たばこの止め方

 たばこは若い頃に相当期間吸っていたが、やめてずいぶんになる。一応、人生全体を見れば(幼児期を含めるということ)、たばこを吸っていない期間が喫煙期間を越えた。もっとも、たばこを始めた時期を起点とすると、まだ、喫煙期間の方が長いけれど。

 それはともかく、ある時期から私は、素面の時は喫煙せず、酒席でのみ吸うようになった。職場が禁煙になり、わざわざ喫煙場所まで行かねばならぬことは大きかった。世の趨勢に流されるようであり、少々反発はあったが、時間その他を考えれば仕方がないことだった。とはいえ、上記のように酒席では吸い続けていたわけだ。

 もっともその後、ある区切りの年齢になることを境に、しっかりと禁煙してみようかと思った。その時期にランニングを始めたことも大きい。

 ところで、自分の意志の弱さは自覚していた私は、禁煙のために「荒療治」に出た。この日から吸わない、と気持ちに定めた日の数日前に、行きつけのバーで徹底的に呑みかつ煙草を吸ったのだ。経験がある人はわかると思うが、こうすると、翌日はもちろんのこと、場合によっては三日ほどは、頭痛と気分の悪さが残り、たばこを吸おうという欲求が起きないのである。記憶が曖昧だが、この時は三、四日は、たばこへの欲が出なかったように思う。もちろん、その時期をすぎると徐々にたばこへが吸いたくなるのだが、少し禁断症状が薄れているし、上に記した「区切りの年齢」というのも、禁煙の後押しになる。こうして私は、喫煙期間の長さの割には比較的容易に禁煙に成功し、今に至っている。恐らくは直後に定期的に走るようになり、こちらに少々のめりこんだことも大きいだろう。

 ところで、他の欲求を禁ずるにあたって似た手段は有効なのだろうか? 食欲や性欲に関しては、上と類似の方法は浮かばなくもないが、実行は難しかろう。単純に体力的な限界がある。もっとも酒に関しては、成功の可能性が上がりそうだ。この方法は、生物学的に一次的ではない、しかし身体的に何かしら広い意味での「中毒症状」を引き起こしている欲求を解消するためには有効なのかもしれない。

 もっとも、「ゲーム中毒」や「スマホ中毒」の解決にはあまり有効ではないようにも見える。「達成感」であるとか、「継続が容易にできてしまう」といった点から見て、たばこや酒の場合とは違うのだろう。

 

 あまり大した話ではないけれど、この「禁煙」の方法を話したら、「なるほど、それも案外ありかもしれませんね」と言ってくれた若い人がいたので、どなたか活用してくださればと思い、記しておきます。実行の際にはくれぐれもご注意を。

 

M&M's

(2月9日記)

運転するってどういう気分?

(凄まじい繁忙期にあり、ついに一週間遅れ -日頃気になっていることを簡単に綴ることで責を塞ぎますー なお、私は運転免許を持っていません。将来考えが変わる可能性はありますが、今のところは、免許を持たない、と心に決めています)。

 

 私の住む街は、恐らく車の運転のマナーはよくないと思う。横断歩道を渡ろうとすると、右折ないし左折してくる車の多くが、ギリギリまで詰めてくる。「お前が待てばいいんだよ」という声が、フロントガラスから聞こえてくるようだ。その他多くの問題があるが、一言で言えば「自分のことを最優先にする」というエートスに満ちているかに見える。こうしたことの常として、しっかりとしたドライバーの方が多いのだろうが、マナーを守らぬ人がどうしても目立ってしまう。そして、私の住む街にはやはりそうしたドライバーが相対的には多いと思う。

 

 なぜだろうか? 私の住む街では相対的に車の地位が高い、ということはあろう。基本的に皆運転免許を持っており(ちなみに、娘のクラスで自家用車を所有していないのは我が家のみ)、歩行者の地位は相対的に下がる。車を持っていないのは貧乏だからだろう、と思う人もいるらしい。なるほど(納得した訳ではない)。

 ところで、こうした地域性を離れることになるが、私がより根本的に気になるのは、車の運転はエゴイズムを高める傾向があるのではないか、ということ。車を運転していれば、確かに素晴らしいスピードで、遠くまで行くことができよう。だとすれば、そうした人が、歩行者や自転車で移動する人に対して、「なんでこんな楽しいことをしないんだろう、あっ、きっと貧乏なんだ」という気持ちになることはわかる(そういう気持ちになる仕組みがわかる、という意味であり、納得はしていない、というか、そういう気持ちになることを軽蔑する)。気持ちよく運転している時に歩行者のために止まらねばならないことを、「不満」と思う傾向になることもあろう(同じく「仕組み」がわかるだけで、そうなる人はやはり軽蔑する)。

 この推察が正しいのなら、どうも「運転をする」という経験は、場合によっては人の自意識と万能感を高める危険を持つ、というより一般的な推測ができるのではないか? そしてその結果、本来は車の性能に由来する多くの利点(利点があることは認める)が、あたかも自分の能力に由来すると、こう錯覚するドライバーが出てきているのではないか?

 余りに攻撃的な文章なので一応「言い訳」をしておけば、そうでないドライバーの方がはるかに多いことはわかっている。とはいえ、上の分析が当てはまる人も少なからずいるように思う。「運転すること」が自意識や自己評価に与える影響を扱う、心理学的な研究、あったら面白そうですが、どうなのでしょうか?

 

 余談を一つ。

 ちなみに家人は免許は持っているがもう数十年運転しておらず、少なくとも車については考え方が似ている(車を持たない方が健康にもいいし、経済的にもいい、車が便利であることはわかるので自家用車を持つ人にあれこれ言う気はないが、マナーの悪いドライバーには心底辟易している、など)。そうした二人に育てられた我が娘も、完全に影響を受けている。

 もう二、三年前のことになるが、彼女、横断歩行中に詰めてきて、さらにはあろうことかクラクションを鳴らした挙句「早くしろ」などと言った男性に対して、「歩行者優先でしょう、ルールくらい勉強しなさい」(大意)と言い放ったらしい。さすが我が娘、と嬉しくも思ったが、同時に心配にもなる。

 こうした堂々とした態度を守りつつ、同時に身を守ることも覚えてもらうには、どのように言えばいいのだろうか?

 

M&M's

(2月2日記) 

2024年はどんな年?

 この2024年がどのような一年となるのか、全く想像がつかない。恐らくは11月のアメリカ大統領選挙が最大の争点となり、私ですらその推移に心揺れるのだろうが、出来ることと言えば、好ましくない結果となった時のための心の準備でしかない。

 そうしたリアルタイムの事柄を脇に措いた場合、2024年はどんな年になるだろうか? 誰の生誕百年だとか、誰の没後二百年、といった視点で捉えると、今年はどんな年になるか、という問いである。

 こうした問いを立てるようになったのは、恐らくは2020年のこと。この年はベートーヴェン生誕250年で、コロナで大体はなくなってしまったとはいえ様々な企画があり、折々ベートーヴェンのことを意識することとなった。この年以来、年初にはwikipediaを眺めて、その年が誰のアニヴァーサリー・イヤーであるかを確認する習慣がついた。大した実益はないが、自分の読書・音楽鑑賞・映画鑑賞の内容を決めるきっかけにはなるし、話題の糸口にもなる。何かの企画を打つのに役立つこともないではない。ちょっとした検索で得られる余得としては、なかなかではないか。

 

 さて、改めて2024年である。すぐに思いつくのは、カント(1724-1804)の生誕三百年であり、メーヌ・ド・ビラン(1766-1824)の没後二百年に当たること。こうして見ると、近代哲学のメインの潮流が1724年から1824年にかけて形成された、というはったりをかましても、的は外していないと思う。事実、フーコーの『言葉と物』は、半ば以上、そうした時代感覚に基づいたものではないか(フーコーはメーヌ・ド・ビランの名前は引いていないけれど)。

 しかし、このテーマは余りに重いので、別の面に目を向けてみる。

 音楽の面では、ブルックナー(1824-1896)の生誕二百年であり、またフォーレ(1845-1924)の没後百年にあたる。ブルックナーは嫌いではないが(昔は大好きだった!)、この方の曲に入れ込む体力はほとんどない。とは言え、オーケストラの実演には一度くらい行っても良いかもしれない(実演なら8番が聴いてみたいかな)。フォーレであれば、もう少し入れ込むことができるだろう。一年かけてゆっくりと、彼のピアノ曲と歌曲を聴き、併せて、積読になっている彼を巡る書物のいくつかを読了できれば、2024年の終わりにも、「今年は良い年だった」と言えるように思う。

 文学で言うと、今年はカフカ(1883-1924)、並びにアナトール・フランス(1844-1924)の没後百年に当たる。どちらかと言えば前者に脚光が当たるから、あえて後者についてあれこれ述べてみたい気もする。とはいえ、「21世紀にアナトール・フランスですか、ふふふ」と微苦笑されるリスクは負わねばならない。悩ましい。しかし、彼の小説のスタイルが多少古びたものとなっていることは否めないにせよ、彼が人間心理に向けた眼差しまでが古びたわけでもあるまい。岩波文庫でもアナトール・フランスはほとんど手に入らないのだが、せめて、『神々は渇く』と『シルヴェストル・ボナールの罪』くらいは、簡単に本屋で手に入るようであってほしい。前者はフランス革命を巡る小説としては最高傑作だろうし、後者は、本好きにはたまらないものがある。私自身は高校の頃この本を読んで、「書物を読んで一生を生きていきたい」と思ったのだった(だから、この本のせいで、私は人生を「誤った」(?)とも言える)。

 映画について言うと、2024年は名だたる名女優たちの生誕百年にあたる。淡島千景(2月24日生)、赤木春恵(3月14日生)、京マチ子(3月25日生)、高峰秀子(3月27日生)、乙和信子(10月1日)が、1924年生まれなのだ。独自の存在感を兼ね備えたそうそうたる顔ぶれではないか(ちなみに、越路吹雪や、国外だがローレン・バコールもこの年の生まれ)。ある一定の年齢以上の方々は、このうちの誰かには、心動かされたこともあると思う。今年は彼女たちを偲ぶに、良き年なのである。

 もっとも、昭和は遠くなりにけり。言っても詮無いことだし、言わぬが花かもしれないが、若い方々は、彼女たちの名前は知らないだろう。私(たち)が彼女たちの名前を挙げて寿いだとて、老いた人々の「昔はよかった」という繰り言にしか聞こえないかもしれない。

 しかし、あえて言うが、若い人にもせめて高峰秀子くらいは知っていてほしい。もちろん私とて、世代からして、映画館で彼女の映画を観て歩いたわけではないが、映画館、あるいはDVDなどで観た「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾年月」「二十四の瞳」「流れる」などは、すべて心に残っている。そう言えば、2018年7月20日の記事で触れた「無法松の一生」のリメイク版でヒロインを演じていたのも、彼女だった。人によってはいくらでもこのリストを長くできるだろう。

 彼女の芝居を見ていると、「女優とはかくあるもの」とつくづく思う。彼女は、一つのタイプしか演じられないといったことがなく、様々な役柄を見事に演じるという意味で真の「女優」であった(私が言うのもおこがましいが)。若い人に、「これからの長い人生で本当に映画や演技といったものを楽しみたいなら、高峰秀子の映画を何本かは観ておくとよいよ」といっても、妙な抑圧やナルシスティックな昔語りにはならないと思うのだが、どうだろう?

 

 思い返すと、彼女の映画を最初に観たのは、間違いなく、小学校低学年の時、夏休みに近くの公的施設で催された「反戦映画特集」でのことだった(この時、ドイツ映画の「橋」も観ており、ラストシーンは今でも記憶に残っている)。「二十四の瞳」を観たのである。子ども心に、あの映画の中で流れる時間の経過や様々な子どもの人生の変化を思い、心揺さぶられたように思う。二、三年前に娘と一緒に観たのだが、相当のシーンを覚えており、確かにあの時にこんなことを感じたと思いながらそうしたシーンを観たので、記憶の捏造ではなかろう。

 この記事の主題からは逸れてしまったが、ああした映画を観る機会を、今の子どもたちは持つのだろうか、と独り言つ。

 

M&M's

 

(1月23日記)

八代亜紀が亡くなって

 八代亜紀が昨年末12月30日に亡くなったとのこと。演歌を好んで聞くわけではないが、彼女の死には多くの人と同じく何とも言えない悲しみを覚える。たとえ芸能人であれ子どもの頃から知る人が亡くなると多少とも感慨があるが、彼女については特にその思いが深い。

 なぜだろうか。

 もちろん、歌手として極めて優れ、同時に時代に合っていたことを一に挙げるべきだろう。この点について語る能力は私にはない。とはいえ、彼女の歌が多くの人に愛され、いくつかは数十年にわたって歌い継がれてきたことを思うと、「時代が求めた女」という(山口百恵について使われるらしき)称号を、彼女にこそ捧げたくも思う。加えて、昭和への郷愁を秘めながらもそれに惑溺することなく、平成、令和と時代が移り行く中で、軽やかに自分の生き方を追求していったように見えることも、彼女の魅力であろう。

 また、華やかでありながら親しみやすく、時には一歩引くような印象を残したことも、彼女の人気の理由ではないか。この点は、自身の化粧を巡る替え歌を逆に笑いの種とする度量を示したことに、よく現われている(実際の彼女は薄化粧だったそうだが)。彼女の意図かはわからぬが、12月30日に亡くなった後しばしその死が公表されなかったことも、その奥ゆかしさを象徴しているように思う。スキャンダルがなかったことも大きいかもしれない。彼女は、中規模の共同体にいてほしい、精神的リーダーとしての役割を果たす女性のお手本の一つであったと言えば、恐らく的を外してはいまい(いわゆる「ご意見番」にはならずにその役を果たしたことも大きい)。ああした方が上司にいる組織は、少なくとも雰囲気はとても良いのではないか、そしてそれが組織の業績に繋がるのではないか。彼女の息の長い人気の理由は、もしかしたらそうした点にあるのかもしれない(私の八代亜紀の魅力の分析には、どこかしら昭和の男性の「甘え」があるかもしれないけれど)。

 個人的な記憶を辿ると、八代亜紀の声は、夜の渋滞の高速道路の思い出と深く結びついている。まだ小学生低学年のころ、休日、家族とのドライブの帰途や帰省先から戻るとき、夜の高速道路の渋滞に巻き込まれることがよくあった。まだ幼いがゆえに心身の疲れのいなし方も知らず、子どもながら「人生の退屈さ」とも呼びたくなる感情を持て余している時に流れていたのが、父が好きでかけていた八代亜紀だった。「舟唄」であった。あまりにできすぎた話なので捏造の可能性を疑いたくもなるが、この歌のヒットの時期を思えば、恐らく間違いない記憶だ。その声には、どこか、そうした「人生の退屈さ」にじっと耐えることの大切さ、尊さを教えるような風情があったと思う。

 今でも「舟唄」を聞くと、夜の高速道路の渋滞の中、運転席の父の隣で疲れをもてあましつつ、遠くに見える灯をぼんやりと眺めながらこの曲に耳を傾けていた時の思いがよみがえる。

 

M&M's

 

年初にあたって

 直接のお知り合いの方も、それ以外の方も、本年もよろしくお願いします。

 

 もっとも、年初とはいえ、ここでは触れるまでもない事情のゆえに、昨年までのように能天気なことを書き綴る気にもならない。元旦、二日と立て続けに起こった出来事は、少なからぬ人にとり何かしら関わのあることであり、心ざわめく思いで過ごされた方も多かろう。私自身について言えば、元旦の地震については、いくつかの事情のゆえに心を痛めている。何かしら縁ある方々のご無事と健康を静かに祈るばかりである。また翌日の飛行機の事故については、この経路をよく利用するだけに他人事ならぬ思いがした。しばらく連絡のなかった親戚が、「M&M'sくんは大丈夫か?」と心配して、母に電話をしてくれたらしい。

 こうした中で、あえて「今年の抱負」、いや「今後の抱負」を書けば、次のようになろうか。
 第一に、人の生の儚さ、もろさといったことを、もう少し意識するようにしたい。もちろん過度に人生の儚さを強調してはならないと思うのだが、それでも、私たちの人生が不確定要素に満ちていることを忘れてはなるまい。全ての不確定要素に応対はできないが、いざ何かしらのことが起こったときのことは考えねばならない。若くはない身として、様々な意味で、不測の事態に備える実際的な能力と胆力とを身につける必要を、改めて痛感している。
 もう一つ、当たり前のことだが、これまで以上に他人のことを意識して生きていきたい。これまで過剰にエゴイスティックに生きてきたとも思わないが、どちらかと言えば、自分のことと家族のことを優先してきた。しかし、年齢的に、もはやそういう年ではなく、自分が他の方々のために何ができるのか、これを生活の軸の一つには置きたいと思うようになったのだ。


 上での述べた二つのいずれも、誰でもそうすべき、といった意味で書いているのではない。ただ、自分がそうしたことを意識する年齢になったことを痛感しており、そうであるならば、そうした一種の「義務感」を大切にすることが、今年の課題だろう、ということなのです。この元旦、二日と続いた事柄は、そうした私の思いを強めた、あるいはくっきりと形にしたように思います。

 

M&M's

 

終わりよければすべてよし

 思い返すと2023年の最初はとにかく大変であった。「大変さ」の内実を書き始めると怒りがふつふつと湧いてくるし、読者の方にとっても気持ちの良いものではないので、記さない。

 

 とはいえ、後半は良いことが続いた。私個人としては、来年に向けての仕事の下準備が相当進んだし、年末には数年ぶりに京都を訪問できた。12月15日の記事にあるように気管支炎になってしまったけれども、「一病息災」と納得もできる。

 娘もファゴットという新たな楽器を始めて部活を楽しんでおり、小学校時代とは違って中学校では教師に恵まれ、さらに、年齢としては早い段階で、英検準2級を取得できた。

 そして、これがメインなのだが、家人がとある資格試験に合格した。家人は以前にこの資格のある級を持っていたのだが、さらに上位の級を取得したのだ。英検を例にすれば、以前から準1級を持っていたが1級に合格した、といった感じで捉えてください。

 私が言うのも何だが、難関の試験で簡単に合格できるものではない。勉強を独学で始めてから三年強となろうか。日々努力する姿を見ていただけに、我がことのように嬉しく、また敬意を覚えている。ちょっとせこいことを書くと、年をとっても通用する資格なので、私、引退した後は「髪結いの亭主」になれるかもしれない。もっとも、家人に「これで僕たちの老後も安心だね」と言ったら、「なんであなた、老後も私と一緒に暮らせると思い込んでいるの?」と返されてしまった。恐ろしい・・・

 

 ところで、資格については、事情をよく知らぬのにいい加減な批評をする人がいる。「英検」を例とするならば(あくまで「例」で、家人がとったのは別の資格です)、英検準1級を持つ人に、「英検は1級じゃないと意味がないよね」と言う人がいるのだ。家人は、折々この種の発言に不快な思いをしてきた。その不快さはよくわかる(英検を「例」にするならば、私と結婚した時家人は「英検準1級」を持っており、もちろん「英検1級を目指したら」という話はしたが、「準1級」を持っているだけでも十分に立派であろう)。なぜ、事情を知らぬ人がこのような発言をするのか? 自身の品性の低さを露わに示すことにしかならないのに。充実した人生を送る人に対する嫉妬であろうか? いやいや、こんなふうに書いていくとこちらの品性が疑われてしまうので、ここでやめる(もう遅いか)。

 もちろん、ちょっとした資格をとっただけで鼻高々になっている若い人に「上には上がいるよ」と伝えることが必要な場合はある。英検3級をとっただけで(まあ、立派は立派だが)、周囲に自分の英語力を誇る中学一年生がいるようだが、そうした生徒に、謙虚であることの重要性を説くことには意味もあろう。しかし、社会人が自分のキャリア形成に中で取得した資格については、まずはそれを祝福するのが礼儀ではないか。もちろん、自身の資格を過大に評価して自慢する人もいようが、そういう人を裁き判断するのは、社会であり就職試験などであって、私たちではない。

 とはいえ、世の中にはそうでない人も多い。もちろん家人や私は、他の人については「英検準1級」を持つ人の努力と能力を寿ぎたいと思うが、世の中には、事情も知らぬのに、「英検は1級じゃなければね」と平気で言う人も多々いる。これを変えることはできない。そうであるならば、そうした人々に黙っていただくには、「英検1級」を取得するのが早道なのである。妻は今回、当該資格を取得したことで、そうした無神経な発言を封じられるようになったわけだ。それは、合格の副産物に数えてよいだろう。もちろん、自分の人生と力に自信を持つことができたこと、これが最大の喜びであり、意義ではあるが。

 

 過日、件の試験の合格通知が届いた(Webでは確認していたが)日に、ちょうど、我が家族を心にかけてくださっている方々にお招きいただき、忘年会めいた一夜をすごすこととなった。この方々は家人の受験もご存知だったので、合格を報告できた。嬉しい偶然である。人付き合いが決して多くはない家人だが、この日は、心暖かい方々に祝福をいただくことができた。2023年はまさに「終わりよければすべてよし」という年になったのだった。

 

M&M's

 

大雅生誕三百年

 パラパラと本をめくっていて気付いたのだが、今年は池大雅(1723~1776)の生誕三百年にあたる。華麗な画業を誇る画家たちが煌めく十八世紀日本絵画において、特に名前を引かれるのは伊藤若冲であろうが、私自身としては、大雅の方が好ましい。観る者を何事かを強いることなく画中の世界へと誘う彼の絵は、絵画のなしうる事柄の理想に至っているのではないかと思う。漱石の『草枕』の画工の思考を体現するのは、私にとっては大雅である(ちなみに、『草枕』では一か所大雅の名を引く箇所がある)。

 彼の名を知ったのは中学か高校のころ、小林秀雄の評論で引かれているのを見てだと思う。とはいえその頃は、文化史上の一人物として名前を覚えただけであった。しかし、その後、一時期蕪村が好きになり、あれこれ書物をめくっていると、自ずと彼の名や画業が目に付くようになる。そうして折々彼の絵を観ることが増えるうちに、自ずとその絵画への愛着が増していった。古書ではあるがその画集を入手し、折々眺めるようにもなった。

 大雅に関しては、一つ思い出深いことがある。もう十年以上前、日本美術に詳しい知人に「大雅が好きで」と話したところ、「次に京都に行く機会があったら、ぜひ池大雅美術館に行くといいよ」と言われ、直後に京都に行く機会があったので、言われたとおりに訪問してきた。苔寺の傍にあるこの美術館、入館には予約が必要とのことで、敷居が高いのではと少々緊張して出かけたのだが、そんなことはなく、館長の方が様々な逸話やエピソードを交えながら色々と解説してくださり、大変ぜいたくな時間であった(ちなみに、観客は私一人だった)。恐らくは私の無知にあきれられたこともあっただろうが(妙な知ったかぶりなどはしなかった)、遠来の客をもてなす気持ちでいてくださったのだろうか、ありがたいことだ。私の中では、最も心温まる記憶の一つとなっている。この美術館、もう十年前の2013年に閉館しているのだから、こちらを訪問できたことには、「運がいい」という言葉だけでは尽くせぬ喜びがある。かの友人への感謝の気持ちも忘れてはいない。

 

 しかし、大雅については誰か新書を書いてくださらないだろうか。私が知る限り、大雅への入門を果たす簡潔な記述は、次の書に含まれている。

 

辻惟雄『十八世紀京都画壇 蕭白若冲、応挙たちの世界』(講談社選書メチエ、2019年)

 

 もっとも、副題に大雅の名が現われていないことからもわかるように、彼を巡る記述は多くはない。もちろん、それなりの専門書を探せば、しかるべき記述は出てくるのだが、私としては、千円程度で一般の書店で購入できる新書として、大雅の事績を紹介する書物が出てほしいのだ。

 あれこれと急かされあるいは人を急かすことが仕事となってしまっているこの時代、大雅の絵を楽しむ心は、一服の清涼剤以上に役を果たすと思うのだがどうだろう。

 いずれにせよ、こちらをお読みの方で大雅の画業をあまり知らない、という方がいらっしゃれば、正月、画像を検索してあれこれ眺めてみてください。

 

M&M's

(12月25日記)