八代亜紀が亡くなって

 八代亜紀が昨年末12月30日に亡くなったとのこと。演歌を好んで聞くわけではないが、彼女の死には多くの人と同じく何とも言えない悲しみを覚える。たとえ芸能人であれ子どもの頃から知る人が亡くなると多少とも感慨があるが、彼女については特にその思いが深い。

 なぜだろうか。

 もちろん、歌手として極めて優れ、同時に時代に合っていたことを一に挙げるべきだろう。この点について語る能力は私にはない。とはいえ、彼女の歌が多くの人に愛され、いくつかは数十年にわたって歌い継がれてきたことを思うと、「時代が求めた女」という(山口百恵について使われるらしき)称号を、彼女にこそ捧げたくも思う。加えて、昭和への郷愁を秘めながらもそれに惑溺することなく、平成、令和と時代が移り行く中で、軽やかに自分の生き方を追求していったように見えることも、彼女の魅力であろう。

 また、華やかでありながら親しみやすく、時には一歩引くような印象を残したことも、彼女の人気の理由ではないか。この点は、自身の化粧を巡る替え歌を逆に笑いの種とする度量を示したことに、よく現われている(実際の彼女は薄化粧だったそうだが)。彼女の意図かはわからぬが、12月30日に亡くなった後しばしその死が公表されなかったことも、その奥ゆかしさを象徴しているように思う。スキャンダルがなかったことも大きいかもしれない。彼女は、中規模の共同体にいてほしい、精神的リーダーとしての役割を果たす女性のお手本の一つであったと言えば、恐らく的を外してはいまい(いわゆる「ご意見番」にはならずにその役を果たしたことも大きい)。ああした方が上司にいる組織は、少なくとも雰囲気はとても良いのではないか、そしてそれが組織の業績に繋がるのではないか。彼女の息の長い人気の理由は、もしかしたらそうした点にあるのかもしれない(私の八代亜紀の魅力の分析には、どこかしら昭和の男性の「甘え」があるかもしれないけれど)。

 個人的な記憶を辿ると、八代亜紀の声は、夜の渋滞の高速道路の思い出と深く結びついている。まだ小学生低学年のころ、休日、家族とのドライブの帰途や帰省先から戻るとき、夜の高速道路の渋滞に巻き込まれることがよくあった。まだ幼いがゆえに心身の疲れのいなし方も知らず、子どもながら「人生の退屈さ」とも呼びたくなる感情を持て余している時に流れていたのが、父が好きでかけていた八代亜紀だった。「舟唄」であった。あまりにできすぎた話なので捏造の可能性を疑いたくもなるが、この歌のヒットの時期を思えば、恐らく間違いない記憶だ。その声には、どこか、そうした「人生の退屈さ」にじっと耐えることの大切さ、尊さを教えるような風情があったと思う。

 今でも「舟唄」を聞くと、夜の高速道路の渋滞の中、運転席の父の隣で疲れをもてあましつつ、遠くに見える灯をぼんやりと眺めながらこの曲に耳を傾けていた時の思いがよみがえる。

 

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