ちているように思う(意図的にそうしているような気がする)。こちらは何度となく通ったが、スタッフの方も大変親切で、良い思い出しかない。
 ちなみに、ストラスブールでは市の図書館も相当に使った。日本と違い、映画のDVDを借りることができたのはありがたかった。フランス語の映画を流しているだけでも勉強(した気)になるし、邦画があれば、わが母語を容易に懐かしむことができる。直接の関係はないけれど、日本もこれだけ配信ビジネスが盛んになっているのだから、一定の制限をつけて(例えば公開後十年とか?)DVDを図書館で借りることができるようにしてもよいのではないだろうか? 著作権なら何やら、色々な問題があるのでしょうが、古い映画に関心を持つ方が増えるには有効な手段と考えます。

 さて、短期集中型で訪問した図書館と言えば、ジュネーヴ大学とモンペリエ大学の図書館がある。前者は、国内では見つからなかった資料を読むために別業務の出張のついで三日ほど訪れた。後者は、こちらに収められているとある手稿を読むために訪れ、フランス人の手稿の解読がかくも面倒なことかと痛感した(ポーの『黄金虫』のように、冠詞や前置詞からいくつかの文字を確定し、そこから徐々に類推を重ねていった)。面白い経験ではあったが、正直、手稿の解読に取り組むのはもういいかな、と思っている(私如きでは大きな成果を上げることはできないだろうし)。

 どの図書館についても思い出すのは、受付や司書の方が、たどたどしいフランス語しか話さない海外からの訪問者に対し、とても礼儀正しく親切でいらっしゃったことだ。手稿が典型だが、図書館は時に、「そこにしか」ない資料を所蔵している。そうした資料のために遠路はるばる訪問する人に対し敬意を払うのは自分たちの義務である、といった風情があった。ここ十年ほどで状況も相当変わり、ほとんどの資料が自宅で眺められるようになったが、それ以前の、資料を求めて実際に図書館に足を運ぶという作業が何かしら神聖さを帯びていたのは、そうした司書の方々と話す中で、こちらも自ずと襟を正す思いになったからだろうか。
 あまりに凡庸なことではあるが、時代の変化を巡る証言として、ここに記しておきたい。

 

M&M's