大雅生誕三百年

 パラパラと本をめくっていて気付いたのだが、今年は池大雅(1723~1776)の生誕三百年にあたる。華麗な画業を誇る画家たちが煌めく十八世紀日本絵画において、特に名前を引かれるのは伊藤若冲であろうが、私自身としては、大雅の方が好ましい。観る者を何事かを強いることなく画中の世界へと誘う彼の絵は、絵画のなしうる事柄の理想に至っているのではないかと思う。漱石の『草枕』の画工の思考を体現するのは、私にとっては大雅である(ちなみに、『草枕』では一か所大雅の名を引く箇所がある)。

 彼の名を知ったのは中学か高校のころ、小林秀雄の評論で引かれているのを見てだと思う。とはいえその頃は、文化史上の一人物として名前を覚えただけであった。しかし、その後、一時期蕪村が好きになり、あれこれ書物をめくっていると、自ずと彼の名や画業が目に付くようになる。そうして折々彼の絵を観ることが増えるうちに、自ずとその絵画への愛着が増していった。古書ではあるがその画集を入手し、折々眺めるようにもなった。

 大雅に関しては、一つ思い出深いことがある。もう十年以上前、日本美術に詳しい知人に「大雅が好きで」と話したところ、「次に京都に行く機会があったら、ぜひ池大雅美術館に行くといいよ」と言われ、直後に京都に行く機会があったので、言われたとおりに訪問してきた。苔寺の傍にあるこの美術館、入館には予約が必要とのことで、敷居が高いのではと少々緊張して出かけたのだが、そんなことはなく、館長の方が様々な逸話やエピソードを交えながら色々と解説してくださり、大変ぜいたくな時間であった(ちなみに、観客は私一人だった)。恐らくは私の無知にあきれられたこともあっただろうが(妙な知ったかぶりなどはしなかった)、遠来の客をもてなす気持ちでいてくださったのだろうか、ありがたいことだ。私の中では、最も心温まる記憶の一つとなっている。この美術館、もう十年前の2013年に閉館しているのだから、こちらを訪問できたことには、「運がいい」という言葉だけでは尽くせぬ喜びがある。かの友人への感謝の気持ちも忘れてはいない。

 

 しかし、大雅については誰か新書を書いてくださらないだろうか。私が知る限り、大雅への入門を果たす簡潔な記述は、次の書に含まれている。

 

辻惟雄『十八世紀京都画壇 蕭白若冲、応挙たちの世界』(講談社選書メチエ、2019年)

 

 もっとも、副題に大雅の名が現われていないことからもわかるように、彼を巡る記述は多くはない。もちろん、それなりの専門書を探せば、しかるべき記述は出てくるのだが、私としては、千円程度で一般の書店で購入できる新書として、大雅の事績を紹介する書物が出てほしいのだ。

 あれこれと急かされあるいは人を急かすことが仕事となってしまっているこの時代、大雅の絵を楽しむ心は、一服の清涼剤以上に役を果たすと思うのだがどうだろう。

 いずれにせよ、こちらをお読みの方で大雅の画業をあまり知らない、という方がいらっしゃれば、正月、画像を検索してあれこれ眺めてみてください。

 

M&M's

(12月25日記)